積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 花嫁強奪』第11回

11

 
 不意に、少佐の背中が動きを留めた。
「……どうかしましたか?」
「静かに」
 唇に人差し指を当て、少佐が命じる。
 追手が近づいているのか。耳を澄ましてみるが、フェリアには木立を抜けて鳴る風の音しか聴こえない。
 だが、少佐には何かが聴こえているのか、小さく唇を舐めて言った。
「接近を許しました。さすがに、ここら一帯は彼等の庭だけのことはある」
「感心している場合では──」
「まったくです」
 頷き、背中のザックを足許に落すと、少佐は自動小銃の操捍(コッキングハンドル)を引いた。
「連中の頭を叩いてから、追いかけます。貴女はとりあえず、この斜面をまっすぐに駆け抜けて、木立を抜けた辺りで隠れていてください。その内、迎えにきている私の部下と合流できるはずです」
「国境線はまだまだ先よ」
「そうですね」
「……それって、国境侵犯なのではなくて?」
「抗議でしたら、後で外交ルートを通じていかようにも──行ってください。もうあまり時間がない」
 そう言って、少佐は背を向ける。
「少佐!」フェリアは叫んだ。
「死んでは駄目よ──それから、なるべく殺さないで」
「……順番はそれでいいんですか?」
「ええ」
 頷くフェリアに、少佐は苦笑して応えた。
「ご要望にお応えできるよう、なるべく努力はしてみます」
 それだけ告げると、闇に溶け込むように走り去る。
 その背中を見送ってから、フェリアもまた少佐に指示された方角へと走り出す。
 生き延びてみせる。こんなところで殺されるわけにはいかない。
 私にはまだ、やらねばならないことがあるのだから。
 
〈王国〉製の明るいレンズの向こうで、少佐の姿がするりと木立の間の闇に吸い込まれて消える。
「気付かれたようですね」
 中尉は軍用双眼鏡を下ろして大尉の方を振り返った。
「奴を相手にこの距離まで接近できれば上出来だ」
 位置取りは少佐達から後方斜め上、距離にして200ほど離れた茂みの中。先ほどの第1山岳混成小隊が壊滅した戦場から、少佐達のルートを予想し、無茶に無茶を重ねるショートカットの末、ようやく追いついたところである。
 狙撃用ライフルでも狙わせていたが、こちらから仕掛ける前に気付かれた。老獪な鹿のような奴だ、と中尉は思った。幼い頃に父親に連れられて追いかけた冬山の鹿は、こちらが銃で狙いを付けようとしただけですぐにこっちに気付くほど勘が鋭かった。
 だが、国境はまだ遥かに先だ。敵の装備は携行可能な小火器に限られ、弾薬数も限られている。仮に他にもどこかで事前集積(デポ)していたとしても、敵の想定外の地点で接触に持ち込めたことで、それを利用できる可能性は著しく低くなった。主導権(イニシアティブ)はこちらにある。今度こそ、こちらの数の優位を活かして、奴を斃してみせる。
 中尉は第1山岳混成小隊の無惨な末路を思い出し、復仇の念を滾(たぎ)らせた。
「王女の方は?」
 大尉の問いに、中尉は頷いて応える。
「足の早い者をふたりほど選抜して追わせてます」
「いいぞ。残りの者で奴を仕留める」大尉は背後を振り返った。
「隊員を半分借りる。貴様らはこのまま接近して正面から圧力を加えろ」
「判りました」
「接近戦に捲き込まれるな。必ず距離をおいて攻撃するんだ。
 でなければ、死ぬぞ」
 そう言い置くと、大尉は半数の国境警備隊員達を率いて斜面を滑り降り始める。
「よし、総員戦闘準備!」
 中尉は残りの部下達に命じた。
 自動小銃の操捍(コッキングハンドル)を引く金属音が、一音の乱れもなく唱和する。中尉は満足げに頷いた。部隊が完璧に調整されている証しだ。
「行くぞ!」
 
