積読日記

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義忠『彼女の戰い』第10回

Scene 10

 日本への出発を控え、アタシは実母(はは)の墓参りの旅行を申請し、許可された。
 申請の文書は当然あの男の目にも触れたはずだったが、特に一言もなかった。勿論、こっちも初めから期待なぞしていなかったから、失望もなかった。ケルン行きの列車にはひとりで乗った。警護の人間も乗っていたはずだが、彼等はアタシと無理に親しくなる気はないらしく、雪原を走る車内の道中は気楽な一人旅を楽しめた。
 幼い頃に訪れたきりの母の墓前に花を添えたあとは、実母の実家で祖母の歓待を受けた。アタシの身体に流れる日本人の血の源となった人だ。プロシア軍人の血を引き、自身もドイツ国防軍の将軍だったという祖父は、セカンドインパクト直後のポーランドでロシア軍――というより、実態は旧ソ連圏の国々から南下してきた武装難民の大群だったようだが――との戦闘で戦死しており、それからはひとりで暮らしているのだと話してくれた。
 一人娘を奪われた老女の意識としては当然であったろうが、心尽くしの料理を前に彼女が孫娘に語った話題は、幼い頃の実母の可憐さとあの男への偏った憎悪の表明に終始した。あぁ、なるほど。彼女は過去の世界の住人なのだな、とアタシは理解した。
 その夜は実母の部屋に泊まった。そこは実母が娘時代を過ごした部屋で、あの男から祖母が引き取った実母の私物もここに収められていた。
 その中に、何冊かのアルバムもあった。
 血が繋がっているのだから当たり前と言えば当たり前なのだろうが、アタシと驚くほどよく似通った容姿の女性がアタシとは違う時を刻んで成長してゆく過程を眺めるのは、不思議な気分だった。
 やがて、アルバムの中の実母の歳はアタシを追い越し、幼い頃の天真爛漫な無邪気さと引き換えに知性と美しさを兼ね備えた大人の女性へと成長していった。
 その写真がアタシの前にあらわれたのは、そんな時だった。
Dec.30,1998MUNCHEN」――片隅に手書きでそう書かれたその写真の中で、教会を前にした若い男女が周囲の人々の祝福を受け、幸せそうに笑っていた。
 あの男と実母の結婚式の写真だった。
 その写真の中のあの男は、アタシの知らない優しげな風貌の若者だった。
 その写真の中の実母は、いかにも駆け出しの研究者らしい質素なウェディングドレスを身にまとい、けれど本当に、本当に心の底から幸せそうに――
 アタシはその写真を握りつぶした。
 翌日、ベルリン行きの列車を待つホームで、細かく引き裂いて風に流した。
 それっきり、二度と思い出すことはなかった。
 いま、この瞬間に至るまで。
 
