積読日記

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義忠『彼女の戰い』第3回

Scene 03

『はい、洞木(ほらき)です。只今、家族ともに外出中ですので、それぞれの携帯へおかけ直しになるか、発信音の後にメッセージを――』
 軽快な洋楽ポップスをBGMにした留守電のメッセージ。声質はよく似ているけど、この落ち着いた喋り方は、一学年上のヒカリのお姉さんのものだろう。ヒカリ自身の声じゃない――そんなことにすら安堵感を感じかけている自分を軽く嫌悪しながら、発信音を耳にする前に公衆電話の受話器をおいた。
 惨劇から一夜明けた翌朝――
 ジオフロントにある本部医局施設のロビー。仮にも病院とは言え、その性質上、外来患者がほとんど存在しないためか、アタシ以外の人影は見当たらない。くわえて外部からの採光を最大限に考慮した設計のおかげもあってか、朝の陽光にあふれたフロアはやけに広く感じられた。
 携帯にかけるつもりはない。この時間ではヒカリの携帯にはつながらない。真面目なヒカリは、学校では携帯をオフにしている。バカ正直に校則を守っているのだ。
 他の娘の携帯にかけてヒカリに取り次いでもらうことを思いつき、すぐに壁にぶちあたった。ヒカリから紹介されたクラスメートの女の子達何人かと携帯の番号を交換していたはずだが、どれひとつとして思い出せない。こちらからかけたことなんてないし、向こうからかかってくることもない。向こうにしてみれば、アタシがEVAのパイロットとして教師達から特別扱いされていることや、男子からモテてることなどがよくよく気に入らないらしい。学校の男子どもなんてうざいだけなのに。そんなことで嫉妬している連中のバカさ加減には、こっちもうんざりだった。ヒカリという接点が存在しなければ、クラスの女子なんかと口をきくこともなかったろう。
 そう、ヒカリがいたからアタシは――
「ごめんね……ヒカリ……」
 公衆電話から吐き出された赤いNERVのカードを見つめながら、アタシは小さく呟いた。
 
 ファーストと共に収容されたVTOL機の機内で、ミサトの口から遅ればせながらの状況説明を受けた。
 まず使徒に乗っ取られたEVA参号機は、シンジの乗る初号機によって殲滅された――エントリープラグ内の鈴原とともに。
「そんなバカな!?」
 確かにシンジは参号機に鈴原が乗っていたことを知らなかった。アタシがつまらない意地を張って教えなかったからだ。
 だが、それでも自分と同年代の子供が乗っていると言って、闘うことを嫌がっていた。積極的に自分から敵に向かっていったとは思えない。それともアタシが倒され、ファーストまでもが傷つけられたことで逆上したとでもいうのか? それなら少しは判らないでも――
「……違うのよ、アスカ」
 そう言ってミサトが絶望的なまでに苦い口調で切り出した説明は、アタシの予想を完全に越えたおぞましいものだった。
 シンジは戦闘を拒否した。アイツの性格を考えれば当然の反応(リアクション)だった。あげくに参号機の攻撃でやられそうになってまでその意志を貫いたというのだから、見上げた根性というべきだろう。少しは見直してやってもいいかもしれない。
 だが使徒への敗北は人類の滅亡を意味する――そして、それを阻止するためにこそEVAと、そしてアタシ達の存在意義がある。
 シンジの態度に業を煮やした司令は、初号機の操縦系統をダミーシステムに切り替えるよう命じた。
「ダミーシステム?」
「詳しい話は、アタシも聞かされてないんだけど……」
 要するに人工的に偽装情報を構築して、EVAに適格者(チルドレン)が乗っていると錯覚させるシステムなのだそうだ。司令の指示でリツコ達が密かに開発していたらしい。作戦担当者であるミサトにさえその存在を教えずに。
 ぞっとしない話だった。そんなものができたなら、アタシ達はEVAに不要な存在となる。
 だが幸か不幸か――いや、この場合は「不幸にして」と言うべきだろう――ダミーシステムは不完全なものだった。
 ダミーシステムにスウィッチし、シンジの意志から切り放された初号機は、攻撃本能を全開にして参号機に襲いかかった――つまりは「暴走」。
