積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 0〔lav〕』第8回

0-8

 
「……何をやってるの、テレサ?」
「何って、お茶を淹れております」
「そうじゃなくて」フェリアは小さく唸りながら、教科書を詰めたバッグをテーブルの上に置いた。
「何で研究室(ここ)にいるのか、って訊いてるの」
 その日、授業を終えていつものように研究室に足を向けたフェリアは、まるで待ち構えたかのように、テラスのテーブルにティーカップを並べ、お茶を注いでいるテレサと出喰わした。しかも、ペントハウス内と同じ紺の侍女姿で、あまりに堂々としているものだから、一瞬、間違えてホテルに帰ってきてしまったのかと錯覚しかけた。
 と言うか、もしかして、その格好のままここまで来たのか……?
 様々な疑念渦捲くフェリアの表情を鮮やかに無視して、テレサは逆に訊ねた。
「今日はミリア嬢はご一緒じゃないんですか?」
「ミリアなら、何でも外交史の課外ゼミに素敵な殿方が出席されるので、絶対に出ないわけにはいかないんですって」
「あらあら」
「前から思ってたけど、あの娘、自分の役目判ってないんじゃないかしら」
「きっと、姫様とカオ殿下の仲の良さにあてられたのでしょう」
テレサ、あのね──」
「早くお掛けください。お茶が冷めてしまいます」
「………………」
 溜息ひとつ吐(つ)き、椅子に腰掛けるとテーブルに置かれたカップを手に取る。
「あら、これは……」
 懐かしい豊潤な香りに、フェリアはすぐにそのお茶がどこのものか判った。
「ええ、〈王国〉(くに)から今年の新茶が届きましたので、是非、姫様にもと」
「もうそんな季節なのね。〈帝都〉(こっち)では全然扱ってないし、〈王国〉(くに)に戻るまで呑めないかと思ってた」
「機械や工業製品は何でも買っていただけるのに、〈帝都〉(こちら)の人は、〈王国〉のお茶だけはダメなんですのね」
「本当、あいつも変なお茶ばっかりおみやげに持って帰ってくるし」
「あいつ、ですか」
 くすりと笑うテレサに、フェリアはむっと表情を顰め、何かを誤魔化すように口許をカップで隠す。
「……別にいいでしょ。いちいち言葉尻を拾わないでよ」
「判りました。気をつけましょう」
 そう言って、テレサも椅子に腰掛け、カップを手に取る。
 と、そこでフェリアは、ティーセットが最初から自分とテレサの二人分しか用意されてなかったことに気付いた。
 つまり、ミリアが今日ここへ来ないことは、先刻承知の上だったということだ。事と次第によっては、ミリアが口にした外交史のゼミの件からして、既に仕込みのネタだったということになる。
 そこまでやるか、と肚が立つと同時に、そこまでしてふたりっきりで話を付けたい話題があるということか。
 何だろう? テレサに説教されねばならないことなど、自分には──あー、簡単にいくつか思いついてしまった。
 げっそりとしつつ身構えるフェリアをよそに、テレサはカップを手にしたまま森の方へ目をやった。
「ここは本当に静かでいいところですわね」
「ええ、ここも一応、〈帝都〉の一部だっていうのがウソみたい」
 フェリアは頷いた。テレサが苦笑して続ける。
「私は元々田舎の出ですし、ご奉公を始めてからも、お城の中にいれば人ごみとは無縁ですから。本当は〈王都〉の繁華街でも目が廻るくらいなんです。〈帝都〉の街中なんて、人も車もいっぱいなので、怖くて怖くて」
「意外ね、テレサにも怖いものなんてあったんだ」
「いっぱいあります」驚くフェリアに、テレサは穏やかに認めた。
「いつも不安でいっぱいです。でも、それは私だけ特別というわけではありませんから」
「……テレサ……?」
 何の話だろう? よほど大切な話をしようとしているのは何となく判ったが、どこへ話を持っていこうとしているのか、さっぱり見えてこない。
「……ねぇ、テレサ、今日はどうしたの? 話だったら、夜にホテルに戻ってからだって──」
「見ておきたかったんです」テレサは遠くの森を見詰めたまま、告げた。
「姫様が選ばれた方がどんな所にお住まいで、そこで姫様がどんな風に過ごしてらっしゃるのかを」
「……あ、いや、テレサ、あのね──」
 まずい。何だか判らないが、凄くまずい気がする。何やら知らない間に、内堀まで重機(ブルドーザー)で一気に埋め尽くされかけているみたいだ。
 この際、テレサにだけは本当のことを話しておいた方がよさそうだ。
「あのね、テレサ、聞いて!」フェリアはカップをテーブルに置き、意を決して言った。
「この『婚約』はウソなの」
「はぁ……」
「私もあいつもここで『婚約した』ってことにしないと、いろいろ面倒なことになるから、そういうことにしたの! 単なる『同盟関係』なの。時が来れば、全部ひっくり返して御破算(ごわさん)! 『結婚』とかどうとか、そういう話はなし!」
「そうですか」
「そうなの!」
 強く主張するフェリアの顔をじっと見つめた後、一口だけカップのお茶を啜ってからテレサは落ち着き払った口調で言った。
「まぁ、ウソから出た真(まこと)、という言葉もございますし」
「──────っ!」
 ダメだ。伝わってない。と言うより、理解する気が頭からない、と言うか。
 テーブルに突っ伏して頭を抱えるフェリアに、テレサは告げた。
「そんなことで悩んでらっしゃったんですか?」
「え、別にそういうわけじゃ──」
 言い掛けたそこを、テレサが遮った。
「違いますわよね。それはおそばで見ていれば判ります」
「……テレサ?」
「このところ元気がないのは、最初はカオ殿下がいらっしゃらないので、お寂しいのかと思ってました」
「だから違うって。あいつがフィールドワークに出るのは別に今に始まったことじゃないし、この先だって別に珍しくないだろうし」
「ええ、ですから、もっと別なところに理由が在るのだと思いました」
「え……?」
 フェリアはテーブルから顔を上げる。
 テーブルにカップを戻したテレサが、ひどく真摯な表情でまっすぐにこちらを見ていた。
「今日は、その理由を姫様と一緒に探しに、こちらに伺ったのです」
 