 戦闘の要諦とは、煎じつめれば「脚」だ、というのが少佐の十何年かに及ぶ軍人生活の結論だった。
 いかに敵よりも早く動き、「時間」という資源(リソース)を敵から奪って、自らの物として活用するか。
 同時に、どれだけの火力や物資をこちらが想定する戦場に持ち込めるか。
 それを可能にする運動量をいかにして確保するか。
 また逆に敵がどれほどの「脚」を持っていて、それをどれだけ使いこなすことができるかを正しく予測すること。
 すべては「脚」から始まり、「脚」に終わる精妙なパズルゲームだった。
 その観点から見たとき、今のこの状況はいささか分が悪いことを認めざる得なかった。
 地元の地形をよく知る国境警備隊を敵に廻したときからある程度は覚悟していたものの、こちらの予想を遥かに上廻る速さで追いつかれた。山間部での行軍や戦闘経験はこちらもそれなりにあったので、そこから会敵時間を予測したのだが、完全に読みが外れた。まぁ、考えてみれば、相手はこの土地で生まれ育った連中なのだ。生まれて初めて放り込まれた西部辺境領の山中で右往左往していた、自分達の行軍速度を基準に考えてもしょうがない。
 何にせよ、これで諸々の段取りがきれいに吹っ飛んでくれたわけだが、さてどうしたものか。
 一応、「保険」は打っておいたが、それがうまく間に合ってくれるかどうか……。
 ほとんどノープランに近い状態に追い込まれながら、少佐は兵士としての本能だけに従って、敵との距離を詰めるべく木立の合間を縫い駆ける。
 こうして一旦捕捉されてしまった以上、後は接敵(コンタクト)のタイミングで主導権(イニシアティブ)を握る他はない。
 とは言え、先ほどのような「仕掛け」はもうない。弾薬も残り少ない。先刻の戦闘で負傷した肩の傷が、ずきずきと痛む。応急処置は済ませてあったものの、どうも走っている最中に傷口が開いたらしい。長丁場の斬った張ったは難しそうだ。
「……こうまで不利な条件が揃ってると、いっそ楽しくなってくるな」
 独り嘯(うそぶ)いてみせたその時、木立の向こうで敵が動く気配がした。
 とっさに手近な木の幹に飛び込み、特に狙いも定めずに発砲──「当てた」感触はあったが、その代りに「お返し」がまとめてやってきた。
 その一斉射分を幹の陰でやり過ごしてから、すぐに移動する。
 銃声の数から、敵集団の規模は8〜10。狙いへの収束度は高く、いずれも無駄弾を撃ってる感はない。普段から演習などでたっぷりと銃弾(たま)数をこなしている証拠だ。
 これで敵集団の規模と練度が把握できた。後は、付かず離れずの距離から振り廻し、適当なタイミングで強めに叩いて相手を委縮させ、それで一気に距離を開いて離脱。そんなところか。
 手早く作戦を組み立てながら、不意に何か強烈な違和感を感じた。
 ──何だ……?
 何が引っかかった? どこがおかしい?
 別の木の幹に隠れて、再度発砲──お約束の反撃の斉射。
 距離が詰まっていない? 敵の喰いつきが甘い。隙あらば即座に躍進し、喰らいついて噛み殺そうとするような気迫が感じられない。手だれの敵と相対しているときに特有の、肌がひり付くようなあの感覚が。
 何故だ? こちらが単独(ひとり)だということは、先刻承知のはず。この練度の部隊を率いて、何故ここまで慎重なのか。指揮官の性格か? 何を見落としてる?
 ──いや、これは……!?
「数が足りない!?」
 その見落としに気づき、少佐は慄然とした。
 前方の敵集団の規模は、この手の追撃任務に最適な部隊規模の約半分ほどでしかない。この規模では、戦闘での負傷や山中で事故でも発生すれば、その手当ですぐに作戦継続不能に陥ってしまう。と言って、やたら規模が大きくても足並みを揃えるために追撃速度が鈍る。かてて加えて、人数が増えれば機密保持も難しくなる。追撃速度優先で、なおかつ自己完結行動可能な最小単位を考えるなら、少数精鋭で編成した一箇分隊20名弱──残り半分はどこへ行った?
「これは……約束を守るのは、どっちも難しくなりそうだな」
 そこへ、シャンパンを抜くような気の抜けた発射音──迫撃砲(モーター)!?
 だが、次いで、マグネシウムの発する突き刺すような鋭い光が木立を照らす。
「閃光弾か!?」
「また会えたな、ヒュー・タム少佐!」
 木立の闇を払われて完全にその姿を露呈してしまった少佐へ、横合いから冷たく嘲笑(あざわら)うような声が放たれた。
「そして、さよならだ」
 シラン大尉が腕を振り下ろし、配下の兵士達が一斉射撃を行った。
 
