『週刊少年サンデー』33号
総評
いよいよ待望の椎名高志『絶対可憐チルドレン』の新連載開始!
詳しくは例によって個別レビューで取り上げるとして、ここ数年来といっていいほど雑誌全体の勢いが増してきているように感じる。まだまだ連載陣に死角なしとまでは言えないものの、毎週コメントを付けたい作品が多くて困るくらいだ。
盛り上がりのピークに理解不能な理由で連載を打ち切る妙な癖のある編集部には、今ひとつ信じ切れないものがあるのだが、夏に向けてこのままの勢いを維持して欲しいものです。
新連載:椎名高志『絶対可憐チルドレン』
椎名高志が椎名高志として帰ってきた。
まずはその事実を言祝ごう。
一読して感じたのが、まぁ、見事なまでに読者へ媚びないままで本連載を迎えたなぁ、ということ。
確かにヒロイン3人組は10歳の幼女だけど、この作品を『苺ましまろ』と同じ「幼女萌え」ものにカテゴライズする読者はまずいまい。少なくとも「げひゃひゃひゃ」と笑う幼女ヒロインに萌えを感じる感性は……そんなに普遍的ではないわな。
かといって、31人もヒロインを出すわけでもなく、6本指のキャラは描いてしまってもイケメンな中学生テニス・プレーヤー軍団を出すわけでもなく、おそらくは自らの描く「物語」の力それだけを信じて椎名高志は連載を始めようとしている。
若い内は──それこそ、今の畑健二郎のような頃には、別に無理をして読者に媚びなくとも、己の感性の赴くまま「楽しい」と感じることを作品にぶつけるだけで読者の歓ぶような作品が描けたのだろうが、そうした感性は歳とともにどうしても鈍る。それはひとりの人間としての成熟の証(あかし)でもあるのだが、少年誌の読者の大部分は常に新しく未成熟な若者達である以上、感性のズレが生じるのはむしろ当然といっていい。特に感性の鋭さで勝負をするギャグ漫画家の消耗は激しく、大ヒット作を産み出しながら一作で消える作家が後を絶たないのはそのためだ。
そこでズレた感性のギャップをテクニカルな「媚び」で埋め合わせようとするのが普通なのだが、椎名高志はそうしなかった。
言って見れば、真っ裸で読者の前に立っているようなもので、凄い度胸だといわざる得ない。
そんな椎名高志の玉砕覚悟とも伝え聞くこの度の挑戦は、果たして成功するや否や──いやぁ、こっちも30代半ばのオヤジ世代で、若い世代とは充分に感性がズレてると思われるので、何ともいえないなぁ(おい)。
……とりあえず、自分には面白かったですよ、はい。
雷句誠『金色のガッシュ!!』
だーっ、清麿死亡って、そんな!
この先、どうなるんだ?
清麿復活に向けてファウード体内での攻防戦? しかし、脳に酸素が──じゃなかった、ファウード日本到着までのタイムリミットもあるわけで……。
物語が乗りに乗って疾走しているこの局面において、更なるドライブを掛けんと仕掛けてくる雷句誠のプロ根性にはつくづく頭が下がりますなぁ。
井上和郎『あいこら』
「ハチベエ・ジェントルマン計画」の発動と失敗、その軌跡──僕らは君の雄姿を忘れない(笑)。
とはいえ、年頃の高校生男子に最後のアレを責めるのは酷だよね。
さて、コテコテのラブコメ定番エピソードで攻めてきた第2話で、奇を衒わずとも井上和郎ならば地力だけでこれだけ面白いものができるという点で楽しめたのは事実なのだが……。
「奇」たればこその井上和郎であり、馴染みのファンは何よりそれを望んでいる。
まぁ、今はご新規の読者向けに暖機(アイドリング)しながら様子見している所なのだろうけど……作者自身、その内、我慢しきれなくなるんじゃないかと見てますが。
畑健二郎『ハヤテのごとく!』
マリアさん、マリアさん!
いたいけな青少年に、それで誤解するなというのは無理な話ですよ(爆)。
それはさておき。
結論としては大方の予想通りの大団円だったわけなのだが、話をダメ女教師・桂雪路から始めてどんどん不合格の話を持ち出しにくい方向にエスカレートさせて行くあたりは読んでて実に楽しかった。
これもお約束には違いないんだけどね。
さて、次回からはいよいよ学園編。しばらくまたキャラ紹介話が続くのかな。
田辺イエロウ『結界師』
前回、あっさりと描かれた松戸老人の暗殺、その真相編――
さすがにあのまま流しはしなかったか。
しかしどれだけ凄絶なアクションやバトルが発生しても、不思議な静謐感があるのがこの作品の特徴で、それでいて全編通してぞくぞくするような緊張感に溢れている。
ラストの夜の街に飛び立つ松戸老人には、鳥肌が立ちましたよ。
前回のD.E.さんに付けてもらったコメントにレスするように続けてしまうと、「ハードボイルド」という意味では確かにかつての『サンデー』にも近い路線の作品はあったものの、この『結界師』に関してはそれだけでは言い尽くせない、何事かがある気がする。作中の妖(あやかし)どもが使う人皮ではないけど、クールな表面の薄皮一枚下で、何か言い知れぬ何事かがぐつぐつと、しかし冷たく重く、そして静かに渦巻いているような感覚がある。
それを本当は演出ロジックの次元まで解体し、解析し、理解し尽くしてしまいたいのだけど、うまくゆかないもどかしさと、そうであるが故の一読者としての悦びのようなものが相反しつつ存在しているというのが、この作品に対する僕の感情だったりします。例えるなら神の存在を証明する可能性に気付きかけている無心論者の物理学者の畏れと悦びのようなものかも。……さすがにそれは少し大袈裟か。
たぶんこれから先、この作品がどんなにヒットしても「王道」には決してなれない作品でしょうね。だって、誰も真似できないもの。フォロワーが出てこなければ「道」としては成立しません。
しかし、闇夜に舞う孤高の梟のように、いずれ少年マンガ史の一隅に不可侵の金文字でその名を刻むのではないか、そんな気がするのですよ。