『あいつと私(1961)』@神保町シアター(16/7/16(sat)鑑賞)
- 作者: 石坂洋次郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/06/17
- メディア: Kindle版
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本日の映画『あいつと私(1961)』@神保町シアターに劇場入りしました。石原裕次郎、芦川いづみ主演の学園青春映画、だそうで。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月16日
『あいつと私(1961)』観終わりました。石原裕次郎と芦川いづみのロマンス……というより、裕次郎側のパワフルな母親を中心とした規格外家族の話をヒロインが観察者として見届ける、というお話。なんか、90年代くらいの『LaLa』辺りで連載してそうな話っつーか(^_^;; #fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月16日
『あいつと私(1961)』:都下郊外にキャンパスのある専明大学に通う女学生・浅田けい子(芦川いづみ)。ゼミで女性蔑視な発言を口にした黒川三郎(石原裕次郎)を、有志女子でプールそばで詰問したら、うっかり突落してしまい、着替えを提供した関係で、黒川家を訪問することに。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:黒川家はカリスマ美容師の母親モトコを中心に、家庭を主夫のパパさんとお手伝いさんが守り、モトコの若い愛人が普通に出入りする、「進んだ」ファミリー。そんな一家で育った三郎の破天荒な言動に翻弄されながら、けい子は三郎に惹かれてゆく…というお話。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:とまあ、基本構造は後の少女マンガで、ちょいちょい見かけるファミリー・ロマンスものです。そこに60年代安保絡みで「デモやってるから見に行こうぜ」的なネタも絡んでくるんですが、イデオロギー的な議論にはほとんど踏み込みません。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:何のかんの言っても、良いとこの坊ちゃん嬢ちゃんなんで。「運動」をその動機ではなく、参加する人々の振る舞いを見て「乱暴な人たちだね」と切断して終わらせる辺り、今と変わらないとも言えるけど。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:それと比べると、まだジェンダー論の方が前に出ていて、入り口は女性蔑視発言した三郎の糾弾だし、「女性が自立するには経済力を身につけることだ」てな発言もあったり、最終的に男女の役割が逆転した黒川家の話に収束するし。話の主題はこっちですね。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:当然のことながら、半世紀も前の話なので、今日的な視点で見ると深化が浅かったり、男女の役割ひっくり返したとこで終わってたりもします。作中の語り部はヒロインだけど、原作も脚本、監督も男性なので、その限界というのもあろうかと思います。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:ただ、当時の若者相手にヒットした映画なのは事実なので、この時代の若者のリベラル感を反映したものであるのは、間違いないようです。まぁ、裕福で人生の選択肢も多い階層の若者たちだから、成立するお話という、残酷な側面もあるんですが。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:あとはアレかな、ちょっと台詞が理屈っぽいかな。感情や情緒を吐露するのに、いちいち論理(ロジック)化して納得しようとしている節があって、ちょっと不思議な言語空間です。実際の当時の若者言葉というより、作り手世代の大学生感に基づく気もしますが。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:でもまぁ、同年代に20代の監督・脚本で固めた『野獣死すべし』の主人公を始めとする大学生たちも、自分の感情や立ち位置を理屈で固めようとしてたっけ。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:それも結局、いつの時代の若者でも陥りやすい、一種のマウンティングに過ぎないと思うけど、大学通うようなインテリ青年が、そういう語りに嵌りやすい時代だったのかもしれない。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
『あいつと私(1961)』:そんなわけで、現代の観客としては、少女マンガ的なファミリー・ロマンスの原型として捉えると、すんなり観れると思います。というか、娯楽(エンタメ)で大概のことは、この辺の時代の邦画で既にやってるという確信をまた一段と深める映画ではありました。#fr16_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日
しかし、『野獣死すべし(1959)』と『あいつと私(1961)』のほぼ同年代の映画を並べると、描かれる若者像は真逆なんだけど、同時に通づるものも見えてくるというのは、映画を数観てゆくことの面白さと言うべきでしょうか。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年7月17日