 銃声が山々に木霊する。
「!」
 思わず足を留めて振り返ったその彼方で、打ち上げられた閃光弾が銀色の輝きを発しながらパラシュートでゆっくり降下してゆくのが見えた。少佐が向かった先は、たぶんあの下の辺りだろう。
「………………」
 胸を締め付けるような不安感に襲われる。
 だが、ここで立ち留ることも、ましてや少佐の下に向かうことも、どちらも今の自分が為すべきことではない。
 今はただ、まっすぐこの道を走り抜けることだけを考えよう。
 何かを断ち切るように閃光弾の輝きに背を向けたその時、フェリアは雪を蹴って近づく足音の存在に気付いた。
「少佐……?」
 いや、違う。追ってくる足音は複数──追手の国境警備隊員!
 走らなければ。走りださなければ。
 フェリアは再び駆け出した。
 いやだ。死にたくない。こんなところで死ねない。死ぬわけにはいかない。まだ自分は何もしていないのに。何も為していないのに。
「戦争」が始まろうとしている。山々が、森が、田畑が、街が、村が、空が、河が、国土のすべてを捲き込む「戦争」が始まろうとしているのに。
 理不尽窮まりない政治で「戦争」に放り込まれ、その死さえもあやふやなまま処理されてしまったカオ皇子。戦死したコープ少将の三人の息子──そして愛する人の死で傷ついた自分や、コープ少将、そしてその奥さん。
 そんな犠牲を、この〈王国〉中で無数に生みだそうとするそんな企てを、自分は知ってしまった。自分が死ねば、その企てはさらに加速する。
 そんなこと、許せるわけがない。見過ごせるわけがない。
 自分がこの国の「王女」だから? 自分の「立場」がそう命じているのか?
「違う!」
 そんなこと、関係ない。
 いやなの。もう、いやなの。
 あんな悲しみを、自分が、誰かが、もうこれ以上、世界のどこかで受け留めねばならないという、そのことすべてが、いやでいやでならないの。
 わがままかもしれない。現実を知らない女子供の感情論。情緒で政治や軍事を語る愚か者。学者や、政治家や、軍人や、官僚や、ジャーナリスト──ありとあらゆる「大人」達は鼻で嗤い、相手にもしないだろう。「立場」と「役目」を振りかざして、自分を説得しようとするだろう。
 だけど、いやなものはいやなのだ。
 悲しいものは悲しくて、苦しいもの苦しいのだ。
 そう感じるものを、そう叫んで何が悪い。
 だから、私は死んでなんかやらない。
 生きて、生き抜いて、こんな「戦争」なんか喰い留めてみせる。
 それは「立場」でも「役目」でもない。
 それが私、フェリア・ド・ラトゥール個人の、いや、人間としての意志なのだ。
 フェリアは走り続けた。刺すような冷たい空気が流れ込んで、肺と喉が悲鳴を上げる。足を一歩前に出すごとに、鉛の重りが増えてゆくように重くなる。身体の節々がきしみを上げて、ちょっとでも気を抜くとばらばらになって吹き飛んでしまいそうだ。
 だが、背後から迫る足音は、どんどん大きくなる──距離を詰められてる?
 すぐにも追いつかれそうで、不安で圧し潰されそうになる。疲れや苦痛よりも、遥かにきつく、重く、全身に絡みついてくる。
 諦めなさい。どうせ無理よ。所詮、素人が専門家(プロ)に敵うわけない。
 耳許で何かが囁く。
 捕まったって、殺されたりしないかもしれない。全部あの〈帝国〉の軍人のでっち上げた嘘っぱちで、後ろの国境警備隊員だって自分を助けにきたのかもしれない。そんなに、あの変な軍人の話が信用できるっていうの?
 首を振る。耳を貸しては駄目だ。今はまっすぐ前に向かって走ることだけを考えなくちゃ。
 ──ぎりぎりの死線を掻い潜るとき、兵士にとって生への執着の有無が物を言う……。
 少佐の言葉を思い出す。そうだ、生きるのだ。私は何が何でも生きるんだ。
「『高貴なる者の義務(ノーブレス・オブリージュ)』、なんですよ……」
 不意にはにかむように、そう告げたカオ皇子のあの時の表情を思い出す。自分を待ち受ける運命への不安よりも、目の前の婚約者を傷つけることを悲しむような、そんな表情。
 その瞬間、すべての事象が爆発的に連結し、目も眩む想いとともにフェリアは何もかもが理解できた。
 彼は彼なりのやりかたで「戦争」と向き合い、闘おうとしていたのだ。
「殿下……!」
 今度こそ本当にはっきりと判った。
 彼もきっとその最期の時に、こうやって力の限り闘ったのだろう。
 誰もその闘いを見届けてくれはしなかった。語り継いでくれる者もいなかった。
 けれど、きっと彼は最後まで勇敢に闘い抜いたのに違いない。
 世界中の誰も見ていなくても、私にはそう確信できる。
 だから、どれほど苦しくても、もう決して貴方に救いを求めたりはしないわ。
 ただ、貴方のように在りたいと、今はそう祈る。
 貴方のように闘い抜く者になりたいと、そう願う。
 そのことが、どれほどの勇気と力を自分に与えてくれるのか、今はそれを知っているから。
「………………!」
 走りながら、フェリアは自分が泣いていることに気付き、驚いた。
 けれどこれは、悲しみの涙じゃない。苦しみの涙じゃない。
 嬉しいのだ。
 貴方を初めて本当に理解できたことが。
 貴方のそばに、今初めて本当に寄り添うことができたことが。
 泣きながら、心の底からの笑い声を上げながら、フェリアは走り続けた。
 
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