積読日記

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黄文雄『今こそ中国人に突きつける 日中戦争 真実の歴史 (徳間文庫)』

 基本、戦前戦中の日本の中国での活動を擁護する本で、右寄りな人は一読して「我意を得た」と膝を打ちかねないような内容の本。
 自分の知識と比べても概ね「嘘」は付いていないと思うんだけど、いろいろ意図的に語り落としてるんじゃないのかと思われる箇所もなくはないので、慎重な取り扱いが必要なのではないかと思われる。
 ……と言うか、「日本で活動している台湾の外省人と思しきジャーナリスト」という著者のプロフィールからして、ある程度、その辺のバイアスを割り引いて読まないと危険な本である事を示している。
 まぁ、そりゃあ、台湾の外省人なら、国民党も共産党も大陸の中国人は大嫌いで、日本人の嫌中観を煽るだけ煽った方が良いに決まってますものね。
 
 で、以下はその辺を割り引いた上での話なのだけど、日本人が戦前の大陸進出を「侵略」と認めることに微妙な躊躇いをいまだに引きずりつつあるのは、「自分の国をロシア(ソ連)から守ろうとしていただけなのに、気がついたら中国と戦争していて、我に返ったら『侵略者』になっていた」という非常に主体性に欠く戦争観によるのであろうと自分は分析している。
 それとこの本の主なテーマでもあるのだけど、国民党にせよ、共産党にせよ、その他、有象無象の軍閥どもにせよ、「護民」という発想がきれいさっぱり抜け落ちた連中だったのは事実であり、そうした連中と比べれば、満州や占領地で日本軍や日本人は遥かにましな「善政」を布いていたのも、まぁ、嘘ではない。
 なのだが、日本人自身の主観は所詮、主観でしかないし、「善政」云々も肝心の中国人自身がそう認めて感謝してくれるのでもない限り、日本人の自己満足以上の意味はあまりない。
 その意味でいうと、泥沼の紛争地帯に絶対国防線を引いたり、利権を確保したりするには、日本人はあまりにもナイーブだったのだろうとしか言いようがない。
 
 ここで「ナイーブ」と表現したのは二通りの意味がある。
 ひとつは兵站すら軽んじて目先の「戦場」しか見ていなかった日本人に対して、「言論空間」もまた重要な「戦場」のひとつであり、現実の「戦場」で負けていようと「言論空間」での戦いに勝てさえすれば、いくらでも負けをひっくり返せると中国人は考える。徹底した宣伝、情報戦で反日運動抗日運動を煽りたて、自勢力の拡大に利用し抜く。
 あることないこと難癖付けられて、挑発を重ねられた挙句、已むなく兵を出せば「侵略者」呼ばわりというのはやられた側にとっては理不尽窮まる話ではあるが、しかし冷徹な「勝つための戦略」としては間違いなく正しい。
 まぁ、春秋戦国の時代からこんなことを繰り返している中国人とでは、役者が違う。日本人が真似しようとしても、ここまでは徹底できないだろうし、たぶん神経が持たないわな。
 
 もうひとつ、ここから先は本書ではあえて触れていない点。
 上の話ともある意味、繋がってくるのだが、こうした命の値段が極端に安い、大陸流の底が抜けたような桁違いの悪漢がごろごろと転がっている紛争当事国にコミットしていれば、その内に感化されてモラルハザードを引き起こす連中が出てくる。数年の出兵なら現場の統制も効くだろうが、現地に根を張り、数十年単位でコミットし続ければ、それは組織の根幹レベルまで腐ってきても不思議ではない。
 おそらく地元の軍閥連中を真似て、中央に隠れて使える機密費の小遣い稼ぎとして一部の特務機関が始めたのであろう阿片売買を、関東軍の正規の軍費に繰り入れ、あげくに外務省まで乗っかってイランから阿片船を仕立てるようなことまでやらかしているのは、やりすぎもいいところだ。*1
 関東軍でこうした話に絡んだ連中は誰ひとり咎めだてを受けることなく、その後、揃って中央に栄転し、東条英機に至っては、位人臣を極めて総理大臣にまでなっている。
 他にも無茶をしでかした軍人や大陸浪人の類には事欠かなかった。自分の子供の頃は、そうしたことを自慢げに語る老人もまだ近所にいた時代だった。
 紛争地帯にコミットする、ということは、どんなに品行方正な国家であっても、そういう連中の跳梁跋扈を促すということでもあり、それに対処すべき統治システムが不可欠だという自覚がなかったという意味で、やはり日本人は大陸で戦争をするには「ナイーブ」だったのだと言わざる得ない。
 
 じゃあ、どうすれば良かったのか、と言うと、なぁ。
 大陸に絶対国防線を引いたこと自体、間違いだったと言えば間違いだったわけだけど、じゃあ、ロシアの南下圧力に日本海だけで当時の日本人が安心できたかというと、それもなぁ。戦後の日本人がそれで安心できたのは日米安保があったからだけど、それに代わる日英同盟は大陸の英国権益を日本が保護することとバーターだったわけで、その時点で大陸へのコミットが前提条件なわけだし。
 コミット前提での「正解」は、「現場を律して腐敗を防ぎ、どんな被害を受けても現地の挑発には乗らず、戦線の拡大はしない」なのだけど……いや、数年ならともかく数十年もコミットしてこれは無理だよな。インドや世界各地で100年それをやってのけた英国が、この問題をどうクリアしてきたのかは興味があるけど、あいつらも北米と南アでミソつけてるしな。
 そんなわけで、結局、なるようにしかならなかった結果という主観としての歴史認識は持ちつつ、それを「侵略」と客観的に評されるのも已むを得ないというのが自分の歴史観である。実際に、日本軍と日本人によって傷ついたり、命を奪われた中国の方には心から申し訳ないと思う。
 ただその反面、現代を生きる中国人が国内の勢力争いのダシに「反日」を都合よく持ち出すことへの釈然としない思いは、また別なのだが。
 
 対中謝罪論の是非はともかくとして、非常に扇情的な文章に彩られた部分を慎重に切り離して読めば、本書は意外に知られていない戦前戦中の大陸の状況、中国人の戦略観を理解するには良いテキストであろう。
 また本書の行間を深く読み込めば、紛争当事国へコミットする際に現地のモラルを維持し、断片的な情報に一喜一憂して過激な行動を求めがちな国内世論を抑えることの重要性と難しさを、しみじみと思わざる得ない。
 これは過去の歴史ではなく、現代の諸国が直面する現実の課題と直結している問題である。
 その意味で、いろいろと考えさせられる本ではあった。

*1:ちなみに、米国のOSSもWWIIから戦後の東南アジア関連の作戦で国民党とつるんでいた影響か、議会に隠れての機密費稼ぎとして麻薬取引に手を出す悪い癖がついた。後にCIAとなって中南米の麻薬産業を隆盛を招き、米本土の麻薬汚染を引き起こしている。まぁ、英国人から「ボーイスカウト」呼ばわりされていたくらいなので、彼らもまた「ナイーブ」だったのだろう。