積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 0〔lav〕』第4回

0-4

 
 ドアに張り付けられている「法学部第5研究室」の銘の入った木の板が、微妙に傾いている。文字のインクも掠れ気味で、少なくともそこに棲む住人がこういったことに頓着しない性格であることを物語っていて、「婚約者」としては軽い目眩を覚える。
 だが、ここで逃げ出すわけにもいかず、気を取り直してドアに取り付けられた金属製のノッカーを叩く。
「………………」
 反応なし。
 もう一度繰り返し、またしても反応がないので、勝手にドアノブを掴めばあっさりと廻る。鍵も掛けてないのか。
「失礼します……」
 ドアを開け、恐る恐る覗き込む。
 中は薄暗く、空気はひんやりとしていた。目が慣れてみれば、所狭しと乱雑に本が積まれている。研究室というより、図書館の倉庫みたいだわ。だが、人の気配は感じない。当のカオ殿下はどこにいるのかしら。
「どなたか、いらっしゃいますか?」
 声を掛けてみたが、やはり反応はない。
 やむなく中へ入る。
「お邪魔します……」
 両脇を本で狭められた通路をおっかなびっくりに進む内に、どこかで微かに水音が聴こえる。耳を澄ませば、階段の上──二階からだ。
 誰かがシャワーでも使ってるのかしら。
 これも本の山で狭められた階段を、ぎしぎしと音を立てて登る。
 と、急に水音が途切れ、どたばたと床板を踏む音が聞こえてきた。
「そちらにいらっしゃるんですか?」
 声を掛けながら二階に上がったフェリアは、背後に人の気配を感じて振り返った。
「こちらにおいでなんですか、カオ殿──」
 そこに飛び込んできた全裸の男の姿に、フェリアは思わず絶句する。
「……あ、いや、待った! ちゃんと腰にはタオルを捲いて──」
 ひょろりとした長身で、細身ながら引き締まった体躯のその男は、強調するように腰に手を当てたが、いろいろな意味で間違っていた。
 閑静な森にフェリアの悲鳴が響き渡ったのは、その直後のことだった。
 
「……で、何でそんな恰好してらしたんですか?」
「シャワーを浴びてまして」
 フェリアの問いに、何やら南方の方の民族衣装だというゆったりとした黒い生地の服にサンダルという緩みきった装いに着替えた眼鏡のその男──カオ・コ・タクは、げっそりと疲れ切った口調で答えた。髪も鳥の巣のようにぼさぼさで、どこをどう見ても「皇子(おうじ)様」という肩書には程遠い。
 一応、本来は来客用だったと思しきソファーとテーブルの周囲から急遽、本や論文の束をどけて座るスペースが作られ、そこに座っている。目の前には、これも南方土産だという見たこともない黒いお茶が出されていたが、手を付ける気にはなれなかった。
 げっそりしたいのはこっちだ、と喉まで出かかったが、フェリアは追及の手を緩めなかった。
「私がこの時間にこちらを伺うのは、事務局の方から連絡していただいていたはずですが」
「だから慌ててシャワーを浴びてたんですよ。フィールドワークから帰ってきたばかりで、髭も当たっていない状態でしたし」
「法学部の本校舎を出る前ですから、もう一時間以上も前の話ですよ」
「いや、シャワーを浴びている内に寝ちゃいまして……。帰りの列車の中でも論文を書いてたものだから、もう三日ほど寝てなくて」
 言いつつ、喉の底まで見せる大欠伸をしてのける。
 こいつ、絶対に今日初めて会う婚約者を前にしている自覚ないな、と確信を深めるフェリアに、カオがだめ押しの質問を返してきた。
「えと……で、どなたでしたっけ?」
 思わずかっとなって声を上げてしまう。
「フェリア・ド・ラトゥールです! 〈王国〉第一王女の!」
「はぁ……。それでその王女様が、今日は一体、何の御用でここに──」
「貴方と私が婚約することになったんで、それでここへ挨拶に来たんでしょ!」
 フェリアの言葉に、カオは目を丸くした。そうか、人間は本気で驚くとこんな面白い貌(かお)をするのか、とどうでもいい感慨がフェリアの脳裏をよぎる。いや、という以前に、完全に初めて聞いた貌(かお)だな、これは。
 フェリアはこめかみを指で押さえながら、訊ねた。
「……私も昨晩、侍女から聞かされて驚いた口ですけど、本当に何も伺ってらっしゃらないんですか?」
「ええ、まったく……あっ!」
 不意に何かを思い出したらしいカオが、慌ててソファーから立ち上がり、窓際にあるデスクの上を漁り始める。そこもまた、書類や本の類(たぐい)で乱雑に散らかっていて、カオが目的の物を発見するのに若干の時間を要した。
「あった!」
 そう言って取り出した大きな封筒に帝室の蝋封を認めたフェリアは、それでだいたい話の落ちが見えた。
「しまった、一ヶ月前に届いたこれは、この話の件だったのか」
「……帝室からの封書を何で一ヶ月もほっておくんです?」
「いや、この手の封書は、たいてい面倒事が多いんで。それに緊急を要する話なら、使者が直接乗り込んでくるなり、電話が掛かってくるなりしますし……」
 最悪だ。フェリアは頭を抱えたくなった。
 帝室への敬意もへったくれもなく、ばりばりと乱暴に蝋封を破ったカオは、改めて中の書類に目を通す。
「あちゃー、本当だ。皇帝陛下のサインまで入ってる。くそ、今度こそ本気みたいだな、あいつら……」
 渋顔でカオが唸る。彼にとっても、この状況は不本意らしい。どうせ破談に持ち込むつもりなので気にしなくてもいいと言えばそうなのだが、向こうから先にそういう態度を示されるのは、何となく釈然としない。
「それで……」しばらく難しい表情で書類を睨みつけていたカオは、ふと顔を上げて、いたって真面目な口調でフェリアに言った。
「これからどうしましょう?」
「知りません」
 
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