 そして使徒は殲滅された――初号機によって。
「それで、参号機のパイロット……鈴原は……?」
「…………」
 ミサトが口を閉ざし、圧し黙る。沈黙は重く、こちらから訊ねることも躊躇(ためら)われた。
 しばらくして、見かねた加持サンが後を引き継いだ。
「……ひとまず一命は取り留めたそうだが、重症だ。現在、本部医局の集中治療室(ICU)で治療中だ」
「そんな……」
 一瞬、ヒカリの悲しむ表情が浮かび、胸が締めつけられた。「鈴原に食べてもらうんだ」といって作ってきたヒカリの手作り弁当を、参号機の起動実験に参加するために欠席した本人に代わって一緒に食べたのは今日の昼のことだ。だが機密情報であることを理由に、ヒカリには何も話していない。「鈴原、明日は学校に来てくれるよね」と不安げに口にしたときも、アタシは適当にお茶を濁すような受け答えしかしなかった。本当は、シンジばかりか鈴原のようなどこにでもいるような子供が適格者(チルドレン)に選ばれるという不快な現実に触れたくなかっただけなのに。
 鈴原にもしものことがあったら、アタシはヒカリに取り返しのつかない負い目を一生背負うことになる。すべてがアタシの責任ではないにせよ、アタシは親友とその恋に対して誠実であったとはいえない。友情という関係性においては、それだけでも責めを負うに相応しい罪状であるに違いないのだ。
 そこまで考えて、不意にどうしても確認しておかねばならないことを思い出した。
「シンジは? シンジはそのことを知ってるの?」
「……ああ。知っている」感情を排した声で加持サンは答えた。
「そして、その事実を知った彼は、本部に収容されてから碇司令に謝罪を求めて初号機に篭城し、強制排除された」
「なんですって!?」
 それでアタシ達の収容が遅れたのだ。本部施設内でEVAになぞ暴れられた日には、NERVはその場で壊滅してもおかしくない。アタシ達の扱いが後廻しになったのも無理はなかった。
 気持ちは判らないでもない。アタシがアイツでも同じことをやったかもしれない。
 だが、極めつけにまずいやり方だった。ただで済むはずがない。
 アタシはとっさにファーストの方を盗み見た。機内灯の硬質な照明の下で、人形じみた端正な表情が心なし強張(こわば)っているように見えた。
「アタシの所為だわ……」呻くようにミサトが呟いた。
「アタシがもっと早く参号機のパイロットのことをシンジ君に話していれば……」
「自分ひとりを責めるのはよせ」加持サンが言った。
「今度の件では誰もがあやまちを犯してるんだ。ミサトだけじゃない。オレやシンジ君もそうだ。誰かひとりが責任をとって済む問題じゃない。今はそれぞれができることをやってゆくしかない」
「…………」
 ミサトは何も応えなかった。
 加持サンもそれ以上、何も言わなかった。
 ファーストは無言で機外の闇を眺めている。
 アタシは、加持サンがミサトのことを名字ではなく名前で呼んだことに気づいていた。加持サンの視線が常にミサトへと向けられていることに気づいていた。アタシには慰めの言葉ひとつかけてくれないことにも気づいていた。
 そしてクラスメートの安否や親友のことよりも、そんなことに傷ついている自分がたまらなくイヤだった――
 
 それから、ミサトとともにまっすぐ本部医局の施設に連れてかれたアタシ達は、簡単な健康診断を済ませただけで鎮静剤を投与され、担当医から今日はそのまま休むように命じられた。帰投後に義務づけられている戦闘神経症(シェル・ショック)の診察や、本部への公式な戦闘報告(デブリーフィング)は翌日廻し。あてがわれた病室のベッドに横たわると、すぐに引きずり込まれるようにして睡魔の泥沼に沈んだ。
 翌朝――つまり今日の朝、目が覚めると既にミサトの姿は病室になかった。現場検証の立会いだとかで現地に向かったのだという。加持サンの姿も見当たらなかったが、そっちの理由はいつものごとく不明。今更さわぐ気にもなれない。
 結局、廊下で看護婦をつかまえ、シンジと鈴原のいる病室の場所を聞き出した。