 これは、あのとき引き裂いた写真の復讐なのだろうか……?
 思いがけない時、思いがけない場所で再開したその日付と地名は、アタシの心を千々にかき乱し、時とともにさらなる混乱へと陥れてゆく。
「ありえない……ありえないわ。何でこんなキィコードをあの男が使ってるのよ。そんなわけないじゃない。あの男はママを憎んでたんだから。苦しんでるママを前に嗤ってたんだから――」
 アタシは呻くように呟いていた。
「……そうね。そもそもあの男みたいな要職にある人物が、二年も同じキィコードを使い続けるなんてこと自体がおかしいもの。だからやっぱりこれはワナなんだわ、きっと――」
「誰が、何のために?」相田が冷ややかに言った。
「こんなプライベートなワナに引っかかる人間なんて初めから限られてる。そんなごく少数の人間を対象に、何でこんなワナを仕掛けなきゃならないんだ?」
「そ、それは……で、でも、二年もキィコードを変更せずに使ってるなんて――」
「それだけ、当人にとって特別な日付と場所だったってことじゃないのか?」
「特……別……?」
 アタシは嗄(かす)れた声で訊いた。
「人間ってヤツは、普段どんなに理性的に見えても、どこかに非論理的な側面を抱えてるもんさ。惣流の親父さんにとって、これがそうだったってことだろ。システム管理者としての基本常識を吹っ飛ばすくらいにさ」
 だが、ある意味、自分が死に追いやったような女性との結婚記念日を、何年もの間、毎日キィボードに打ち込み続けるという行為は、アタシの理解を完全に越えていた。あの男はそうした行為を通して、日々、マゾヒスティックな悦びに身を捩らせていたとでもいうのか。それほど深い憎悪が、この世に存在するものだろうか……。
「けどさ」黙り込むアタシを見て小さく吐息をつき、相田は言った。
「憎んでたからって、愛してなかったとは言い切れないんじゃないのか?」
 その台詞を耳にした瞬間、アタシの中で何かが弾け飛んだ。
「愛してた? 愛してた? あの男が、ママを愛してたっていうの? 今でもママを愛してるって言うの? あの男はママの死を平気で利用して出世したような冷血漢なのよ! アンタはあの男を知らないから――!」
「まぁ、事実、知らないしな」
「相田ぁ……っ!」
「いい加減にしてくれないか」相田はうんざりとした表情で告げた。
「惣流には悪いが、これ以上、のんきにおたくの家庭内争議に首を突っ込んでいる余裕はないんだ」
「でも――!」
「でもじゃない。オレ達はとっくにルビコン河を渡っちまったんだ。惣流の親父さんが接続してくれば、二重ログインで回線封鎖(シャット・ダウン)を喰らう。それだけじゃない。他にも接続点(ノード)チェックで引っかかるかもしれないし、もっと別の理由で先方の保安部(セキュリティ)に目を付けられるかもしれない。一秒時間を無駄にするごとに、その分、リスクが跳ね上がってゆくんだ――判るよな、オレの言ってる意味?」
「…………」
 確かにその通りだった。考えることは後でいくらでもできる。今はこの状況下でベストを尽くすことのみを考えるべきだ――その正論を受け入れるのに、非常な努力が必要ではあったけれど。
 それでも、アタシは荒れ狂う感情をねじ伏せることに成功し、かろうじて頷いた。
「よし」相田も頷き、言った。
「じゃぁ、仕事を始めようぜ。今は一刻を争う」
 相田が自分のノート型端末を操作し、ファイル検索用のアプリを起動(たちあ)げた。サーバのディスプレイ上にも検索条件の入力を求めるダイアログが表示される。
「頼んどいた、検索条項のリストをインストしてくれ」
 アタシは、ウェストポーチから自宅で作成した検索条項のリストを収録したディスクを取り出した。当たり前の話だが、MAGIのメモリ・バンク内に収められている天文学的な数の格納階層(ディレクトリ)だのファイルだのをひとつひとつ開いて確かめてゆくわけにはいかない。そこでシンジの所在を探る手がかりになりそうな情報だけを引き出せるように、あらかじめ検索条項を整理したリストを作るよう相田から頼まれていたのだ。
 そのディスクをドライブのスリットに押し込む。
 検索アプリがディスクからリストを読み込み、作業を開始した。
 が――
「一万二千件!?」
 アタシはダイアログに表示された該当項目(ヒット)数に驚き、思わず声を上げた。
「何よこれ!? 検索条項の絞り込みが甘かったってこと?」
「――ってのと、偽装情報(フェイク)の格納階層(ディレクトリ)がかなり混じってるな、こりゃ。ハズレを引き続けたら、挙動不審で保安部(セキュリティ)のチェックが入るってヤツだ。
 上等だね。そうこなくちゃ面白くない」
 どこか愉しげに相田は言い、猛然とキィを叩き始めた。
「ファイルの履歴をチェックして、こないだの使徒騒ぎ以降の作成日のヤツと、高位接続資格(アカウント)保持者のアクセス頻度が高いヤツに絞ってみる」
 再度、検索アプリが走り始める。
「それでも三〇〇件以上あるわね」
「とりあえずタイトルのリストを出してみよう」
 ディスプレイ上にウィンドウが開き、英文のディレクトリ・タイトルの表が流れてゆく。
「この中には偽装情報(フェイク)のファイルは混じってないの?」
「そう思いたいんだけどね」相田は肩をすくめた。
「正規の利用者ユーザーとオレ達みたいな侵入者(クラッカー)じゃ、ファイル検索のやり方も微妙に違ってくるだろうし、それを見越してワナを仕掛けるってのはよくある手だからね……まぁ、スリーストライクぐらいまでは待ってくれると思うけど」
「なんとも心強い話で、嬉しくなるわね」
 気のない調子でそう答え、ファイルのタイトルに目をやる。偽装情報(フェイク)のタイトルが混じっているにせよ、ネーミングの傾向である程度なにが起こっているのか判るかもしれない。
 ざっと目を通すと、「SALVAGE(サルベージ)」という言葉が目についた。検索してみると約20件強――比率としてはそれほど低くはない。しかし、何でこんな言葉がこんな場所に出てくるのか。
「SALVAGE(サルベージ)」とは「救出」を意味する言葉だ。以前、空間の歪みを操る使徒との戦いで、初号機が使徒の作った位相空間に呑み込まれた事件があった。その時、シンジと初号機を位相空間内から回収するための作戦をリツコは「強制サルベージ」と称した。
 しかし、これらの格納階層(ディレクトリ)が作成されたのはつい最近のはずだ。あの時の報告書が今ごろ上がってきたとでもいうのか――それはそれで妙な話だ。
 それとも、シンジの身に何か「救出(サルベージ)」を要する事態が起こっているのか――しかし、一ヶ月もの間ずっと?
 どうも、考えているだけでは要領を得ない。
 とりあえず、適当な格納階層(ディレクトリ)を選んでためしに開いてみることにした。
「あぁっ、ちょっと待ったぁ!」
「え?」
 相田の制止が耳に届くより先に、アタシはトラックボールのクリックを押していた。
 ディスプレイ上で画面が変化し、瞬く間に意味不明の文字や記号の羅列で画面が埋め尽くされる。
「……なにこれ?」
「偽装情報(フェイク)の格納階層(ディレクトリ)だよ。見掛けの容量の大きさはそれっぽく作ってあるけど、中身はこの手の無意味なジャンク・データが詰まってるんだ」
「つまり、ワンストライクってこと?」
「そーゆーこと」相田が疲れたように言った。
「だから、少しは考えて――って言ってるそばから何やってんだよ!」
 声を荒げる相田を無視して、アタシは次の格納階層(ディレクトリ)を開く。
「ちっ……ツーストライクか」
「いい加減にしろって、おいっ!」
「時間がないって言ったのはアンタでしょ」アタシはきっぱりと言い放った。
「考えるだけ無駄よ」
「言い切るなぁ……さっきのこと、まだ怒ってんのか?」
「関係ないでしょ。なにバカ言ってんのよ」
 そうは言いつつも、何の後腐れもなしにきれいさっぱり頭を切り替えることができているとは、自分でも思ってはいない。だが、急に人格的成熟を見込めそうにないこの身はさておき、少しは冷静になる必要はあった。
 類似項目数20件強の内、偽装情報(フェイク)が既に二件もあったというのはできすぎた話だ。シンジ関連の情報としてどれほどの重要性を持つのかはともかく、NERVにとってよほど知られたくない情報らしい。
 さて、どうする?
 一瞬、考え込みかけたが、答はあっさりと出た。
 どうもこうもない。
 判断材料が少なすぎる。それに、巧妙に偽装された格納階層(ディレクトリ)の真贋を見抜くだけの能力が、アタシ達にはない。
「じゃ、やっぱり考えてもしょうがないじゃない」
「いや。そりゃそうなんだけどさ……」
「次もアタシが選ぶわよ」アタシは宣言した。
「このIDはアタシの父親のものだし、キィコードだってアタシが見つけたんだもの。そのぐらいの権利はあるわ」
「……ったく、女ってのは平気でそーいう無茶なへ理屈を振り廻しやがるからな」
 舌打ちしてこぼす相田をアタシは睨み付けた。
「何か言った?」
「いいえ。姫様のご命令のままに」
「よろしい」
 デスク越しに嫌みったらしく胸に手を当てて頭を下げてみせる相田へ、こっちも鷹揚に頷いて見せる。
 それから再びディスプレイ上のタイトル・リストに視線を戻した。
 既に二件もハズレを掴まされている以上、次もハズレという確率はそれほど大きくはないはずだ。あまり偽装情報フエイクの格納階層(ディレクトリ)ばかり増やしては、正規の利用者の利便性さえ損なうことになる。しかし、保安(セキュリティ)担当者がそれでも構わないと判断しているかもしれないし、そもそも残り少ないハズレをわざわざアタシが引きにゆかないとも限らない。
 結局の所、あとは勘頼み、ということなのね。
「行くわよ、第三球目――」
 適当に選んだタイトルをクリックしかけ、不意に写真の中の実母の笑顔が脳裏をかすめる。アタシは彼女に祈るべきなのだろうか――あの男のIDを使って侵入(はい)った、このあの男の世界(MAGI―III)で。
 アタシは軽く目を閉じてよけいな雑念を振り払うと、
 
