積読日記

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『いちご100%』第1話「幻のいちごパンツ/誤解それともカン違い?」

 録画して朝視聴。さすがに胃にもたれた。
 しかし、関連してちょっと言及したいこともあるので、頑張って続けよう。
 原作はご存知、『少年ジャンプ』のラブコメ作品で最新単行本は15巻まで出ている。

いちご100% (15) (ジャンプ・コミックス)

いちご100% (15) (ジャンプ・コミックス)

 内容は……まぁ、何だ。パンツで女を個体認識(アイデンティファイ)する男が主役という時点で推して知るべし。図書室で東城(能登声……)がパンツほりだしてずっこけるシーンなんか見ていて気が遠くなった。あか○り作品並みの低次元な欲望(リビドー)表現だ。
 しかし、あ○ほり作品ほど下劣に感じないのは、何だかんだいっても『少年ジャンプ』のコードの範囲内であるということと、作者が女性で絵そのものに上品さがあるという点が大きい。アニメは(少なくともこの第1話に関しては)その上品さをうまく再現できているので、何だかんだと呆れさせながらも最後まで画面を持たせることに成功している。
 ただ、雑誌掲載時に原作を読んでいても感じたことだが、作者が女性だけに「ほれ、あんたら男子の観たいのはこんな程度のものなんでしょ。興奮しな」という蔑まれているような気になってしまい、どんなに派手にパンチラされても萎える(それはそれで逆に「アリ」という人もいるだろうが(笑))。
 逆に言えば、そうした余計な視点を意識しない、自意識の未分化な中高校生に受けるのも判る。表現が直接的なだけに、余計な読解力(リテラシー)を要求されずに望むものが得られるので非常に楽なのだ。幼児がうんこだのちんこだのが大好きなのと理屈は同じだ。
 これがもう少し年長になると、自意識が育って、こういう直接的な欲望(リビドー)の充足に含羞というものが生まれてくる。欲望の解放に「納得できる理由」だの「もっともらしいシチエーション」だの余計なプロセスが必要になり、嗜好もフェティッシュに細分化してゆく。
 その意味で、批評系のブログであまり評判がよろしくないのも、これまたよく判る。ブログなんかやってるくらいだから、元から自意識の高い連中が多い。ネットだけでなく、同人界隈でもあまりブレイクしている感もないのに、アニメにまでなった不思議は、そうした表現にみずからタッチしない層がサイレント・マジョリティとなって支持しているからだろう。
 
 自意識の成長は誰もが経るプロセスなので、その過程の各段階で欲する欲望(リビドー)の質を云々しても始まらない。離乳食が必要な時期だって、人間にはあるのだ。
 そう考えると、パンチラとご都合主義だらけのこの作品にも優しい気持ちで接することが──あ〜、まぁ、何だ。無理強いはせんけどもな。