積読日記

新旧東西マイナー/メジャーの区別のない映画レビューと同人小説のブログ

■Twitter               ■Twilog

■小説を読もう!           ■BOOTH:物語工房
 
各種印刷・製本・CDプレス POPLS

『週刊少年サンデー』32号

総評

 今週は下で取り上げた作品以外にも、コメントを付けたい作品が多いのだけど時間切れです。残念。
 何はともあれ、次週からは椎名高志絶対可憐チルドレン』が連載開始。
 期待半分、不安半分といったところですが、作品単体としてはまず間違いなく面白い作品となっているはずです。
 まずは期待に胸を膨らませて待つこととしましょう。[文責:義忠]

新連載:井上和郎あいこら

美鳥の日々 (7) (少年サンデーコミックス)
 「女はパーツだぜ!!」
 センセー、ダメな人がいます! もー、すンごくダメな人がいます!
 
 そんなわけで、女性をパーツ単位でしか見ない少年・前田ハチベイ(15)が、理想の女性との出逢いを求めて上京。ひょんなことから、その理想とぴったり一致する「パーツ」を持った4人の女性達と同居する羽目に──というお話。
 まぁ、世の中にはパンツでしか女性を固体認識できない男が主人公のマンガもあるので、そんなダメ人間が主人公のマンガがあっても不思議じゃない。
 とりあえず先週の予告カットのヒロインが、主人公の女装でも、37歳のオヤジでもなかったので、胸を撫で下ろしました(笑)。
 で、今回のこの作品では、主人公を誠実さの欠片もないキャラにした以外は、徹底的に王道のラブコメとして作りこんできています。
 と言うかですな、これだけ嫌味なくらい王道ラブコメのフレームとディティールを積み上げながら、その中心にこの不誠実な主人公をぽんと置くだけで、先の読めなさ感が一気に膨れ上がる物語構造を見つけ出した辺り、やはり井上和郎の只者でなさを如実に顕(あらわ)しています。
 だって普通のラブコメはですよ、「色々変なところはあるけど、本当はイイヒト」って展開でヒロイン(達?)に受け入れられてゆくわけですよ。ところが、この場合、「本当は……」で明かされるのは、「パーツ・フェチ」というどーしようもない「ダメな人」っぷり(爆)。
 素敵過ぎる。相変わらずの素敵さだ、井上和郎
 ここから更にどうはっちゃけてくれるのか、それでいて安心して読めるしっかりした演出力と併せて、期待大な新連載です。

 ……それにしても、ずん同の脚はどうかと思うが(爆)。[文責:義忠]

畑健二郎ハヤテのごとく

ハヤテのごとく! 2 (少年サンデーコミックス)
 うわー、ここでこーくるか!?
 まぁ、来週には丸く収まるんだろうけど、お約束をちゃんと守りながら、こーいうちょいちょいと目先を外してくるセンスは上手いよな。[文責:義忠]

田辺イエロウ結界師

結界師 (7) (少年サンデーコミックス)
 これまであえて触れてこなかったのだが、この『結界師』は「熱量」と「勢い」を重視する『ガッシュ』に代表される僕の考える現代少年マンガの「王道」像の真逆をゆきながら、きっちり面白いというちょっとどう捉えたらいいのか難しい作品である。
 今週なんか、並みの少年マンガなら、松戸老人の死は避けられずとも、見せ場のひとつふたつは用意してやるものだが、何の昂ぶりもなくさくっと殺して状況を先に進めてしまう。ハードボイルドだ。
 ひたひたと状況のシリアス度を高めてゆくスタイルと言い、少年マンガの「王道」ではなくとも、間違いなくこれまでにない新しい「少年マンガ」像が顕(あらわ)れようとしている。
 その意味で、『サンデー』連載人の中でも目の放せない作品のひとつですな。[文責:義忠]

あだち充クロス・ゲーム

みゆき (1) (小学館文庫)
 静かに喪われた死を悼む回。
 作中で葬式を扱うと、その作家の死生観や作品に対する誠実さがはっきりと出てしまう。
 そういう視点で今回のエピソードを観ると、あだち充が決していい加減な人気取りやストーリーの辻褄合わせのためだけにこの幼い少女の死を描いているのではないことがよく伝わってくる。
 しかし、そうであればあるほど、この作品がどこへ向かおうとしているのか余計判らなくなりつつある。今回は作品をあげて若葉の死を悼むことで終始し、今後の展開へのヒントとなる情報は最後のページのモノローグぐらいで、しかもあれは野球と直接関係ないしね。
 しかも、ここで2ヶ月の休載。
 さて、夏の終わりから始まる第2部は、どのような物語となるのだろう。[文責:義忠]

藤田和日朗『からくりサーカス

からくりサーカス (37) (少年サンデーコミックス)
 地獄絵図。
 マサルによって、老いさらばえたオリジナルの己の肉体を目の当たりにしたしろがねO達は、発狂して同士討ちを始める。
 そこへ堕ちてゆく、狂気に火が付いてゆく過程を生々しく描いているものだから、まさにトラウマ級の描写となっている。
 藤田和日朗の凄みは、マサル達の活躍する姿を通して「恐怖や苦痛にくじけない勇気の大切さ」や「友情の大切さ」を描き読者である子供達を鼓舞しながら、こうしたシーンをまさに「子供達のトラウマになぁれ♪」と嬉々として描いてのける両面性にあるのだが、おそらく藤田和日朗の内面にあってはその両者は本質的に一緒なのではないかと思われる。どちらか片方を表現するためには、もう片方の表現は不可分の関係にあるのだろう。
 眩暈がするような業の深さだ。
 その業故に藤田和日朗の作品は、少年マンガの「王道」を征くにはいささか陰影が深すぎる。無邪気にアニメ化され、ゲームやフィギュアや、その他諸々の関連グッズで「商品化」されるには、「作品」でありすぎるのだ。
 その意味で、こうした「作品」を決して打ち切らずに最後まで描くことを許さんとしている『サンデー』編集部を高く評価したい。
 この「作品」は、確かにマーチャンダイジングには向かないかもしれない。しかし、この「作品」を読んだ子供達の心には否応なしに何事かが残る。その何事かかこそ、本当の心の豊かさに通じる大切な何かなのだから。[文責:義忠]