「FEASIBILITYREPORT:SALVAGEPROJECTONTYPE-EP2
  (EP2式サルベージ計画実行可能性調査報告書)」
 
 と書かれたタイトルのファイルを開いた。
 ビンゴ!
 今度は「アタリ」だった。長大な英文の文書(ドキュメント)が画面上に表示される。
 だけど、これは――?
「何て書いてあるんだ?」
 相田がじれるように訊いてきた。
「何? アンタ、英語も読めないの?」
「悪かったな。オレは生粋の日本人なんだよ」
「それは関係ないでしょ。いいから、ちょっと待ってなさい」
 画面上の文面に視線を走らせながら、アタシはそっけなく告げる。正直、それどころじゃなかったのだ。
 何なの、この文書(ドキュメント)は……!?
 特殊な専門用語(テクニカルターム)を多用している上に、前提状況に関する言及がばっさり省略されているために、関係者以外には非常に判りづらい文章だった。完全に身内向けの文書なのだ。それでも苦労して読み解くうちに、シンジと初号機に生じた異様な事態が徐々にその姿を顕し始めた。
「PILOTVANISHED(搭乗者消失)……LIQUEFACATION(液状化現象)……?
 何よ、これ……!?」
「何だって?」
 当惑するアタシの呟きを相田が問い直そうとした、その時――
 爆轟とともに部屋の壁が吹き飛んだ。
 
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