積読日記

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義忠『彼女の戰い』第9回

Scene 09

「で、どうするの? とりあえずguest(ゲスト)で接続(アクセス)してみる?」
「いや。時間の無駄だ」
 サーバと向かい合わせのデスクでノート型端末のディスプレイを睨みながら、相田はあっさりとアタシの提案を否定した。
 IDやキィコードの登録を受けていない利用者(ユーザー)がネットワーク・サービスにアクセスした場合、一般に「guest(ゲスト)」という単語がキィコード代わりとなる場合が多い。ただし当然のことながら、正規の利用者と比べて利用は制限を受ける。その辺はMAGIも同じで、guest資格(ゲスト・アカウント)で目にすることのできるのは、NERVの創設理念だの沿革だのといった、どーでもいい情報ばかりだ。
「それより、惣流のIDで接続(アクセス)できないか?」
「無理よ。MAGI―III(ドライ)上のアタシの接続資格(アカウント)はこっちに越してきたときに抹消されてるはずだし、本部のシステムに登録されてる今の接続資格(アカウント)で接続(アクセス)するにしたって、そもそもこのサーバはアタシの個人登録機じゃないもの」
「その辺は、たぶん大丈夫だと思うよ」
「アンタ、またいい加減なことを……」
「だってオレ、こないだそいつを起動(たちあ)げたとき、シンジのIDとキィコードで接続(アクセス)できたから」
「へぇ、そう――って、ちょっと!?」
 アタシは思わず椅子から立ち上がった。
「なんでアンタがそんなもの知ってんのよ!?」
「前にシンジのウチに遊びに行ったとき、教えてもらったんだ」
 しれっとした顔で相田は言ってのけた。
 確かに、あのシンジにこの相田が相手ならあり得ない話じゃない。
「しかし教えるか、普通(ふつー)……?」
「いや、ほら。オレ達、親友だから」
「ぬけぬけと言うなっ! 確信犯のクセに!」
 一吠えしてから、改めてどういうことなのか考えてみた。
 アタシにとってこのサーバが未登録機なら、シンジにとってもそれは同じはずだ。それで接続(アクセス)に成功したというのなら、このサーバには端末IDの識別をパスする機能が備わっていると考えるべきだろう。
 しかしそんな超裏技が可能なのは、よほどMAGIのシステムに精通している人物で、なおかつ主席管理者(スーパー・ユーザークラス)の接続資格(アカウント)を持つ者という、極めて限られた人間に絞られる。
 そう。例えば――
 一瞬、白衣を着た金髪の美女の風貌が脳裏に浮かび、愕然とした。
 この件に彼女が絡んでいるとすれば、ここで行われていたことは、すべてNERV本部の中枢レベルからの意思に基づくものだということになる。
「どうかしたのか?」
「別に……何でもないわ」
 じっとりとした重い汗が額に浮かぶ。それを手でぬぐい、胸で呟いた。
 まぁ、いいわ。いまさら義理立てしなきゃならない謂(いわ)れもない。こっちはこっちでせいぜい勝手にやらせてもらうだけよ――
 心の中で彼女の理知的な顔にそう告げ、目の前の問題に意識を引き戻した。
 なるほど。相田の言うとおり、端末IDの識別チェックを無視できるのな
ら、誰か登録利用者のIDとキィコードさえ確保すれば、MAGI―IIIへの侵入(ダイブ)は可能となる。
 しかし、アタシやシンジの接続資格(アカウント)ごときで入手できる情報なぞ、たかが知れてる。第一、それで済む話なら、何もこんな犯罪まがいの方法に手を染める必要はないのだ。自分の個人端末から、正規のルートで接続して入手すればいい。
 それ以上の情報を得たければ、少なくともアタシ達より高位の機密接近資格(セキュリティ・クリアランス)を持った人間の接続資格(アカウント)が必要――ということになる。
「ねぇ、誰か他の利用者(ユーザー)のデータかなんかないの?」
「ない」
「そんな簡単に否定されてもね……」
「オレだってさんざん調べてみたさ」むっとした表情で相田は言った。
「でも、部屋中探しても何も見つからなかったんだ。たぶん、使徒騒ぎで避難するときにバックアップだけ持っていって、オリジナルは消去していったんだと思う。盗んだIDのリストなんか人目に触れたら、言い逃れきかないからね」
 もっともな話で、ぐぅの音も出ない。
「それじゃ、キィコード破りのアプリかなんかは?」
「一応、それっぽいヤツも無いこたないんだが……」応ってきた返事は妙に歯切れが悪かった。
