義忠『棺のクロエ1.5 花嫁強奪』第7回
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最初の一発から間を置いて、やがて叩き付けるような一斉射撃の音。そして殷々(いんいん)と木霊する砲声。……。
すべて少佐が去った方角から聞こえてきた。
──何が起こっているのかしら……?
「『戦争』をしてくる」と言って、少佐はフェリアを置いて去った。
何なのだ、いったい。どうして、どいつもこいつも、男達は皆、「戦争」に行きたがるのか。
あの男もこのまま帰ってこないのだろうか──かつて婚約者だったあの彼と同じように。
「………………」
疲れてるのか、思考がだんだん混濁してきている。あの男と彼を一緒にするだなんて。
あの男と彼とは違う。あんな戦争好きな軍人が死のうが生きようが、私には関係ない。
でも、私は「戦争」に征く彼を見送ってしまった。為す術もなく、ただ見送ってしまった。
「それでいいのです」と侍女のテレサは言ってくれたけど。
「殿方の出征は名誉なことなのです。姫様は婚約者として笑顔でお見送りなさらねばなりません」
「婚約者」として……?
また「立場」だ。ここでも「立場」なのね。私は自分の「立場」をきちんと理解して、正しく振舞わなければならない。それが「王女」の務め。ええ、そうね。ちゃんと判ってるわ、テレサ。
だから、私は彼が「戦争」に征くのをこうして見送って──
「………………!」
フェリアはふと顔を上げた。
私は彼が「戦争」に征くのを見送った。
でも、「戦争」って何? 私は「戦争」の何を知っているのだろう?
勇ましい男達の闘技場。名誉と栄光を得る場。きらびやかな勲章を誇らしげに胸に飾る将軍達。閲兵式の式典で、整然と行進する兵士達の隊列。……。
本当にそうなのか?
三人の息子を戦場で喪い、妻もまた心労で亡くしたコープ少将──生まれ育った国土を戦場に叩き込み、焼き尽くさねば収まらない彼の心の傷。
そして、あの〈帝国〉の軍人。
嘲笑(せせらわら)うように世界を語る、虚無。飄々と皮肉な冗談を口にしながら、死線を軽やかに越えて気にも留めない。狂気と見分けのつかない危険な行動を繰り返し、冷酷に敵を殺戮し続けるその姿──それと部下の事を語る柔らかな表情。
並の人間なら、すぐにも弾けてばらばらに吹き飛んでしまいそうなその矛盾を、何か巨大な力で強引にその身ひとつに押し込んでいるような──その力が「戦争」なのか。
彼も「戦争」から帰ってきていれば、あの男のような人間になっていたのだろうか。
だが、彼は帰ってこなかった。自分の下へは、決して戻ってこなかった。
──「戦争」って、何なの……?
もう一度、胸の裡で呟いてみる。
再び、遠くから銃声が聴こえる。
「──行かなくちゃ……」
フェリアは凭(もた)れた木の幹から身体を起こした。
行って確かめなくては。そこに「戦争」が在るというのなら。私がただ為す術もなく男達を見送った、その「戦争」が在るというのなら。
フェリアはおぼつかない足取りで、「戦争」に向かって歩き出した。
木立の合間をひたすら走り廻りながら、少佐は第1山岳混成小隊の歩兵部隊へわずかづつ出血を強いていた。
走りにくい足許の雪を物ともせず、獣のように木々の隙間を駆け廻る。追撃の手が緩んだと見るや即座に逆襲し、敵の態勢が整いそうと見るや素早くひいて距離を取る。銃を撃ち、手榴弾を放り、時に軍刀(サーベル)を抜いて白刃を振るう。一時も休むことなく動き廻り、歩兵部隊の神経を引っ掻き廻し続ける。
雪に加えて、急な斜面の上、しかも人数に勝る敵は何度もこちらを包囲しようと試みてくる。その都度、敵の動きを読んで、包囲が閉じる直前に擦り抜けるというのを何度も繰り返しているのだから、想像を絶する体力と集中力だった。
それでも、近接戦闘(CQB)にだけは持ち込まれないように注意していた。ひとりやふたりの敵を斃せても、その内の誰かに身体を摑まれてしまえば、すぐに周り中から押さえこまれてしまう。
すべては走り続け、闘い続ける己の運動力に掛かっていた。
「……いや、まったく、士官学校時代の鬼教官殿様々だな」
軽口を叩きつつ、そうは言ってもさすがに息が荒くなってきた。
ぼちぼちこちらの「仕掛け」に引き摺りこまないと、こっちの体力が持たない。
実際に、歩兵部隊の動きをこちらの狙った方角に誘導する事に成功しつつある。加えて、後方の山岳戦車とも距離が開いている──たったひとりを追い詰めるのに戦車なんか不要、とでも思っててくれれば御の字なんだがな、さて。
走りながら弾倉(マガジン)を入れ換え、手近な木の幹の陰に滑り込むと、自動小銃を構えて振り返り──視界の片隅に、斜面の上からこちらを見下ろす女の姿を認め、硬直する。
──フェリア王女!?
