積読日記

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義忠『王子様とアタシ』第5回


    5

 娘時代に夜な夜な出歩いていた──というと聞こえが悪すぎるが、中坊時代にホームグラウンドにしていた十番町界隈は、半ば予想通り、辻々に警官が立つ厳戒態勢下にあった。
 それも当たり前っちゃ当り前の話で、ルナのセンサーに頼るまでもなく、このひと月で八件も宝石店強盗は発生するわ、ましてや各国の大使館も近い地区ともなれば、どんなに不祥事だらけの警察だって真面目に仕事しようって気になるだろう。
「さすがにこの厳戒態勢で宝石強盗なんて、いくら妖魔だって無理よ」
 路上をふらついているとこっちが犯人扱いされそうな雰囲気に、慌てて飛び込んだコンビニから外を眺めつつ、アタシはルナに小声で言った。
「昨夜だってこんなもんだったよ」あっさりとルナは言ってのけた。
「だから、ぼくらには自分たちの姿を地上(こっち)の人間に認識させない魔法があるんだって。それを使えば、人間の警官隊なんて何人いたって同じさ」
 ……人間様を舐めやがって、こいつら。
 しかし、これではスクープどころじゃない。この分だと、今夜襲撃されるというその店まで辿り着けるかどうかも怪しい。
「どうやって、店まで近づく気よ?」
「だから、僕等もその魔法が使えるんだってば。自分達に掛けて現地に向かえば、誰にも気づかれないよ」
 なるほど。
「じゃあ、とっとと現地に向かいましょう」
 アタシは夜食のおにぎりとお茶のペットボトルの入った袋を片手にコンビニを出ると、後輩のライターから貸しを取り立てる形で徴発したクリーム色のベスパにまたがった。何をやるにせよ、まずはメシと機動力というのが、駆け出し時代に先輩から叩き込まれた編集者の心得だ。バイクなら逃げ出す作家も追いかけられるしな。
 これも後輩から取り上げた少し大き目のヘルメットのアゴ紐をきつく締めると、キック一発でベスパを目覚めさせる。
 そして軽やかなエンジン音とともに、アタシは戒厳令下の夜の十番町界隈へ滑り込んでいった。
 
 その店は十番町の外れ、賑やかな商店街から距離を置いて、個人の邸宅や大使館が並ぶ入り組んだ界隈の一角にあった。
 シャッターが下りているとはいえ、いわゆる一般的な宝石店のきらびやかさとは無縁の、地味な店構え。ツタに絡まれた小さな看板をよくよく見れば「宝飾店」の三文字を見つけることが出来るが、それとてもライトアップされているわけでもなく、何やらとりあえず屋号ぐらいは掲げておかないととでも言いたげな、いい訳じみた大きさだった。
 今時インターネットにHPも設けてないこの店は、一見さんのちゃらついた一般客など相手にしない、本物の金持ちだけを相手にしている店だった。というか、その筋系のライターから仕入れた話では、どちらかといえば財界関係者やら政治家、宗教法人などが主な顧客で、脱税の片棒を担いでいるだとか、海外の盗品を密かに政財界の大物に融通してるとか、とかくいろいろ噂のある店のようだった。
 ルナに言わせると、「こういう店で扱っている宝石の方が、エナジーの回収には効率がいいのさ」ということらしい。
 ……何か、どんどん取り返しのつかない方向に足を踏み入れてないか?
