積読日記

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竹宮ゆゆこ『とらドラ!1 (電撃文庫)』〜『とらドラ! (6) (電撃文庫 た 20-9)』、『とらドラ・スピンオフ!―幸福の桜色トルネード (電撃文庫)』

とらドラ!1 (電撃文庫)

とらドラ!1 (電撃文庫)

とらドラ〈2!〉 (電撃文庫)とらドラ〈3!〉 (電撃文庫)とらドラ! 4 (電撃文庫 た 20-6)とらドラ! (5) (電撃文庫 た 20-8)とらドラ! (6) (電撃文庫 た 20-9)とらドラ・スピンオフ!―幸福の桜色トルネード (電撃文庫)
とらドラ!逢坂大河 (1/8スケールPVC製塗装済み完成品)レジーニャ とらドラ! 川嶋亜美 (1/7スケールPVCフィギュア)レジーニャ とらドラ! 櫛枝実乃梨 (1/7スケールPVC塗装済み完成品)
 アニメ化も決まったそうだし、次の新刊も10日に出るそうなので、その前にお約束の既刊の総括なぞ。
 
 お話の基本設定については、先日コミック版のレビューの際にやったのでそちらを参照いただくとして、全体を通して読んだ印象は女子の扱いが酷いというか、女子の存在自体が酷いというか(爆)。
 いや、ことにヒロインの「手乗りタイガー」こと逢坂大河の描写は酷い。本当に酷い。扱いが酷いだけではなく、性格がまた酷い。「美少女だがいつも短気で不機嫌」という基本設定なのだが、すぐに切れて主人公を罵倒する。
 それもあなた、女子の皆さん*1って、何でかしらんけど男子の繊細な神経を瞬殺するような、正確でクリティカルなプロの狙撃兵の仕事みたいな罵倒を容赦なくかますじゃないですか。それが機関銃並みの弾幕で襲ってくると思いねぇ。さながら凍てついた東部戦線で陣地へと殺到する赤軍兵士に向けて咆哮する、MG34機関銃の如し。こちとら、頭を上げる隙もねぇぜ。
 しかも彼女のライバル(?)的立ち位置の美少女も、自己顕示欲過剰で、二重人格一歩手前の性格破綻者で、ハラワタがねじくれた腹グロ女だ。これも、酷い。まったく酷い。
 この両者が激突する様なぞ、まさしく野生の王国。獣たちの供宴。両雄並び立たず。野獣死すべし。死して屍(しかばね)、拾う者なし。死して屍、拾う者なし。死して屍、拾う者なし。@『大江戸捜査網』
 そんな中でも一服の清涼剤、主人公が想いを寄せる元気少女も、元気を通り越してちょっと感性が妙だったり、後の方の巻では複雑な色合いの側面をかいま見せたりと、やはり一筋縄では行きそうにない。
 もうね、教室の片隅で「もう、キミのことなんか別に好きでも何でもないんだからね!」とか「勘違いしないでよね。キミのこと、幼馴染みだから、ほっとけないだけなんだから……」などと頬を赤らめてツンデレな台詞を言ってくれるクラス委員長(CV:釘宮理恵)とかどこかにいないかなぁ〜、などとボンクラな妄想に耽る電撃文庫の男子読者の抱く女子への願望とか憧れを木っ端微塵に粉砕し、ロードローラーで踏み潰し、砂利とアスファルトを敷いて、上から展圧機でしっかり叩いて叩いて舗装するかのごとき、酷い、本当に酷い作品である。
 まさに女子とは野獣であると、それを徹底して思い知らされる作品なのである。
 ……いや、まぁ、どんなに純真無垢な男子といえど、この程度のことは、身近に女兄弟(特に姉)がいたり、実際に女の子と付き合い始めれば、すぐに手痛い授業料とともに学んでゆくわけなのだけど。
 
 しかし、だ。
 獣が獣であるのは、誰のためか? その牙が鋭いのは何のためか? その爪が研ぎ澄まされているのは、何故か? どうして獣は荒野に咆えるのか?
 それはその見目姿を愛でる者たちのためなどではない。断固として、ない。
 それは彼女達の生き様(バトルスタイル)なのだ。
 斯く在ることが、荒野を生きる彼女達の存在証明(レゾンデートル)なのだ。
 なればこそ、彼女達は美しい。
 このまったくもって酷い野獣のような女子達の物語が、しかし同時に間違いなく魅力的なのは、ワガママであれ、不器用であれ、彼女達のパワフルな闘争の日々が、ごくごく素朴な生き物のとしての「生」の美しさに溢れているからだ。
 だが、それを言うなら少年達もまた、元より闘争の日々を生きる生き物ではないか。
 だからこそ、無様なほどに酷い姿を晒しながら、しかし懸命に闘う彼女達の姿に、男子もまた感じるものがある。
 そう。
 女性作家によって男子読者を対象に描かれたこの野獣のような少女達の物語は、憧れや理想の対象として遠くから眺めるのでなく、どんなに無様でも在りのままの自分を見て、同じ地平で肩を並べて闘う「戦友」として愛して欲しいと願う彼女達の新しい主張であり、宣言でもあるのだ。
 それはキミ、女子にそこまでの心意気を示されては、応えてやらずば男子(おのこ)とはいえまいよ。
 
 そんなわけで、最新の5〜6巻でラブコメよりも青春小説っぽくなってゆくのは、必然だったのかもしれない。
 また、その姿勢は、サブカルにおける女性論的な視点からも、意外と重要な位置づけのなされる作品となるのかもしれない。
 いや、勿論、そんな難しいことを考えなくとも、この作品は充分以上に面白いし、我らが「手乗りタイガー」こと大河嬢は、凶暴で愛らしい。この乱暴でワガママな娘さんが、自らの幸せよりも周囲の人々の幸せを祈り、ひとりで生きてゆく覚悟を固めつつあるように見えるここ最近の展開には、胸を締め付けられるような切なさを感じる。
 余計な事を一切考えず、作者の情熱的で力強い筆致に素直に踊らされている方が、読者としてよほど幸せなのだろうと思う。
 そんなわけで、ぐだぐだ考えていた頭でっかちな自分はぜ〜んぶ、ここで吐き出しましたので、後は素直にわくわくしながら最新刊の発売日を待つことにします。わくわく。

*1:一般化するな。