 病室の前では、ファーストが長椅子の端にちょこんと腰掛けていた。相も変わらずの無表情だったが、まるで子供の身を案じる母親のようにも見える。なぜか妙にイヤな気分になり、アタシはすぐにファーストから目を逸らして病室のドアを開けた。
 薬物を投与されて眠っているだけのシンジはともかくとして、重傷を負ったという鈴原も、酸素吸入器や医療計測機器などに囲まれてはいたものの、さほど酷い怪我をしているようには見えなかった――不自然に沈み込んだ左脚の部分の布団の形の意味に気づくまでは。
 顔見知りの人間の身体からあるべき器官が欠落しているという現実から受けたショックは、予想以上に大きかった。
 逃げ出すようにして病室を飛び出したアタシは、気がついたらロビーの公衆電話の前で立ち尽くしていた。
 やがて三〇分近い時間をかけて受話器を手に取った結果がさっきの留守電だったのだ。
 シンジ達の病室の前に戻ると、ファーストはまださっきと同じ場所に座っていた。アタシは病室の中をちょっとだけ覗いて、さっきと何も変わっていないことを確かめると、ドアのそばの壁に背中をもたれて言った。
「――ダメかも知れないわね、あのバカ。立ち直れないわよ、きっと」
「碇クンは?」
「怪我はしてないんだし、そのうち気づくわよ。今ごろ夢でも見てんじゃないの?」
「夢……?」
「そ。――アンタ、見たことないの?」
 ファーストは何も応えなかった。
 本当に見たことないんじゃないかと、アタシは漠然と思った。
 
 戦闘神経症の診察は、午後になってから医局施設内の一室を借りて行われた。
 ベッドを取り払った殺風景な病室に医療計測機器やコンピュータの類(たぐい)が持ち込まれ、何人かの白衣を着たカウンセラー達にリツコ直属のショート・カットの女性士官が立会人として同席していた。いつもはリツコ本人が立会うのだが、今日はそれどころではないのだろう。
 診察そのものは一般的な心理テストを組み合わせたものだ。カウンセラーとの問答の際の反応(リアクション)や声質などに顕(あらわ)れるストレスを計測したり、ロールシャッハ・テストや単純な四則計算を規定時間いっぱい繰り返させられるクレペリン・テストなど、取り立てて怪しげな検査をするわけじゃない。
 それらの検査を通じて戦闘神経症の後遺症や情緒の安定度がチェックされ、その結果はEVAの操縦系インターフェイスの調整やアタシ達チルドレンの訓練プログラムに反映(フィードバック)されている――らしい。本当のことを言えば、自分の検査結果すら教えてもらえたためしがないので、どこにどう反映されているのか判断がつきかねた。実際にはこの手のデータが何に使われているのか知れたものではない、とアタシは睨んでいる。
 結局、間の休憩を含めて三時間ほどかかった。いつもよりやや長めだったのは、鈴原の件がアタシ達の精神に与えた影響の大きさを診るためだろう。病室の鈴原を見舞ったときの動揺は、若干の時間をおいたこともあってうまく抑え込めたと思う――もっとも、どのみちこの手の検査で誤魔化しはきかないのだが。
 一通りテストが終了し、次に診察を受けるファーストと交代した時点で、伊吹二尉と呼ばれていた立会い士官から準待機へのシフト変更を知らされた――つまり、「帰ってよろしい」ということ。
 プラグスーツから制服に着替えたものの、そのままウチに帰る気にもなれなかった。ウチに帰ったからといって誰が待っているわけでもない。ミサトは夜になっても帰ってこれるか怪しかったし、シンジは依然、病室のベッドの上だ。
 気がつくと足は自然とシンジ達の病室に向かっていた。
 鈴原はともかく、シンジの方はそろそろ目を覚ましていてもいいはずだ。会っても何を話せばいいのか思いつかなかったが、なぜか無性にアイツの無事な姿を確認したかった。それはたぶん、昨日からあまりにも色々なことが起こりすぎた所為だと思う。それをシンジに相談しようなどというつもりはまるでなかったが、それでも心のどこかで日常の感覚に戻りたいと願う気持ちがあり、同居人の無事を確かめることでそのきっかけとしたがっているのかもしれない。
 しかしそれは、アタシ自身の「弱さ」の顕(あらわ)れではないのか?
