積読日記

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義忠『彼女の戰い』第6回

Scene 06

 オンフックのまま電話のリダイヤル・ボタンを押す。
 いい加減、聴きあきたいつものプッシュ音。コール五回で相手につながった。
『加持です。ただいま外出しています。御用の方はお名前とメッセージをどうぞ――』
 また留守電。このメッセージを耳にするのはもう何十回目だろう。
 アタシは受話器を取り――そのまま下ろす。
 何かを断ち切るように。
 断ち切ったことをその目で確かめるように。
 そして、その痛みに堪え抜く剛(つよ)さが己にあるのだと、必死で言い聞かせるように。
 夕暮れ時のダイニングで、アタシは黙然と切れた電話を見つめていた。
 どれほどの時間そうしていたのだろう。
 不意にペンペンが足下に摺り寄ってきて、鳴き声を上げた。
「そうね……ちょっと早いけど、晩御飯にしよっか」
 それを聞いてペンペンが嬉しげに鳴き、エサの器の前へととことこと歩き出す。
 その背中に小さく微笑むと、アタシはキッチンへと向かった。
 
 予備待機扱いにシフト変更を受けてから、三週間が過ぎた。
 本部からの連絡はほとんどない。実験や訓練のスケジュールが無期延期になったことを知らせる電話が一、二度あったが、それっきりだ。こちらから問い合わせたことも何度かあったが、すべて適当にあしらわれた。いっそ無視されているとさえ言ってもいいのかも知れない。
 NERVにとってのアタシの存在価値を示しているかのようで、勿論、いい気分はしない。
 学校は使徒の襲撃から三日後には再開していた。この街の住民の無神経なまでのバイタリティには頭が下がる。一般市民にもかなりの数の犠牲者がでていたはずだが、翌日には瓦礫の撤去と復旧作業が開始され、数日を経ずしてほとんどの商店が営業を始めていた。今ではテレビのワイドショーが何事もなかったかのように芸能人の不倫ネタで盛り上がっている――吐気がするほどタフなメンタリティ。
 だが、再開した学校に行く気にはなれなかった。結局、鈴原のことはミサトを通じてヒカリに伝えてもらっていたが、実際問題として、本人に面と向かったときどう接したらいいのか見当もつかなかった。素直に認めてしまえば、怯えてすらいた。ヒカリや知った人間と顔を合わせるのが怖さに、近所のコンビニに買物に行くのも人気の失せた深夜を選んでいたほどだ。
 ミサトはあれからずっと本部に泊まり込みだった。たまに着替えを取りに帰ってくるが、当たり障りのない会話を交わすぐらいでろくに口も利いていない。一日中、ウチに篭りっきりのアタシに小言めいたことを口にしたこともあったが、それ以上突っ込んでくることもなかった。いかにもこの女らしい態度なので、そのことにいまさら何の感慨もない。
 加持サンとは連絡が取れない。電話はいつも留守電――勿論、ミサトなんかに取り次いでもらうつもりもない。
 だが、留守と承知で何度も電話する自分は、加持サンにすがろうとしているのか、それともそんな己の弱さを断ち切ろうとしているのか……?
 いや、そもそも加持サンに電話に出て欲しいのかどうかさえ、自分でもよく判らなくなってきていた。
 そして、シンジは――まだ帰ってこない。
 
 ツナ缶入りのご飯に小魚を乗せたいつものメニューへ、ペンペンが嬉しそうにくちばしを突っ込んでいる。
「美味しい?」
 しゃがんで横で眺めているアタシの問いに、くわっ、という歓(よろこ)びに満ちた声が応ってきた。
「そ。よかった……」
 不思議なほど穏やかな気持ちになる――けど、それも一瞬のことだ。
 こんなものは欺瞞(ゴマカシ)だ――欺瞞(ゴマカシ)でしかない。
 アタシは苦い想いを噛みしめた。
 誰からも相手にされない寂しさを、ペンペンなんかで誤魔化そうとしている。
 独りで生き抜く覚悟や剛(つよ)さの欠如から、目を逸らそうとしている。
 ミサトと同じだ。実際、シンジがこの街に来るまで、ミサトはペンペンと二人だけで暮らしていたのだという。きっとこうして、アタシがいま感じているような寂しさを誤魔化していたのだ。
 いろんな事を誤魔化して、目を逸らして、都合のいいときだけペットや男にすがって――それはアタシが嫌悪するあの女の生き方そのものではなかったのか?
