政権交代
まぁ、そんなわけで、前回の更新から一夜明けたら政権が変わっていたわけですが(爆)。
選挙前の話です。知人と往来で議論になったのですが、その彼は民主党の経済政策の稚拙さを捉えて、「この時期の政権交代は危険すぎる」と主張していました。
そこは自分も同じ見解で、特に国内資金の需給ギャップを国債の発行で調整しているという側面をまったく理解できていない点が非常にまずいと感じていました。*1今でもその意見は変わっていません。
それで何で議論になったのかというと、自分はそれでも「政権交代必要である」と考えていたからです。
「この100年に一度の経済危機の時期に」と眉を顰める彼の気持ちも判らないではないんですけれど、逆に経済が安定しているときに政権交代なんか起きるわけがないんですね。現状が安定しているなら、政権を変える必要はありませんから。
もうひとつは、自民党は自民党で、ここ最近の動きを見ていると、官僚や既得権勢力への依存が深くてドラスティックな経済改革を打ち出せず、しかも毎年総理総裁を変えざる得ないなど国会や党内の統制力(ガバナンス)を失っていて、力強い政策運営能力に欠けるように思われました。麻生総理と与謝野財相の経済センスはある程度まで評価するのだけど、小泉改革の総括すらできずに党内各派と公明の顔色を伺いながらの改革では限界がある。ましてや参院とのねじれ状況下にあっては。その意味で自公政権が続いても、やはり経済政策面でリスクはあるのです。
どちらしてもクラッシュコースであるなら「前を向いてクラッシュさせるべきだ」と自分は考え、彼はそれを「無責任だ」と責め、議論になったのでした。
結果として、国民は自公政権に「No」を突きつけ、民主党に政権を獲ることを許しました。
票を投じた有権者にはそれぞれの理由があるにせよ、少なくともリスクを取って政治を変えることの方を国民は選んだということです。「いや、そこまで考えてなかった。ちょっと自民党にお灸を据えたかっただけだ」という有権者がいたとしても、結果としてはそういうことになります。
勿論、民主支持者でも誰も楽観視はしていません。しかし、こういう機会でもなければ「政権交代」はなく、民主党が実戦の洗礼を受けた「政権担当能力を持った責任政党」になる機会もなかったでしょう。それは国家として自民党以外の「別の選択」を持たないまま、今後何十年かを過ごさなければならないということです。そのリスクよりはまし、という選択なのです。
ここから先は、政権与党となった民主党に対しその政権運営に注視し、誤りがあれば声を上げて指摘すること。場合によっては、これからの選挙ではっきりとメッセージを伝えることも重要です。
そして野党と化した自民党を、政権を狙える「健全野党」として鍛え直すこと。経世会流のバラマキ政策と松下政経塾流の新自由主義政策の両方を抱える民主党を野合と捉えるか、大衆政党の間口の広さと捉えるべきかはともかく*2、いずれ破たんすべき時には破綻するでしょう。
その時、国民はもうひとつの選択として自民党を必要とします。
これから4年間、私たち国民は「健全与党」と「健全野党」の両方を育てるという、重要な使命を果たさねばなりません。
その意味で、投票のその時以上に、国民一人ひとりに未来を見据えた賢明な振る舞いが求められる時代が来たのだといえるでしょう。
……いや、まぁ、その前に小沢さんが党内で揉めて、何もかもぶっ壊すんじゃないかという懸念もありますが(爆)。