「作ったの、オレじゃないしな。どう動くかも判らないもん迂闊に突っ込んで、回線閉鎖(シャット・ダウン)喰らったら元も子もないぜ」
「じゃ、完全に手詰まりじゃない!」
「だから、シンジか惣流のIDで――」
「却下。それじゃ何の解決にもなんないでしょ」
 モニター上でIDとキィコードの入力を待って点滅する入力待機表示(プロンプト)を眺めるのにもあき、薄暗い天井を仰いだ。
 考えろ。考えるのよ、アスカ。
 ここまで来て門前払いだなんて、あまりにも情けなさすぎる。
 それでも、必ずどこかに手があるに違いない。
 もう一度、状況を頭から順に考え直してみよう。
 まずはシンジについてだ。
 アイツの身に起こったのは、たぶん重度の「精神汚染」じゃないかとアタシは見ていた。
 有機生体兵器システムであるEVAの操縦系統は、コックピットであるエントリープラグ内に満たされた特殊な電解質溶液LCLを介して搭乗者(パイロット)の神経と接続し、精神的に同調(シンクロ)させて機体制御を行うというシステムとなっている。このようなシステムであるため、パイロットにも機体との高い親和性が要求される。その能力を持っているのは、アタシ達、適格者(チルドレン)と呼ばれる特殊な資質を持った子供達のみ――その辺、ちょっと最近、胡散臭さを感じるようになってきてはいたが、とりあえず、まぁ、そういうことになっている。
 それはそれとして、ここでおおざっぱにパイロットとEVAとの間の情報の流れを説明しておくと、パイロットからは機体の制御命令が発せられ、EVAからは機体状況(ステータス)情報などがパイロット本人の生理感覚という形に変換されて還ってくるという二つの流れで成り立っている。
 ただ、こうしたパイロットと機体のフィードバック回路の設定を敏感に設定しすぎると、不測の事態が発生したとたん、一気に機体制御のバランスが崩壊してしまう――これがいわゆる「暴走」。
 このとき、突発的に増大化した機体からの感覚情報の奔流の前にパイロットが精神のバランスを崩し、悪くすると障害が残ることさえある――それが「精神汚染」である。
 そこで、操縦系インターフェイスにフィルターやブレーカーの回路を幾重にもかますことで、パイロットの感情の振幅や機体からの急激な出力の増加に対処している。手動操縦系統(インダクション・モード)やエントリープラグ内の全周モニターの存在は、「暴走」回避のためにフィードバック効率を低く維持しなくてはならない思考操縦系統シンクロ・モードを補完するためのものだ。
 しかし、兵器システム――という以前に、基礎理論からしてろくに把握できてもいない技術体系に基づいているということもあって、安定したシステム運用なぞ望むべくもなかった。
 実験段階から多くの犠牲者を出しながら、実戦投入後もEVA――というより、もっぱらシンジの乗るEVA初号機だが――は「暴走」を繰り返してきている。そんないい加減な兵器システムを実戦運用し続ける神経もちょっとどうかと思わないでもないが、それでもこれまで初号機は使徒に勝ち続けてきたし、シンジにも特に重い精神障害は生じてこなかった。
 だが、その幸運もこないだの使徒との戦闘で尽きたということなのか。
 アタシはシンジの身に降りかかったかも知れない運命に思いを馳せた。そして、実験中の事故で精神汚染を受け、心を病んだまま逝った実母(はは)の最後を想った。シンジもまた、同じような深い苦しみの中にいるのだろうか。それとも、もう既に――
 そのとき、不意に何かが引っかかった。
 なに……?
 強烈な違和感。何か重大な見落としをやらかしているような気がする。それもごくごく単純なことを。
 それは――
「相田……」アタシは半ば以上、無意識に訊ねた。
「アンタ、前にウチに来たとき、シンジの主治医がどうとか言ってたわよね?」
「え? あぁ、この時期にドイツに出張ってのはおかしい、って話をしたような気がするけど――それがどうかしたのか?」
「その医者、今どうしてる?」
「とっくに日本に帰ってきてるよ。滞在は一週間ぐらいだったらしい」
「何しにドイツまで行ったのかしら……?」
「さぁ、そこまでは……」
 だが、アタシは相田の返事なぞ聞いてはいなかった。
 代わりにひとつの疑問符がアタシの頭の中で踊っていた。
 主治医が日本を離れることができたのは、シンジの容態が安定していたからだろう。実母にもそんな時期があった。しかし、それでも重症の患者を放り出して海外出張というのは、よほどの理由があってのことに違いない――それは、何だ?