 アタシはいつからこんなに弱くなってしまったのだろう?
 アタシはもっと剛かったはずだ。剛くなければならなかったはずだ。
 それが、なんでこんな――
 目尻が熱を帯びはじめていた。感情の水位が、心の堤防を決壊しようとしているのが自分でも判った。
 そんなこみ上げてくる感情を必死で抑えようとしているアタシの顔を、ペンペンが怪訝そうな仕草で覗き込んでいる。
 アタシはどうにか笑顔をつくって、言った。
「……大丈夫よ、ペンペン」
 そう、大丈夫――まだ大丈夫だ。
 まだアタシは頑張れる。
 そうやって自分自身に言い聞かせていたとき、玄関でチャイムが鳴った。
 誰だろう、こんな時間に……?
 玄関へと向かいながら、アタシは不覚にもついに最後までドアの向こうに待つ人物の正体に気づかなかった。
「よっ、惣流。久しぶり」
「…………」
 メガネとそばかすの特徴的な相田――そしてその背後にはにかむような表情で立つヒカリを前に、アタシは言葉もなくただ立ち尽くすしかなかった。
 
「――で、まぁ、学校はとっくに再開してるってのに、惣流も綾波もいつまで経っても登校してこないだろ? しばらくは待機シフトの関係で本部に詰めてるからかと思ってたんだけど、いくら何でも三週間もってのはちょっと長すぎるし、親父やネット上で知り合ったNERV関係者から聞いた話だと防衛態勢(DEFCON)も通常レベルに戻ってるって言うじゃないか。
 それで、もしかするとウチにいるんじゃないかってんで、こうして出張(でば)って来たってわけさ」
 マンションの近くにある児童公園。
 沈みかけた茜色の夕陽の下で、ブランコに腰掛けたアタシは相田のやけに饒舌な説明を俯(うつむ)いたまま聞いていた。
 相田はアタシの隣のブランコに座るヒカリに目をやり、つけ加えるように言った。
「ま、実際に惣流に会いたがってたのは、むしろ委員長の方だけどな」
「…………」
 アタシは微かに頚(くび)を傾け、ヒカリの方を見た。
「鈴原のお見舞いに行けるように、上の人に話を通してくれたんでしょ?
 そのことで、どうしてもアスカにお礼を言いたくて……」
「……礼なんて……」
 アタシはヒカリの視線から顔を逸らした。
 そんなもの、とても言われた筋合いなんかじゃない。アタシはただヒカリから逃げ廻ってただけなのだから。
 それ以上、何も言えずに圧し黙るアタシにヒカリの方でも話の接ぎ穂を見失ったのか、重い沈黙が続いた。
 そこへ軽く肩をすくめ、相田が割って入った。
「委員長の用件はそういうことだったらしいけど、オレの方は別でね――」
 ずれかけたメガネを指で押さえながら、相田はどこか取っておきの秘密を明かすかのような響きを帯びた声で訊いた。
「なぁ、惣流。シンジ、帰ってきてるんだろ?」
「え?」ヒカリが驚いたように顔を上げた。
「碇クン、この街に帰ってきてるの?」
「ああ」相田は自慢げに頷いた。
「それどころかオレの聞いた話だと、こないだの敵を斃(たお)したのもシンジがやったんだって話だぜ。惣流や綾波の乗ったEVAが歯が立たなかった敵を、シンジの乗る初号機が一機だけでやっつけたって――」
「相田クン!」
 ブランコの鎖を握り締めるアタシの様子に気づいたのか、ヒカリが声を上げた。
 それを聞いて、相田は急に慌てたようにつけ加えた。
「いや、ごめん、惣流。そんなつもりで言ったんじゃ――」
「……いいのよ。本当のことなんだから」
