『血槍富士』@池袋新文芸坐(16/2/28(sun)鑑賞)
本日の映画『血槍富士』@池袋文芸坐に劇場入りしました。1955年公開。シベリア抑留されていた内田吐夢の、帰還後、第1回監督作品、だそうです。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』観終わりました。片岡千恵蔵主演。東海道を江戸へと急ぐ槍持ちの中間とその若い主、そして道中、触れ合う人々の人間模様を描いた人情噺……と思いきや、クライマックスで急転直下、多人数が死傷する刃傷沙汰になる話(-。-; 怖えー、江戸時代怖えー。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』:江戸へと出仕する若い主とともに東海道を東へと下る槍持ち中間の権八(片岡千恵蔵)。同じく江戸へと向かう市井の人々と触れ合いながら、少しづつ彼らの抱える問題が解消されてゆく人情噺…だったんですけどねー。終盤いきなり刃傷沙汰になって苦い結末に至るという。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』:そこに至るまでに、中間の権八と市井の人々の協力で、盗賊を捕らえる下りがあり、それを主人の手柄とされてしまうことに人の良い若い主人が納得できない、という展開があり、武家社会(身分社会)の理不尽に触れるエピソードが全編に散りばめられている。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』:それが導火線となり、配下の中間を侮辱された主人が、酔った地元武士との喧嘩に捲き込まれて斬殺。槍を持って慌てて駆けつけた権八が、主人の仇を討つ、というのがクライマックス。槍持ちというだけで、決して槍の名手でもない権八の必死の奮闘が見所。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』:なのだけど、ここでいきなり暴力のレートが跳ね上がるというのは、何なんだろう。この権八のアクションに観客が「スカッとした」として、殺された主人と同輩は帰ってこないわけで、事実、事後に忠義を顕彰される権八は、それを浮かぬ顔で聞く。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』:なので、結末は主人と同輩の遺骨を抱えた権八が、哀しみと虚しさとともに東海道を西へと去ってゆく場面で終わる。観客の感情も権八のそれとシンクロしていると見ていいと思うのだけど、つまりこの映画は、痛快娯楽大作でもほっこり人情噺でもないってことになる。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』:「日常が唐突な悲劇に断ち切られる話」で、事後の丁寧な精神ケアがテーマでもない。ここで終わっちゃうしね。当時の観客は何をこの作品に観ていたんだろう。おそらくは、現実の唐突な悲劇性をスクリーンに投影することによる客観視と、それによる「癒し」だったのかな。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』:ラストの権八の抱える 白い箱は、戦死者の遺骨の投影だと見てよく、その死と権八の戦いを「あっぱれな忠義」と称える社会の目線と、それが権八本人には何も響かないシチュエーションは、戦死者の遺族の気持ちそのままだろう。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日
『血槍富士』:この時代の観客は、スクリーンを介して、自分たちの心の奥に封じていた戦争の哀しみを受け留めるために、この映画を観に行ったのではないかと推察できる。なので、必ずしも普遍的な作劇メソッドではないのだけど、あの時代の哀しみを封じた映画として僕らは受け留めたい。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年2月28日