 精神汚染を受けた患者を抱えた医師が喉から手が出るほど欲しくて、しかもドイツにあるもの――ママの診療記録(カルテ)!?
 いや、違う。答を急ぎすぎだ。そんなものは、ドイツまで行かなくてもMAGIを通じていくらでも入手することができる。
 MAGIを通じてでは入手できないもの――そんなものがあるのだろうか?
 ある。
 経験情報の類(たぐい)は文字情報(テキスト)には記録しがたい。患者の治療に直接携わった当事者どうしが顔を付き合わせてみなければ引き出せない、微妙なニュアンスを含んだ情報だってあるだろう――だから主治医はドイツに飛んだ。
 受け入れたのは誰だ?
 実母の主治医――継母(はは)か。
 小さく声に出さず呻く。なぜこんなところで知った顔と出喰わさねばならないのか。
 軽く頭を振って雑念を振り払った。今はそんなことにこだわっている場合じゃない。
 第一、継母がこの件に関与していたことが判ったとしても、それだけでは意味を為さない。アタシは、彼女のIDもキィコードも知らないのだ。
 では、どうする? 
 アタシは更に思考を推し進めた。
 主治医の訪独の目的を知っていたのは、継母だけだろうか?
 そんなはずはない。扱う情報の機密レベルを考えれば、両者の接触を許可した人間がいる。ベルリン第三支部司令、副司令といった最高幹部クラス。彼等は事情を掌握していたはずだ。
 それと、あとひとり。
 第三支部でEVA関連の技術情報を統括している直接の責任者――
「あの男……っ!?」
 アタシは唸るように呟いた。
「誰だって?」
 訊ねる相田を無視し、サーバのディスプレイに向き直る。そして、素早くキィボード上に指を滑らせた。
 IDは覚えていた。ドイツでは上司でもあった男のものだ。報告書だの発令書だのの類には必ずこのIDがついて廻ってきた。目にするたびに唾を吐きかけたくなるほど嫌悪していたそのIDのコードを、迷いのないタッチで打ち込んだ。
 短い電子音が鳴り、IDコードの入力(エントリー)に成功したことを知らせる。
「誰のIDだよ、これ?」
「ドイツ第三支部の技術開発部統括本部長。本部でのリツコと同じような地位(ポジション)に就いている男よ。そして――」
 静かに告げるその声を、アタシはどこか遠くの他人の声のように聞いた。
「アタシの父親……」
 
「この男のIDを使えば、シンジの情報に接触(アクセス)できる確率はかなり高くなるわ。それに、うまくすれば主席管理者(スーパー・ユーザークラス)の接続資格(アカウント)で侵入(はい)れるかもしれない」
 アタシは淡々と告げた。
 だが予想に反して、返ってきた反応はあっさりとしたものだった。
「ふぅん……ま、いろいろあるみたいだな。
 で、キィコードの方は?」
 その態度に、むしろこっちの方が拍子抜けしてしまった。思わずディスプレイから顔を上げると、相田は手元のノート型端末に視線を落としたまま言った。
「愚痴や懺悔を聞いて欲しいってんなら、聞いてやってもいいけどね」
「まさか」
「じゃ、話を先に進めてくれ。牧師の真似事は得意じゃないんだ」
「…………」
 アタシは、以前シンジの前で相田のことをこき下ろしたとき、シンジが「ケンスケは本当はそんなに悪いヤツじゃないよ」と本気で喰ってかかってきたときのことを思い出した。あぁ、なるほど。案外、アンタの言うとおりなのかもね、シンジ。
 アタシは小さく苦笑して、言った。
「二年前に使ってたキィコードなら、思い出せるかも知れない」
「二年前……?」
「二年ほど前にあの男がベルリンの自宅に仕事を持ち帰ったとき、アタシの目の前でMAGIに接続(アクセス)したことがあるのよ」
「その時のキィタッチを憶えてるって? 本気かよ?」
「本気よ。伊達にこの歳で大学を卒業してないわ。それに思考制御(シンクロ)モードでのEVAの操縦には高いイメージ形成能力が要求されるし、そのための特別な訓練メニューだってこなしてきてるもの――やれるわ」