 再びばつの悪い沈黙が流れた。
「……で、さ、惣流」やがて意を決したように相田が訊いた。
「いまシンジ、どこにいるんだ?」
「あのバカなら、本部の医局にまだ入院中よ」
 吐き捨てるようにアタシは言った。
「あれからずっと?」
「そうよ! こないだもミサトがそう言って――」
「そこさ」相田は我が意を得たりとばかりの表情を浮かべた。
「そこが妙なんだ。こないだの使徒騒ぎの直後ぐらいにたまたまミサトさんと電話で話したら、シンジは『元いた土地で元気にやってる』って話だった。連絡先は機密扱いってんで教えてもらえなかったけど、既にこの時点で惣流やオレが後で聞いた話と喰い違ってるよな。オレもそのときはそうかと納得してたんだが、それから別の筋からシンジが帰ってきてるってことを聞かされて、それでオレなりに調べてみたんだ。
 ところがちょっと調べてみると、NERV本部の医局スタッフで碇の専属担当医とおぼしき人物が、この一週間ほどドイツの第三支部に出張していることが判った」
「ちょっと!」アタシは思わず顔を上げた。
「何でそんなこと、アンタに――!?」
「蛇の道はなんとやらってね――ま、ネタを明かすと、隣のクラスにその医者の娘がいるってだけの話さ。けど、おおっぴらに話せる話題でもないだろ? だからこんな所に誘ったのさ――監視されてんだろ、あの部屋?」
「……ここだって大して差があるわけじゃないわよ。高性能の指向性マイクを使えば、こんなネコの額みたいな広さの開放空間での盗聴なんて簡単だもの」
ビッグブラザーの理想郷か。草葉の陰でジョージ・オーウェルが泣いてるね」
 相田が天を仰いで嘆いてみせる。ヒカリは目を白黒させていた。確かに中学生の会話に相応しい話題とは言いがたい。
 アタシは目線で相田に先を続けるようにうながした。
「とにかく、だ。それで少なくとも本部の病院にシンジが収容されている可能性は薄くなった。面会謝絶の患者――それも人類生存の鍵を握る貴重な適格者(チルドレン)を放りだして海外出張に出る医者もいないさ。
 ってことは、やっぱりミサトさんが話してくれたとおり、シンジは帰ってきてないのかもな」
 そうなのだろうか?
 実際、帰ってきているはずのシンジの顔を、アタシはまだ見ていない。
もしかすると、あのときの初号機を操っていたのはダミーシステムなのかも――それならそれで筋は通っている。あの異常な強さと行動にも納得できなくもない。
 だが、ならばなぜミサトがアタシには別の説明をしたのかがよく判らなくなる。
 アタシが初号機に乗っているのがシンジだと聞かされたのは、初号機が使徒を斃(たお)した直後――行動不能に陥った弐号機のプラグ内での話だ。それからはシンジのことなんか考えることさえ腹立たしかったので、いつまで経っても退院しないことを疑問に思いながらも、シンジの所在を積極的に探ろうとはしてこなかった。
 ダミーシステムの存在を秘匿するために、シンジが帰ってきたことにしたのか?
 ありそうな話だ。相田がどこかから耳にしてきた話も、そのために保安部が流した偽情報(ディスインフォメーション)――だが、ミサトにはアタシがダミーシステムの存在を知っていることが判っていたはずだ。
 なぜアタシにわざわざそんなウソを?
 そして、なぜ相田にはまるっきり逆の説明をしたのだ?
 ミサトは何を考えている?
 加持サンと連絡が取れないのも、このことと関係があるのか?
 そもそもシンジは今どこに……?