 店からワンブロック手前でベスパから降り、角からひょいと首だけを突き出して店の様子を眺めていたアタシは、げっそりと溜息をついた。
 表通りの店があれだけ次々と襲われているのにも関わらず、巡邏(パトロール)の警官の姿をひとりたりと見かけないのは、警察もこの店の存在に気づいてないのか、はたまたどこかの筋から近づくなとでも言われているのか。
 昼間でさえあまり人通りの多くなさそうな細い路地を、等間隔にならぶ街灯の光がさびしげに照らしている。この辺の邸宅はどこも鬱蒼(うっそう)とするほど木々が生い茂っていて、それが喧騒を吸収しているのか、たいして離れているわけでもないのに表通りからの気配がまったく感じられない。
 しんと静まり返った深夜の住宅街の辻に立ち、ひとり(プラスぬいぐるみ一匹)で得体の知れない「妖魔」の出現をじっと待ち続けるというシチエーションを冷静に考えれば考えるほど、真剣に己の正気を疑いたくなってくる。
 つか、これで妖魔じゃなくて、大物政治家とかどこぞのヤクザとかの余計なスクープをモノにしてしまったら、この寒空に東京湾で海水浴でもさせられる羽目になりかねんな。
 やっぱりやめて帰ろうか、と振り返ると、ルナが例のステッキをアタシの鼻先に突きつけてきた。
「ちょっと! 危ないでしょ!」
「いや、だってマーキュリーの変身ステッキだよ。ちゃんと持っててもらわないと、いざというとき変身できないし」
「…………」
 アタシは眉間を軽く揉んで言った。
「変身なんかしないわよ」
「え? じゃあ、どうやって戦うのさ?」
「戦わない」アタシはきっぱりと宣言した。
「ええっ!? じゃあ、なんでここまで来たのさ?」
「スクープものにしに来たに決まってんじゃない。用が済んだら、とっとと帰るわよ。そのためにベスパだって借りたんだし」
「だ、だって、マーキュリー!」
「だってもヘチマもない。あんたらの益体もない地域紛争なんか首突っ込む気はないの。ヘタレ王子がどうなろうと知ったこっちゃない。こっちはこっちの生活ってものがあんだから。第一、この歳になってあんな恥ずかしい服着れるかっての」
「いや、あの頃とそんなにサイズ変わってなさそうだから、全然平気──」
「喧嘩売ってんのか!? あんた!」
 ぬいぐるみの胸倉を引っ掴んだその時、不意にぞくりとした悪寒が背筋を駆け抜けた。
「あぶない!」
「きゃっ!」
 中空に軸点も定まらずに浮かぶぬいぐるみのものとは思えない強い力でルナに突き飛ばされ、アタシはその場に尻もちを付いた。
「ちょっと、何すんの──」
 と言いかけ、すぐそばの路上に深々と串のような物が数本突き立っていることに気づいた。位置関係と入射角からいって、あのまま立っていたら、この串はすべてアタシの後頭部に突き刺さっていただろう。
「な……っ!?」
「さすがは旧国軍親衛隊にその人ありと謳われた魔導将軍ルナ殿ですな。そんなぬいぐるみに身をやつされていても、感の鋭さはご健在のご様子」
 上から降ってくる言葉を追って見上げると、月明かりを浴びながら電柱の上に誰かが立っていた。
 
 目を凝らしてみると、月下とはいえひどく青白い肌に大きく吊りあがった口元と尖った耳が特徴的な、痩身の男がこちらを見下ろしている──妖魔!?
「おっと、接続を切ろうとしても無駄ですぞ」
 妖魔が不敵に笑ってぱちんと指を鳴らす。
 と、周囲の世界から一気に色彩が失われてゆく。
「封鎖空間!」
「ご名答。あなたに逃げられたのでは、こうして罠を張った甲斐がなくなる」
「罠!?」
 思わず顔を見合わせるアタシとルナへ、妖魔は苦笑しながら告げた。
「正直、こっちも煮詰まってましてね。地上に出てきたはいいが、王子の消息はさっぱり掴めない。そこで、こうして魔法を使って派手に暴れていれば、王子を知る関係者がしゃしゃりでてくるだろうからそこを押さえようと。いささか頭の悪いやり方ですが、それだけこちらも追い詰められてたのですよ。
 しかし、それも甲斐なく、そろそろ諦めようかと思いかけていた矢先に大金星だ。亡命者どもの首魁である将軍、あなたを捕らえられるとは!」
 妖魔は喉を小さく鳴らして嗤(わら)い、続ける。
「さぁ、魔力回線は固定しました。後はその端末を押さえて逆探知すればあなたの本体に辿り着ける。そこに王子もいらっしゃるのですかな?」
「ちょっと、ルナ、どうすんのよ?」
 さんざん偉そうなこと言っといて、何よこの様(ざま)は──と、怒鳴り掛け、ルナの口元が邪悪に歪んでいることに気づいた。……いや、ゲーセンの景品レベルのぬいぐるみにそんな高尚なギミックが付いてるはずもないのだが、雰囲気的にそんな感じでってことで。
「雑兵」
 ずけりとルナが言い放つ。これまでの子供じみたハイキーな少年声とは打って変わって、地獄の底から這いあがる魔王のような低音(バス)だった。
「戦場では口数の多い兵士から死んでゆくものだぞ」
「ようやく本性を出していただけるようですな、将軍」
 妖魔もまた口の端(は)をつり上げながら告げる。
「率直に申し上げましょう。エージェントとしての私の任務は王子を王国に連れ戻すこと。しかし、個人としての私がこの任務を志願したのは、あなた──将軍、あなたもまたこの地上世界にいると聞いたからです」
「ほう」
「覚えておられますか、将軍。エドレイト渓谷のリネ村」
「さて……?」
「深い雪に閉ざされた長い長い冬の終わりに、わずか数日の間だけ渓谷を埋め尽くす美しいリネの花──特産品といえばその根を煎じた薬茶ぐらいで、それを売って得るいくばくかの金だけが唯一の現金収入でした。後は地味の乏しい耕地を、村人皆が手を取り合って耕して、それでやっとつましい暮らしを維持していた、そんなたわいもない小さな村です」
 遠く懐かしむような、優しく慈しむような、穏やかな声で妖魔が語る。……だがそこに、とことんろくでもない予感をひしひしと感じてしまうのは何故だろう?