「そうは言ってもなぁ……」
 相田が露骨に眉をひそめる。当たり前の反応だった。仮にアタシの記憶が正確であっても、MAGI―IIIの管理責任者でもある彼が、二年も前のキィコードを変更もせずに使用しているとは考えがたい。しかも三度続けてキィコードの入力(エントリー)にしくじれば、その場で回線閉鎖(シャット・ダウン)を喰らう。
「じゃ、他に手がある?」
「ないな」相田は即答してのけた。
「まぁ、惣流がいなけりゃ、こんな高位の接続資格(アカウント)なんて手も足も出なかったはずだからな――いいさ。やってくれ」
 アタシは頷き、目を閉じた。
 深く息を吐き、意識を二年前のドイツ――ベルリン郊外の実家、日曜の昼下がりのあの男の書斎の場面に遡らせる。
「アスカか」あの男の顔に、いつもの表層的な笑顔が浮かぶ。
「これから片づけなくてはない仕事があってね。リビングには少し遅れてゆくから、母さんにはそう伝えてくれ」
 そういって書斎のデスクトップ型端末を起動させる。
 12歳のアタシは頷いて書斎から出てゆこうとする。ドアを閉じる前、MAGIの初期画面が表示されたのか、あの男はおもむろにデスクに身を乗り出す。アタシは何気なくドアに掛けた手を留め、その姿に目をやった。
 斜め後方からの視界――あの男の指の動きが見える。
 さぁ、ここからよ。集中なさい、アスカ。
 NERVの内規はIDやキィコードの自動入力ソフトの使用を禁じている。どんなに面倒でも、自分で入力しなくてはならない。
 アタシは目を閉じたまま、記憶の中のあの男の指の動きをなぞるように自分の指を動かしてゆく。
 最初の八文字――これはID。重要なのはその次に打ち込む文字列だ。
 憶えようとして憶えていた記憶ではない。ともすればぼやけてしまいかねないイメージを必死に維持し、キィを押してゆく。
 キィコードの最初の九文字は「Dec301998」――1998年12月30日? 何かの記念日だろうか。
 続けてローマ字。すべて大文字――地名?
 M・U・N・C・H・E……そして、「N」!?
 最後のひと文字を打ち込みながら、アタシは恐怖にすら近い衝撃を受けていた。
 ミュンヘン!? それじゃ、この日付は――!?
 目を開け、ディスプレイ上を凝視する。
 何かの間違いであって欲しいと心の底から祈った。すべてアタシの記憶違いなのだと、無理矢理、自分に言い聞かせた。
 だが、無情にも入力(エントリー)成功を知らせる電子音が鳴り響く。
「やった! やった! 凄いぜ、惣流! 自称天才少女ってのは伊達じゃなかったんだな」
 相田が歓声を上げ、興奮して椅子から立ち上がる。
 その姿をよそに、アタシは力無く呟いていた。
「……ウソよ」
「え?」
「そう――そうよ。こんなの、偽装情報(フェイク)に決まってるわ。きっと新手の防壁(ファイアウォール)なんだわ。アタシ達、まんまとワナに嵌まったのよ」
「なに言ってんだよ、惣流――?」
「あの男がこんなキィコードを使ってるはずがないのよ!」アタシは叫んだ。
「あの男は、ママのことなんかこれっぽっちも愛してなんかなかったんだもの! 自分より科学者として才能のあったママを憎んでたのよ! だからママが死んだら、喪も明けない内にあの女をウチに引っぱり込んで――っ!」
「落ちつけ、惣流!」相田が怒鳴るように声を上げた。
「キィコードがどうかしたのか!?」
「あ……あのキィコードは……」
 答えようとして、凄まじい抵抗感を覚えた。喉が圧し潰されてしまったかのようだった。
 それでも、喘ぐようにして言葉を絞り出す。
「……結婚、記念日……」
「何だって?」
「死んだママとあの男の……結婚記念日と、式を挙げた街……」
 
                                    >>>>to be Continued Next Issue!