『祇園の暗殺者』@池袋新文芸坐(16/3/12(sat)鑑賞)
本日の映画2本目『祇園の暗殺者』@池袋新文芸坐に劇場入りしました。1962年公開。近衛十四郎主演。脚本は後に『仁義なき戦い』を書く笠原和夫。幕末の暗殺者……て理解でいいのかしらん?<相変わらずいい加減(-。-;; #fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 12, 2016
『祇園の暗殺者』観終わりました。暗殺稼業は、善人に務まる職業ではない。幕末の狂気が加速する政治状況の中で、かすかに取り戻した人間性が、状況からの転落と破滅を誘う。見事な幕末ノワールでした。詳しいレビューは後ほど。#fr16_n pic.twitter.com/7cOK2uremu
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 12, 2016
『祇園の暗殺者』:薩摩藩脱藩志士グループを率いて、京都で暗殺テロを繰り広げていた志度原兼作(近衛十四郎)。町方一家を斬殺した際に、幼い娘に目撃されるも口封じに殺せずに現場を後にする。その後も志度原は、土佐の武市半平太と組んで暗殺任務を続ける。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 13, 2016
『祇園の暗殺者』:現場で見逃した少女とその姉・お鶴と知り合った志度原は、立場を隠して家族を失ったふたりを援助する。一方、政治思想ではなく出世のために勤王志士を志す若者がグループに入り、志士グループ間も藩の利害優先で行動するようになってゆく。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 13, 2016
『祇園の暗殺者』:やがて武市に体良く京都から追い払われている内に、志士グループは武市と組んだ若手に乗っ取られ、活動は過激化の一途を辿る。お鶴も過激志士の情婦となり、志度原の偽善も暴かれる。居場所を失う志度原に対し、武市は抹殺指令を配下に下す……というお話。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 13, 2016
『祇園の暗殺者』:どんな高尚な理念があるにせよ、政治的状況はそれが成立した瞬間に形骸化が始まり、それを作った人間の意思をよそに、勝手に動き出す。そうした状況に振り落とされて破滅する男の話で、救いの余地をひとつひとつ丁寧に叩き潰された挙句、無様に撃ち殺されて終わる。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 13, 2016
『祇園の暗殺者』:まぁ、テロに限らず、どんな政治参加にもそういう危険は存在して、批判する側は形骸化した部分を捉えて運動そのものを全否定する。でも、結果、政治参加そのものを否定してしまうと、先行した「運動」によって既得権を持った体制側だけが利することになる。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 13, 2016
『祇園の暗殺者』:結局、どうしたって運動が形骸化することは自明としつつ、形骸化しても意味のある運動体を作り上げるか、運動理念を更新し続ける運動体を設計するか。……無論、それ自体もいずれ形骸化する日が来るにしても。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 13, 2016
『祇園の暗殺者』:非常に虚無的な味わい深いラストなんだけど、明治維新肯定派の長州出身者としては(^^;;、政治運動に普遍的に潜むこの虚無を越える未来をどう考えてゆくべきか、について考えさせられる映画でした。これも機会がありましたら、是非。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) March 13, 2016