 アタシ自身が憎んでやまない「弱さ」ではないのか?
 わからない。そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
 答の出せないその問いを胸に抱えたまま病室の前まで戻ると、そこには意外な人物が待っていた。
「加持……サン?」
「……アスカ……」
 一瞬、アタシに会いに来てくれたんじゃないかという期待に胸が高鳴る。
 が、加持サンの表情に浮かぶ苦い翳(かげ)に気づき、すぐにそれが幻想に過ぎないことを悟った。
 そのとき、不意に病室のドアが開き、黒いスーツ姿の屈強な体躯の保安部員が姿を現した。
 保安部員がサングラス越しに加持サンに視線を向ける。
「では」
「ああ」加持サンが頷く。
 保安部員も小さく頷き返し、背後を振り返って顎をしゃくった。
「いくぞ」
 その言葉を合図に、学生服姿のシンジが突き飛ばされるようにして病室から出てきた。
「シンジ……!?」
 両手は無骨な手錠で厳重に拘束され、その瞳にはここにはいない誰かへの憎悪の光が宿っていた。それはアタシのよく見知った気弱で優柔不断な少年のものではなく、あらゆる保護と同情を拒絶する手負いの野獣のようで、アタシを困惑させた。
「シンジ!」
 思わずあげたアタシの声は、無視された。シンジは振り向きもしなかった。数人の保安部員達に取り囲まれて、そのまま連行されてゆこうとする。
「ちょっと、シンジ! 待ちなさいよ、アンタ――!」
「よせ、アスカ」
「だって――!」
「よすんだ」加持サンはアタシの肩を掴んで言った。
「彼自身、こうなることは覚悟していたはずだ。いまさら何を言っても無駄だ」
「……どうなるの、アイツ?」
 アタシは去ってゆくシンジ達の背中を見つめたまま、訊いた。
「チルドレンとしての登録を抹消――碇司令はその線で処理するつもりだ。実際には委員会の裁決事項だが、この件に関してはたぶん司令の主張がそのまま通るだろう」
「そんな……」
 だが、一瞬、疑念がよぎる。
 貴重なはずの適格者(チルドレン)をそう簡単に切り捨てられるものなのか――
 いや。本当は貴重でも何でもなかったのだろう。優等生(ファースト)。アタシ(セカンド)。シンジ(サード)。鈴原(フォース)。……。同じような年頃の子供なら、きっと誰でもよかったのだ。
 だけど……だからこそ――
「シンジ!」気がつけば、アタシは叫んでいた。
「アンタ、それでいいの!? こんな終わり方でいいの!?
 アンタ、こんなことのためにこの街に来たっていうの!?」
 シンジが足を留めた。その背中に、アタシは昂(たかぶ)る感情をそのまま叩きつけた。
「アタシはいやよ! アタシはアンタとは違う。
 アタシは逃げ出したりなんかしない。
 この街で戰って、勝って、生き延びてみせるわ――絶対に!」
「…………」
 返ってきたのは沈黙だけだった。それがよけいにアタシの怒りを掻き立たてる。
「何とか言いなさいよ、このバカシンジっ!!」
「アスカ!」
 飛びだそうとするアタシの肩を、加持サンが抑える。
 保安部員にうながされ、再びシンジが歩き始めた。
「……バカシンジ……」
 アタシの呻くような呟きが聞こえたのかどうか。
 ついに最後までシンジが振り返ることはなかった。
                                 >>>>to be Continued Next Issue!