 ぎしぎしと音さえ聞こえそうな緊張感にアタシが竦(すく)みあがっているその横で、神経を逆撫でするようなすっとぼけた口調でルナが首をひねった。
「はて、さっぱり思い出せんな」
「なるほど、あなたにとっては路傍の石くれを蹴り飛ばした程度の話なのでしょうな。しかし、私にとってはかけがえのない故郷だった──あなたの軍勢に焼き払われるまでは!」
 妖魔はかっと両目を瞠(みひら)いた。
「田畑は踏みにじられ、男達は年寄りから幼子までことごとく剄(くび)を刎(は)ねられた。家畜や女達も奴隷商人に売り飛ばされ、後には屍体と焼け落ちた家々しか残らなかった!」
「なるほど。北伐の際に行軍の途中で立ち寄った村のひとつか。思い出せずにすまん。だが、お主の村が特別だったわけでもなくてな」
 ルナは恐るべき台詞をさらりと口にした。
「部隊の後背の安全を確保するために、分離主義者どもに汚染された村はすべて『消毒』して通過することになっておってな。後のことは知らん。占領した村落の経営は、兵站を任せた商人達の責任だ」
「…………」
 それはおまえ、立派な戦争犯罪じゃねぇか、と突っ込みを入れるには、あまりに重い空気にアタシはぱくぱくと口を開け閉めしていた。その割には、ルナの物言いには、ひと欠片の罪悪感も感じられない。どういう神経してやがるんだ、こいつ。戦争犯罪なんてしでかす悪党は、みんなこうなのか?
 あまつさえ、この外道なぬいぐるみは、こう言い放って話を丸めようとした。
「あれは戦争だったのだよ。当時の時代状況を無視して、くだらん倫理観など口にしても始まらんだろう」
 もはや罪の意識どころか当事者意識すらあるのかどうかも怪しい、あっけらかんとした口調で、ルナは言ってのけた。
 勘弁してくれませんか。いや、もう、本当。
「戦争? 分離主義者? 『消毒』だと?」
 声に微かな震えが混じり始めた。どうやら妖魔の忍耐力は、順調に限界に向かって突き進んでいるようだった。
「あの村にまともな兵力なぞなかった。年寄りと女子供しかいなかったんだぞ。めぼしい若者は近隣の領主に兵隊として連れてかれるか、街に出稼ぎして出払っていた。武器だって、鋤(すき)や鍬(くわ)ぐらいだ。『分離主義』なんて言葉、理解できる者もいなかったろう。
 ……貴様のやったことはただの虐殺だ。一部の理もない」
「理ならある」平然とルナは応えた。
「ワシに与えられた任務は、北方辺境領で反動分離活動を行っている者たちを討伐し、王宮の威をもって地域の治安と統制を復することにあった。だが、疲弊した王宮から動かせる戦力は、このワシの身ひとつ。金も兵員も武器も食料も、すべて現地で調達せざる得なかった。
 だから、商人達の手を借りて資金と兵站を確保した。見返りに、奴らに利益が出るよう便宜を図ってやる必要があった。
 現地で集めた兵の質は低かった。貴様のいう通り、ひとり一人の兵は貴様の村のような貧しい村落の出のものばかりだ。教養もない、大義など理解もできない。そんな寄せ集めの連中に武器を与え、人殺しの技を教え、体力を鍛え上げ、いざとなれば進んで死ねと命じる。彼らにも『見返り』は必要だ。大戦(おおいくさ)の前であれば、なおのこと、な。
 だからワシは、一軍の長として、限られた資源(リソース)で『北伐』という事業を実現するために、必要な措置を取った。それ以上でもそれ以下でもない。──だから言ったろう、あれは『戦争』だったのだ」
「…………」
 完全な確信犯かよ、こいつ。どんな大惨事を引き起こそうと、絶対に責任を認めようとしない官僚の答弁を聞かされているような気分だった。いや、精神構造としてはまったく一緒なのだろう。畜生。何が「魔法の王国」だ。そこにもないなら、夢だの希望だのってのは、どこに行けば手に入るってのよ。
 何にせよ、被害者が聞いて癒される話ではない。
「ふっ……ざけるっ……なっ!」妖魔は怒りに全身を震わせ、今にも破裂しそうだった。
「貴様のその手前勝手な理屈で、父も、母も、兄も、弟も、妹達も無惨に踏みにじられねばならなかったというのか? 屍(かばね)を野に曝されねばならなかったというのか?」
「何を言う」ルナは鼻で嗤(わら)った。
「貴様とて、ここにくるまでにどれほど多くの命をその手で手折ってきた? そこに理不尽な命令はなかったか? すべての任務が納得のできる殺戮だったか?
