『血と砂』@池袋文芸坐(16/8/20(thu)鑑賞)
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本日の映画『血と砂』@池袋文芸坐に劇場入りしました。1965年公開、岡本喜八監督作品。中国戦線を舞台に、戦場に奏でる少年軍楽隊とベテラン軍曹のお話だそうです。 pic.twitter.com/WeMjeXuTog
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』観終わりました。65年公開だから戦後20年目の映画。その所為かどうか知らないが、匍匐前進の上手い兵隊さんがいっぱい出てきて。<そこか? 役者はともかく、岡本喜八は北支戦線に従軍経験のある人なんで、戦場の娯楽性と悲劇性の落としどころが独特なんだよね。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:終戦を目前にした北支の荒野を「聖者の行進」を演奏しながら行進する少年軍楽隊。戦局ひっ迫により前線部隊に一般兵として配属となった彼らを追うように、同じ部隊に配属されることになった小杉曹長(三船敏郎)と合流し、前線の駐屯地を目指す。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:一行が駐屯地に到着すると、見習い士官の銃殺の場面に出喰わす。処刑された見習い士官と面識のあった曹長は、大隊長(仲代達矢)に喰ってかかる。大隊長は処刑の理由として、見習い士官が最前線の砦を放棄して逃亡したことを挙げる。だが、納得のいかない曹長は、砦の攻略を提案する。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:自身も見習い士官の敵前逃亡に疑問を持っていた大隊長は、それを許可するが、ただし投入可能な兵は少年軍楽隊と営倉に放り込まれていた戦争嫌いの通信兵、料理専門の厨房兵、そして墓掘り専門の兵士のみ。わずか一個分隊の兵力で、八路軍の籠る最前線の砦の攻略が始まるが……。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:先日観た『パレンバン奇襲作戦』もそうだけど、50〜60年代の日本の戦争映画はハリウッドの影響を受けて、かなり娯楽性が高い。その一方で、現実に従軍経験や戦争経験のある方が多く存命していた時代なので、戦争の悲劇性や軍隊への拒絶感も生々しくある。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:なので、戦争アクションを楽しみつつ、戦争の悲劇性も再確認しなければならないというパラドキシカルな命題が邦画の戦争映画にはあるのだけど、岡本喜八作品はその頂きで絶妙なバランスでそれを成立させてて、本作はその頂点のような位置づけになる。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:銃を持つより楽器を選ぶ少年軍楽隊、厨房仕事中心でろくに戦場に出てない料理兵、人殺しが嫌いな通信兵、墓掘り専門で戦場に出たことのない兵士と、そういうへっぽこ軍隊で軍事拠点を攻略するという大筋自体がおとぎ話なんだけど、それが戦場のリアリティでバランスを取る。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:戦慣れした曹長の指揮で、大勢の兵が籠る砦を弱兵の軍で落とし、犠牲を払いながら敵を撃退するも、曹長の死を持っておとぎ話の時間は終わり、現実の不条理に踏みにじられるように、少年軍楽隊は最後まで演奏しながら砲撃の下で死んでゆく。これが、この時代の戦争映画の落とし所なんだな。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:いや、「戦争」は楽しいんですよ。自分が殺す側で、あるいは銃弾一発で殺される分には。それは戦意高揚とかどうとか以前に、戦場でそれを見たり経験したクリエイターは、それを作品で吐き出さざる得ないし、観客もその娯楽性を楽しんでしまう。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:でも自分や戦友が傷ついたり死んだり、理不尽な大量死を目の当たりにして、怒りとも哀しみとも、虚無ともいえない収まりのつかない感情があって、それもフィルムに叩きつけざる得ない。それがこうした、娯楽であり悲劇でもある戦争映画に結実してるのかなぁと。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:とは言え、我々戦後世代は幸いにして戦争を実体験として知ることなく、こうした従軍世代のクリエイターの作品や、現代の戦争を取材したルポなどを元に、残響(エコー)として「戦争」を物語らず得ない。重ねて述べて、それは間違いなく幸福であるはずなのだけど。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日
『血と砂』:このもやもやした感情に、簡単に答えは出ないし、出す気もない。その複雑性こそが、自分がこれから「戦争」を描く際の核であり、武器なんだろうから。そういう意味で、非常に刺激を受ける映画でしたね。機会のある方は是非。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2015年8月20日