積読日記

新旧東西マイナー/メジャーの区別のない映画レビューと同人小説のブログ

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義忠『棺のクロエ1.5 花嫁強奪』第8回

 
「さっきの場所を動くなと──」
 不機嫌そうに眉を寄せた少佐が文句を言い終えるより先に、その横をふらふらと通り過ぎてフェリアが疎開部へ転び出ようとする。
「おい、しっかりしろ!」
「いや! 離して!」
 腕を取ろうとする少佐の手を振りほどこうとし、バランスを崩して雪の上に倒れ込む。
「……何をやってるんですか、貴女は……?」
 呆れつつ手を差し伸べた少佐は、俯くフェリアの頬が涙で濡れていることに気付いた。
「………………」
「知らなかったのよ!」顔を伏せたまま、不意にフェリアは叫んだ。
「何にも知らなかった。何にも判ってなかった。
 だから、私は彼が『戦争』に征ってしまったのを、裏切られたように感じていた。ずっと自分だけ傷ついたつもりでいた。
 でも、これが『戦争』なのね? 彼もこうして死んだのね?」
「……ええ、そうです」
 少佐は頷いた。
 銃声と砲声に彩られた戦場音楽に誘われるように、少佐と国境警備隊員が激突するその場に迷い込んだフェリアは、無造作に殺戮される兵士達の姿を目の当たりにして慄然とした。
 そこに誇りも、尊厳もない。
 そこに在るのは、機械によって引き起こされる人体と魂の破壊行為──歯車に磨り潰されるようにこなごなに打ち砕かれて、「個人」としての意味を完全に剥奪された人体が、辺り一面にばら撒かれる、ただそれだけの行為。殺された兵士達がここに至るまで「個人」として積み重ねてきた人生も、感情も、可能性も、遺された人々との絆も想いも、何もかもすべてが無価値なものとして破壊し尽くされて放り出されていた。
 それがどれほど残酷なことか、フェリアは今になって、本当の意味で理解できた。
 そして、同時に世界を覆う巨大な破壊の歯車を幻視し、圧し潰されるような絶望感に襲われた。単に銃や戦車や地雷といった凶暴な兵器の存在だけでない。よき父、よき夫、よき息子、そしてよき恋人であったはずの男達を、兵器とともに次々と戦場に送りこみ、無残に噛み砕いて、どことも知れない荒野に打ち捨てる「戦争」というシステム──その巨大な影が世界を覆い、自分の前から大切な人を奪ったのだ。自分にとって、世界中で誰よりも大切で、掛け替えのない存在だった彼を。
 同時にそれが、特定の誰かや悪意を持った勢力といった判りやすい「悪役」に責任を転嫁できるような、単純な話ではないことも、フェリアは悟っていた。すべては「社会」として人と人とが結びつき、深く関係を持つ中で、ひとりひとりに与えられた「立場」と「役目」が連結していった結果生じた負のベクトルの集積なのだ。その世界を網の目のように覆う巨大な「システム」の存在を、理解できてしまった。
 だからこそ、フェリアの絶望は深かった。
 自分と彼を引き合わせてくれた「力」の働きと、自分から彼を奪い去った「戦争」は、たぶんその本質は一緒なのだ。単純に何かを憎しみの対象として決めつけて、やりきれない想いを叩きつければそれで済む話ではない。
「戦争」を本当に失くすには、たぶん「社会」を解体し、すべてを「個」に分解しつくす必要がある。
 でもそれは、誰かを愛することを諦めることと同じだ──それでは何の解決にもならない。
 だけど、それでも。
 今はただ、自分の愛した人も、こうやって残酷に殺されたのかと思うと悲しかった。ただ、そのことが悲しかった。
 その悲しみだけは、間違いなく自分にとって真実であることを、差し込むような胸の痛みとともにフェリアは認めた。
 そうだ、私は悲しかったのだ。
 フェリアは声を上げて泣いた。
 まるで子供のように、ただ力の限り泣き続けた。
 
「……落ち着かれましたか?」
 フェリアが泣きやむのを待って、少佐は再び手を差し伸べた。
 その手を取って立ち上がりながら、素直に詫びる。
「ええ……ごめんなさい……」
「別に構いません。疲れに加えて、戦闘や屍体を見て、感情が昂(たかぶ)ったんでしょう。
 それより急いでここを離れる必要がある。後続の部隊が追ってきてます」
「……貴方の指示に従います」
「それはどうも」
 急に従順になったフェリアに、少佐は肩をすくめる。
「ただ、ひとつだけ教えてください」
「ここではダメです」
「歩きながらで構いません」
 フェリアは顔を上げ、決意を込めた瞳でまっすぐに少佐の眼を見つめた。
「彼のことを──私の婚約者だった〈帝国〉皇室第11皇太子カオ・コ・タク殿下が戦場でどう亡くなられたのかについて教えてください」
「………………」
 少佐は無言でしばらくフェリアの表情を見返し、やがて告げた。
「私は彼と同じ部隊に所属していたわけではありませんし、面識もありません。ましてや、彼が死んだ場面に居合わせたわけでもない。一般的なお話と軍内部で耳にした噂話くらいしかお話できませんよ」
「構いません。その程度の話でさえ、私は聞くのが辛くて避けてたんですから……」
「いいでしょう」少佐は頷いた。
「ならば、歩きながら話しましょう──カオ殿下の死について、私が知る限りのことを」

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