 軍人だろうとエージェントだろうと、職業的殺戮に善悪の彼岸も貴賎もない。ある種の政治的妥協の産物として任務があり、それを遂行する意志と行動があり、結果としての屍体が残る。それはいつの時代、どこの世界でも変わらん。そこにくだらん情動が紛れ込むのは、貴様が不出来な半端者だと白状しとるに過ぎん。そんな半端者に、このワシを殺れるとでも本気で思っているのか?」
 何か、相手の方が可哀想になってきた。つか、完全にこっちの方が悪役じゃねぇか。
「黙れ! 黙れ! 黙れっ!」
 あ、切れた。
「殺す。貴様は殺す。貴様だけは、地の涯(はて)、天の頂(いただき)、冥界の奈落の底まで、どこまでも追い詰めて殺す。その依代(よりしろ)から辿って、必ずや貴様の本体を見つけ出し、一寸刻みにその身を切り刻み、貴様の目の前でひと欠片づつ焼き尽くして殺す。絶望すら救いとなるほどに、ありとあらゆる苦しみとともに殺す」
「生憎だが、貴様には無理だ」ルナは断言してアタシを指差した。
「ここにおわすのをどなたと心得る。先代クィーンにその引導を渡した五人の聖戦士がひとり、マーキュリー殿よ。貴様ごとき雑兵なぞ、相手にもならんわ」
 余計なことを言うな! アタシは戦わないって言ってんだろが!
「なるほど、そうか。そういうことか。そういうことなのだな」
 妖魔が絞るように喉を鳴らす。あー、嫌な予感がする。
「元はと言えば、貴様ら地上人がそ奴の口車に乗って、首を突っ込んできたのが諸悪の根源だ! その所為で、そこの悪党が君臣面で王国の財政を喰い散らかし、挙句の果てに兵を弄んで全土を修羅の巷(ちまた)に引きずり込んだのだ!」
「ただの逆恨みのコジツケだよ、マーキュリー。気にしちゃだめだ」
 ころっと少年声に戻ったルナが、耳元で囁く。
 おまえはもう黙れ。
 もはやこの腐れぬいぐるみへの一切の信用を捨て去ったアタシは、胸の埋(うち)で吐き捨てた。こいつがアタシに話して聞かせた内容は、ほぼ確実に、自分に都合良く事実を捻じ曲げたものに違いない。はっきり言って、人間性という観点では、目の前の妖魔の方が遥かに信頼が置ける気がする。……どうもひしひしと感じる殺意だけが、相互理解への大きな障害ではあったが。
「何でもいい。これ以上、ぐだぐだと話を続けても始まらん。女! まずは貴様から死ね!」
 うわ、やっぱりそう来たか。
「己の無責任な行動が何を招いたか、じっくり地獄で顧(かえり)みるがいい!」
 そんなことを言われても、はいそうですか、とは肯(うなず)けない。目の前の妖魔をはじめとする王国の人々の辿った不幸な運命には、真実、胸が痛む。しかし言っちゃ何だが、アタシの所為じゃなかろう。年端もいかない少女達を騙くらかして、地域紛争の手駒として使ったそこの下衆なぬいぐるみにこそ怒りの矛先は向かうべきで、何だったらアタシも手を貸してもいい。…………。
 などと、そんな主張をのんびり口にする暇なぞあるはずもなく。
 電柱の上で、妖魔が高く掲げた右腕を鋭く振り下ろす。高周波の風切音。鞭のようにしなやかに伸びたその爪が、斬撃となってアタシに襲い掛かる!
 とっさに路上に転がって紙一重でその攻撃を避けたものの、背後では分厚いコンクリの壁とベスパがチーズのようにきれいにスライスされていた。
「な、な、な、なななな──っ!」
 自分でも何を言っているのか判らない。「ベスパ」「全損」「弁償」といった単語の編隊が、爆音も高らかに頭の中を旋回する。いや、バカ。そうじゃないだろ。借りたバイクでも保険って効くのかしら。違う、そうじゃなくて。こうなったら、意地でもこのスクープを金にして。だからバカ、そっちでもない。
 いいから、とにかく、今はただ──
「逃げろ!」
 自分自身に言い聞かせるように大きく叫ぶと、アタシは路上から跳ね起きて脱兎のごとく駆け出した。
 
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