 水族館の回遊魚コーナーよろしく、疑問符が群をなして頭の中を流れてゆく。
「まぁ、シンジの件はひとまず措こう」
 もつれきった糸をほどこうと必死で記憶をたどるアタシにあっさりそう言い、相田は話題を転じた。
「ところでシンジの消息を追っていろいろ探ってくと、NERV内部でどうにも妙な動きがあることを示す情報にやたらと出喰わすんだよな。
 例えば、DEFCONが通常レベルに戻っているにも関わらず、作戦部長のミサトさんがほとんど帰宅していない――」
「……何で知ってんのよ、そんなの?」
「電話かけたろ?」しれっとした口調で相田は応えた。
「惣流は居留守を決め込んでいたんだろうけど、ミサトさんがいれば出たはずだもんな。ここ数日、適当な間隔を置いて何度もかけてたんだけど、気づかなかった?」
 NERV本部や加持サンなど特定の相手からかかってきた電話以外は、鬱陶しいのですべてコールレスで留守電にスウィッチするよう電話の設定をいじってあった。そんな得体の知れない意図を持った電話になんかに気づくわけがない。
 アタシは負け惜しみと承知で毒づいた。
「それって、ただのストーカーじゃない」
「情報活動(インテリジェンス)って言って欲しいね」堪(こた)えた風もなく相田は続ける。
「それとネット上の電子掲示板(BBS)やニュースグループをあちこち漁ると、どこでもNERV関係者――それもEVAに関係すると目される研究機関のドメイン名を持った人間の発言がごっそり減ってる。こいつも通常のDEFCONレベルじゃ考えられない話さ。
 他にもたまに都市制御関連のシステムに、ごく僅かな処理落ちが発生する頻度がここ二〜三週間の間に急に増加してるって話もある」
「何よ、それ?」
「この第三新東京市の都市管理システムが、NERVのメイン・コンピューターの管理下にあるってのはその筋じゃ有名な話さ。逆に言えば、都市管理システムの監視を続けていればNERV内での情報処理量の増減も把握できるってことだ。具体的にはカーナビなんかに使ってる交通情報サービスとか、一般に開放されている市民情報サービスの反応時間(レスポンス)の遅れをチェックし続けることによって、それが可能になるのさ――勿論、人間なんかには判らないくらい微かな遅れだけどね」
 開いた口が塞(ふさ)がらなかった。
「アンタ、そんなことまでやってんの?」
「その手の監視活動(モニタリング)を専門とする民間団体(NGO)のサイトをいくつか知ってるってだけさ。
 ともあれ、この事実はNERV内でのコンピューターの利用状況が活発化しているってことを示してる――繰り返すけど、DEFCONは通常レベルのままでだ。
 それ以外にもEVA絡みの怪しげな噂――それも『紫のヤツ』に関する話題がやけに多い。どれもこれも胡散臭いのばっかで情報としての信頼性はゼロに近いけど、こう数が多いとそれなりの真実が背景にあると見るのが情報分析(アナリシス)の基本だ――ま、中には『初号機が使徒を襲って喰っちまった』なんて、どうにも解釈のしようのない与太話もあるけどね」
 その話は事実だ。こいつの情報収集能力は意外にあなどれない。
「さて、と。そういったあれやこれやの情報を組み合わせてみると、NERV内部で何らかの異常事態――それも政治的なものというより、EVAに絡んだ技術的なトラブルが進行しているんじゃないかという推測が成り立つんだ。
 そしてオレの勘が正しければ――その謎の一端にシンジが絡んでいる」
「…………」
 相田の話には、どことは言えないが妙な違和感があった。
 胸の奥がざわついて、得体の知れない居心地の悪さを感じる――何だろう、この感覚は?
 そんなアタシをよそに、そばかす面の素人分析官(アマチュア・アナリスト)はおもねるような表情でまくしたてた。
「なぁ、惣流、おまえ何か聞いてないか?
 そりゃ、EVAのパイロットっていったって直接アクセスできる情報に制限があるってのはシンジからも聞いて知ってるけどさ、それでも同じパイロットなんだろ?