「バカ野郎! 何でこんなところに──!?」
悪態をすべて言い切る前に、敵の銃撃が集中する。その内の一発が手許を掠め、少佐は思わず自動小銃を取り落とす。
「しまった!」
さらに着弾が集中する。雪を蹴る音が背後に廻り込もうとしている。銃を拾っている暇はない。
「くそ!」そのまま銃を捨てて、走り出す。
「じっとしてられないのか、あの姫様は!」
腰のホルスターから拳銃を抜き放つと、遊底(スライド)を引いて撃鉄(ハンマー)を起こす。倒木の背後に飛び込んで発砲──その場で瞬く間に弾倉(マガジン)半分を空にすると、弾かれたようにまた走り出す。
「いいぞ、もうちょっとだ。付いてこい!」
都合よく、フェリアとはちょうど反対の方角に兵達を吊り上げることができた。後は「仕掛け」の蓋を閉じるだけで──
銃弾が肩を掠め、肉を抉って飛び去る。
「くっ!」
アドレナリンで神経が麻痺しているおかげで、すぐに痛みはこない。だが、時間の問題だ。出血も無視するには激しい。早めに止血が必要だろう。肺にも冷たい空気が流れ込んで、炎と化して暴れ廻る。それよりも、さすがに足がいい加減、限界だ。膝が笑い始めてる──畜生、もう少しもて、この野郎!
開けた疎開部をまっすぐに突っ切って、節くれた太い根が絡み合う木々の根元に頭から飛び込む。
その背後から、いよいよ追い詰めたとばかりに兵士達が疎開部に殺到してきた。
少佐は右腕の裾を引いて、金属の腕を露出させると、あらかじめ敷設してあった足許のケーブルを手首のジャックに突っ込んだ。
その直後、疎開部の背後で、仕掛けられた十数発の指向性地雷(ブロードソードマイン)が一斉に起爆する。
高性能爆薬の爆風に乗った鉄球(ベアリング)が地雷一発につきプール一面分、前方の空間を薙ぎ払うようにぶち撒けられた。至近距離にいた兵士の人体が一瞬にして肉片と化し、断ち切られた手足が遠くまで跳ね飛んでゆく。
指向性地雷は(ブロードソードマイン)、ちょうど歩兵部隊の後ろ半分を押し包むように巧妙に配置されており、結果、歩兵部隊の約半数がこれでいきなり殲滅されることとなった。
一方、難を逃れた前半分、十数名の兵士達の大部分は、後方の味方に何が起こったのかとっさに理解できず、その場で固まって動きを止めた。それでも勘の良い何人かが、開けた疎開部に密集して立ち尽くす愚を即座に悟り、左右の木立に逃げ込もうとし──そこに仕掛けられた地雷に引っ掛かって、吹き飛ばされた。
血塗れになって投げ出される仲間の姿を見て、萎縮した残りの兵士達が疎開部の真ん中で本能的に円陣を組む。その様子を横目で眺めながら、少佐は指向性地雷(ブロードソードマイン)に接続するケーブルを引き抜いて、もう一本のケーブルに繋ぎ直す。
シャンパンの栓を抜くような気の抜けた発射音が疎開部の周囲で立て続けに鳴り響き、複数の迫撃砲弾が兵士たちの頭上に襲いかかった。
先行して吶喊する歩兵部隊に山岳戦車が追い付いたのは、それからほどなくのことだった。時間にして五分と経ってない。離れたと言っても、その程度だったが、たったそれだけの間に歩兵部隊は壊滅していた。
疎開部に飛び込んだ山岳戦車は、かつて歩兵部隊の兵士達だった赤黒い残骸の前で当惑するように停車した。
その間に戦車の側面に廻った少佐は、指向性地雷(ブロードソードマイン)などと一緒にあらかじめこの場に用意させた対戦車ロケット砲を手に取り、弾頭から安全ピンを抜いた。この寒さでバッテリーが凍らないよう、アルミ・コーティングの保温シートで包んでおいたものだ。発射装置のパイロットランプがきちんと点灯していることを確認すると、細長い照準器を立ち上げて、そこに山岳戦車の姿を捉える。
こちらの存在に気付いたのか、戦車の砲塔がゆっくりこちらを向く。
「残念。君等は筋は悪くなかったが、すべてにおいてワンテンポ遅かった」
少佐は対戦車ロケット砲の発射ボタンを押し込んだ。
背後に盛大な後方爆炎(バックブラスト)を放って、発射筒(ランチャー)から弾頭の膨らんだ成型炸薬(HEAT)弾が滑りだす。弾頭が吸い込まれるように山岳戦車へと襲い掛かり、側面装甲を喰い破って高温の熱噴流(ジェット・フォイル)を車内に流し込む。瞬時に乗員の身体が焼き尽くされ、次いで砲塔に収められた弾薬に火が廻った。
爆轟とともに砲塔が跳ね上がり、車体の各所から炎が噴きあがる。
既に薄暮から夜へと移ろいつつある辺りを、擱座(かくざ)した山岳戦車の炎が赤く照らし出す。
結局のところ、彼等の敗因は、自分達が戦車を中心とする「機動歩兵小隊」であることをきちんと理解できていなかったことに尽きる。「機動歩兵小隊」の歩兵は、何があろうと戦車のそばから離れてはならなかったのだ。
空の発射筒(ランチャー)を足許に落すと、少佐は炎上する戦車に背を向けて振り返った。
そこに立ち尽くすフェリアの存在に気付いたのは、その時だった。