『京城学校:消えた少女たち』@新宿シネマカリテ(16/8/10(wed)鑑賞)
경성학교: 사라진 소녀들 (The Silenced, 2015) 예고편 (Trailer)
本日の映画『京城学校:消えた少女たち』@新宿シネマカリテに劇場入りしました。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年8月10日
『京城学校:消えた少女たち』観終わりました。戦前、併合時代の京城近郊の深い森の中にある女子養護学校。そこに転校してきた少女・静子は、同室のクラスメート・和恵に思いがけず優しくされ、彼女と親しくなる。だか彼女には、今は転校した同じ「静子」という名の親友がいたと知り…。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年8月10日
『京城学校:消えた少女たち』:…って、あらすじから始まったら、ゴシックで百合百合んな女学生ものが始まると思うでしょう。確かに、そう始まったんですけどね。それが、よもやあんなことに…ああああ!(´Д` ) でもダメだ!ここから先は全部ネタバレになるから、何も言えねー!#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年8月10日
『京城学校:消えた少女たち』:そんなわけで、ネタバレを避けつつ、本作のポイントとしてちょっとだけ指摘しておくと、この映画は併合時代の朝鮮が舞台なので、支配者の言語である日本語と、被支配者の言語である朝鮮語のふたつの言語レイヤーが重なって言語空間を構成している。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年8月10日
『京城学校:消えた少女たち』:その使い分けが(この映画では)どのように行われているか。そこに秘められた関係性や感情に想いを馳せ、植民地(コロニアル)文学の薫りを味わうのもいいでしょうし、そこから『シン・ゴジラ』での日本語と英語の使い分けの意味を考えてみるのも良しw #fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年8月10日
『京城学校:消えた少女たち』:あとこの映画では、「選ばれた留学生だけが東京に行ける」という設定があり、「東京」が「ここではないどこか」を示す言葉として使われいます。それを、その東京の映画館で聞く不思議さというのも、また味わい深いものです。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年8月10日
『京城学校:消えた少女たち』:いや、最終的には、そんな呑気なことを言ってられる状況じゃなくなるんですが(´Д` ) そういった怒涛の勢いで映画の位相が移り変わってゆく辺りも含めて、確かに思春期の「少女」をうまく捉えた映画であったと思います。機会がありましたら、是非。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年8月10日