 本当は綾波にも話を聞きたかったんだが、アイツもあれ以来学校に出てこないし、ウチを訪ねてもいつも留守だしさ。惣流に頼るしかないんだよ。
 そりゃ、こっちだって手がないわけじゃないんだ。だけど、そいつも基礎的な情報不足ですっかり手詰まりでさ。それもあって、やっぱりここは惣流の助けを――」
「アンタ……」
 アタシは沸き起こる不快感を抑えながら訊ねた。
「シンジのことを知りたかったんじゃないの?」
「え? あ、あぁ、勿論さ。だからシンジがいまどこにいるのかを探るためにも、こうして話を――」
「ウソね」冷ややかにアタシは指摘した。
「アンタはただ探偵ごっこをして面白がってるだけよ」
「な、何を言いだすんだ、惣流……!」相田は急に狼狽えだした。
「オ、オレは碇の親友として、アイツの身を案じて――」
「親友?」
 アタシは相田の言葉尻を捉え、嗤った。
「笑わせないでよ。笑わせるんじゃないわよ。
 アンタがどんな下心を持ってシンジに近づいてたのか、アタシが気づいてなかったとでも思ってたの? シンジの後ろを金魚のフンみたいについて廻っていれば、極秘のEVAの情報をいくらでも耳にできるものね。おおかた、オタク仲間の間でそいつを得意げにちらつかせて、でかい面(つら)でもしたかったんじゃないの?」
「ちっ、違――っ!」
「違わない。違いやしないわよ。
 アンタみたいな何の取り柄もないオタク小僧が、人並みに扱ってもらえるのはそんなときぐらいしかないもんね。
 そういえばアンタ、EVAのパイロットになりたがってたっけ。どうなの? 鈴原のあの有様を見てまだそんな寝言が言える? それともそれほどアンタのコンプレックスは強いのかしら? 
 軍隊とか、兵器とか、政治とか――そんなものの知識をこれみよがしに振りかざして。
 ねぇ、そんなに<力>が欲しいの?
 ねぇ、そんなにちっぽけな自分から目を逸らしたいの?
 いいわよ。好きにすれば?
 でもね、だったら偉そうに<親友>だの<友情>だのなんて言葉、口にすんじゃないわよ!
 アンタみたいな男を見てると、虫酸を通り越して吐気がすんのよっ!」
「アスカ!」
 ヒカリが見かねたように声を上げる。
「いくら何でもそれは言い過ぎよ! 相田クンだって真剣に碇クンのこと――!」
「いや。いいんだ委員長」
 明らかに無理な笑みをつくりながらも、驚くべきことに相田はショックから立ち直りつつあった。
「どうも今日の惣流は機嫌が悪かったらしいな――いや、確かにこっちの話のもってき方もちょっと拙(まず)かったかも知れない。うん。その点はオレも反省してる。
 まぁ、とりあえず今日の所は出直すわ――」
「何よ、逃げる気!?」
「アスカ!」
「はい、逃げます。逃げさせていただきます。女の子と口喧嘩して勝てる男なんていないからね。負け戦はしない主義ってね」
 いかにもわざとらしくおどけた口調で言い、相田は足下に置いてあったバッグを肩に背負った。
「じゃぁ、悪いけどお先に失礼。委員長、後はよろしく!」
 ヒカリに向かって軽く片手で拝むような仕草をすると、一目散に公園の出入口に向かって駆け出した。
「ちょっと……っ!」
「よしなさいよ、アスカ!」
 ブランコから立ち上がりかけたアタシの腕をヒカリが掴んだ。
「もういいでしょ、アスカ……そんなの、いつものアスカらしくないわ」
「…………」
 アタシは腕にしがみつくヒカリの顔を見た。友人の身を案じる真摯な瞳が、却って辛かった。
 その瞳から避けるように視線を逸らしてアタシは言った。
「……痛い……」
「あっ、ごめんなさい!」
 慌ててヒカリが手を放す。
「でもね、アスカ。そんな風に相田クンを責めたって――」
「……判ってる」
「え?」
 再びブランコに腰を下ろし、アタシは言葉を喉から絞り出すようにして告げた。
「判ってるのよ、自分でも。さっきアタシが相田に浴びせた台詞は、全部アタシ自身のことなんだって。
<力>が欲しいのはアタシ。ちっぽけな自分から目を逸らしたがってるのも、アタシ。
 EVAから降ろされることを怯れて、適格者(チルドレン)でも何でもないただの女の子に引き戻されて、誰からも振り向いてもらえない、自分で自分を認めてやることさえできなくなることを怯れて――っ!」
