積読日記

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山下範久 編『帝国論 (講談社選書メチエ)』

帝国論 (講談社選書メチエ)

帝国論 (講談社選書メチエ)

 図書館から借りっぱなしのこの本をちまちまと読んでいます。
 現代思想に於ける「帝国論」とは、アントニオ・ネグリマイケル・ハートの『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』を嚆矢とする。大まかに要約してしまうと、グローバリゼーションが行き着くところまで行き着いてしまうと、覇権国家の振る舞いは「帝国」的なものとなるといったような意味なのだが、では「帝国」的な振る舞いとは何ぞや、という定義論についてはいまだ確たる収束を見ていない。
 というか、「<帝国>的な振る舞いをするのは「国家」だけではないのではないか」という問いかけもなされており、そうなると、先日ここで紹介した田中明彦の『新しい中世―相互依存深まる世界システム (日経ビジネス人文庫)』とも繋がってくる。
 ネグリはこうした「帝国」と対置する概念として、民衆や企業による国際的なネットワークを指す「マルチチュード」を定義しているのだけど、そうすっぱり対置できるものではなく「中世」的なグレーゾーンを挟んでこの両者はシームレスに結合しているのではないかと個人的には見ている。
 が、まぁ、それについてはひとまず措く。
 この本はそうした「帝国論」を巡る議論の「ひとまずの中間報告」として編纂された論文集で、米国、EU、ロシアに「辺境国家に於ける現象としての<帝国>」としてモンゴルの事例を取り上げるなど、多様な視点でこの問題を浮かび上がらせようとしており非常に興味深い。
 要は世界のパワーラインの構造がどのように変化しつつあるのか、ということではあるのだが、それを捉えんとする概念のひとつが「帝国論」であり、だがいまだ完成まで道半ば、といった辺りを概観せんとする本である。
 
 で、何でまたそんな本を読んでいるかというと、これから書こうとしている作品の世界観の構築のためだ。
 いや、別に世界システム論自体がやりたいわけではないのだが、テロものの小説を書こうとするからには、やはり背景にあるパワーラインの設計からやっておかないと、非常に薄っぺらいお話になってしまう。
 まぁ、そうは言っても、それ自体がメインテーマではないので、直接『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』だの『マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)』『マルチチュード 下 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス)』辺りまで手を出すつもりはなく、こうしたガイドブック的な本でお茶を濁そうという辺りが姑息と言えば姑息なわけなのだけど。
 ……でも、そこまで本気で突っ込んでいったら、それだけで数年は掛かっちゃいますからね。
 博士論文書いてんじゃないんだから、さすがにそこまではやれまへんて。