「私(わたくし)は、お小さい頃から姫様のおそばに仕えてきて、何でもご相談いただけてきたと自負しております」
「……まぁ、そうね」
「仮に何か隠し事をされても、姫様のやることには、すぐに大体の見当がつきます」
「………………」
 それはこの際、関係ないと思うが。
「ですから、先ほどのご婚約の件についても、どうせそんなことだろうと思ってましたので、特に驚きはございません」
 余計なお世話だ。
「でも、ご婚約からこちら、姫様の表情は本当に明るくなられました」
「……え、そう、かな?」
 自分ではあまり自覚はないのだけど。
「ええ。ですので、きっとカオ殿下とよいお付き合いをされているのだな、と」
「いやいや、それは関係ない。うん、関係ないわ。
 きっと留学で環境が変わったからよ。お城にいた時と違って、面倒なイベントごとに引っ張り出されることもなくなったし、その開放感で、とか──」
 慌てて否定するフェリアに、テレサはやんわりと指摘する。
「でも、ご婚約の『ウソ』に、姫様が苦しんでらっしゃったご様子には見えませんでしたが?」
「そ、それは──」
 言い訳を口にしようとして、言葉に詰まる。
 いや、確かにそうだ。いつかはばれるなり破綻するなりするに違いない、こんな薄っぺらい「ウソ」に身を委ねて、何で自分はあんなに落ち着いていたのだろう。
 判らない。判らない。判ら──いや、ウソだ。
 判ってる。よく判っている。本当は、私は──
「研究室(ここ)の居心地が良かったから……」
 そうだ。この世界の喧騒から切り離された、森の中の小さなこの研究室で、自分は心からくつろぐことができた。
 ここに居れば、権謀術数渦捲く国家や貴族の世界のことなど忘れることができた。
 カオと他愛無い会話をかわし、初めて耳にする辺境の少数民族の日々の暮らしの話を聞き、変な味のお茶を顔を顰めて呑んで、散らかった研究室をふたりで片づけ、時には互いの未来への不安を口にして慰め合う──そんな時間と空間が、それまでの自分をきつく縛りつけていた何かを優しく解きほぐしてくれていた。
 王女としてとか、王族としてとか、そんな風に背負い込んでいた重荷を、ここでは自然に降ろすことができた。
 だから、ここにずっと居たかった。
「それはでも、カオ殿下がここにいらっしゃったからですわね?」
 そうかもしれない。
 初めは、とても尊敬のできる所のなさそうな、社会人として残念な男でしかなかった。だが、だからこそなのか、彼の前では特に気負うこともなく、飾ることなく自然体の自分でいられた。
 カオのいないこの研究室で、それが得られたとは思えない。
 だからきっと、ウソが真実になって、カオと本当に結ばれることになっても、それでもよくなっていたのだ。
「別に、悩まれることなんてないんですよ」テレサが優しく告げた。
「カオ殿下の人と為りをよく知られるにつれ、慕われるお気持ちが強くなっていったのでしょう。それでウソが真(まこと)になったからって、何も恥ずかしことなんかありません。世の男女は皆そうやって結ばれているのですから」
「………………」
 だが、フェリアは黙り込んだまま、目の前のカップを見つめ続けた。
 そうだ。私はカオとの「婚約」を受け入れようしていた。それによってもたらされるであろう未来を、なし崩しに受け入れようとしていた。
 自分は彼を愛しているのだろうか。
 判らない。判らない。判らない。
 ただ彼のことをそばに感じるだけで、こんなにも穏やかな気分になれる。
 たとえ今は遠くにいるとしても、彼と過ごしたこの空間に身を置いているというだけで、こんなにも安らかな想いになれる。
 誰かをこんな風に受け入れたことなんてない。それが「愛してる」ということなら、たぶんそうなのかもしれない。
 そんなあやふやで、いい加減な結論でいいのだろうか。
 テレサはきっと「それでいい」と言ってくれるだろう。
 だけど、カオは──?
「………………!」
 不意に冷水を浴びたような想いに襲われる。
 忘れていた。
 あの一瞬、別れ際のカオの表情によぎったあの翳(かげ)のことを。
 
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