「アスカ……」
「本当はね、ヒカリ。アタシ、ヒカリに感謝される筋合いなんてないのよ」
 アタシは苦い笑みを浮かべた。
「鈴原のことにしたって、シンジじゃなくてアタシがやってたかも知れないんだもの。
 アタシは参号機に鈴原が乗ってることを知りながら、シンジのように戦闘を拒否しようなんて気にはなれなかった。たまたま先にやられちゃったってだけで、アタシは相手がクラスメートだろうが何だろうが、自分が勝つことしか考えてなかった。勝って、生き残って、EVAのパイロットの座にしがみつくことしか考えてなかった。
 アイツは――シンジは立派よ。
 アイツは自分と同じ子供が乗っているというだけで、闘うことを拒否したわ。乗っていたのが鈴原だと知って、EVAに篭城して司令に謝罪を求めたわ。適格者(チルドレン)の資格を剥奪され、この街から追放されても態度を変えなかったわ。
 だけどアタシは、そんなに剛くない――剛くなれない。
 アタシは……あのとき参号機に乗っていたのが、たとえヒカリだったとしても、アタシは――」
 そのとき、膝の上で握り締めた拳の上に、ヒカリがそっと手を添えた。
「もういいわ、アスカ……」ヒカリの表情は優しく微笑んでいた。
「アスカはアスカなりに頑張ってる――それでいいじゃない。
 そんなに自分を責めることなんてないわ」
 アタシはヒカリから再び顔を背けた。そのまま自分を赦(ゆる)してしまいそうで怯かった。赦した瞬間、自分を見喪ってしまいそうで怯かったのだ。
 そんなアタシを責めることもなく、ヒカリは話題を転じた。
「あのね、アスカ。今日は鈴原のお見舞いの件のお礼だけじゃなくて、本当はもうひとつ、別の用件もあったの」
「別の……?」
「うん」ヒカリは頷いた。
「鈴原がね、アスカと碇クンに謝っておいてくれって」
「謝る……って、なんで?」
 訝しむアタシに、ヒカリは切り出した。
「あのとき――アスカ達と戦ったとき、EVAの操縦席の中で鈴原には意識があったそうなの」
「――――っ!」
 驚愕――というより、それはむしろ恐怖に近かった。
 ダミーシステムに支配され、暴走状態に陥った初号機によって、鈴原の乗る参号機は全身をずたずたに引き裂かれたのだ。使徒に乗っ取られた状況下で、鈴原とEVA本体とのシンクロ率がどれほどのものであったのかは判らない。
 しかし――感覚があった!? あの状況下で!?
 弐号機の両腕と頚(くび)が断ち切られたときの感覚が甦る。
 神経接続を通じてフィードバックしてくる、おそらくはアタシが経験した以上の激痛を鈴原は経験し、なおかつ生き延びたとでもいうのか?
 だが、それでなぜアタシやシンジが謝られねばならないのだろう?
 むしろ、恨まれても不思議ではないくらいなのに。
 その疑念が顔にでたのだろう。ヒカリはくすりと笑い、その謎を解き明かした。
「鈴原はね、自分の乗ったEVAと戦うはめになって、アスカや綾波サンや碇クンに辛い思いをさせたことを悔やんでるの――それも特に碇クンに対してね。『アイツのことやから、きっと責任感じて落ち込んどるんやないか』って」
「…………」
 不意に、涙が滲んでくるのが判った。こんなことぐらいで涙腺が弛んでしまうほど動揺している自分に、我ながら驚く。だが、かまうものかと思った。
「……かっこつけすぎよ」勢いっぱいの強がりを張って、それだけは口にした。
「そうね」
 すべてを見通しているかのような柔らかな微笑みを絶やさぬまま、ヒカリが答える。
 その微笑みを前にして、アタシは思った。
 シンジも、鈴原も、そしてヒカリも、なぜみんなこんなに剛いのだろう。なぜこんなに剛く在(あ)れるのだろう。
 誰かのために戰い、誰かを赦すことのできるみんなの剛さを、アタシも手にしたいと心から願った。
 そしてアタシは、涙が頬を伝ってゆくのを赦した。
 今日だけは赦そう。
 親友(とも)のそばで泣くことを赦そう。
 たとえそれが、弱さの証しであってもかまわない。
 もう一度、立ち上がるために。
 アタシ自身の本当の戰いを始めるために。

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