『世界大戦争』@ラピュタ阿佐ヶ谷(16/9/4(sun)鑑賞)
本日の映画『世界大戦争』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1961年公開。フランキー堺主演。ハイヤー運転手の主人公の目線で描かれる世界熱核戦争、というお話だそうですが、さて。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月4日
『世界大戦争』:何というか、60年代の邦画は、今のアニメ業界並みに、面白そうな企画は何でもやってみようという貪欲さがあって、掘り出すと何が出てくるか判らんなぁ……。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月4日
『世界大戦争』観終わりました。終末の日の過ごし方。特技監督に円谷英二を迎え、ラストできっちり全世界を焼き尽くす大作映画。熱核戦争に突き進む国際政治と、娘の縁談話に困惑するフランキー堺と一家の話が並行して描かれる。でもこれ、キューバ危機(1962年)の前年公開なのね。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月4日
『世界大戦争』:プレスセンターのハイヤー運転手として、外国人特派員の送迎を生業とする田村茂吉(フランキー堺)は、記者との会話で得たネタで株を仕込むのが趣味の小市民。ラジオからは「連邦」と「同盟」の軍事衝突を報ずるニュースが流れるが取り合わない。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:そんなことより、茂吉の関心は3人の子どもたち、とりわけ長女・冴子(星由里子)と商船士官の高野(宝田明)の交際に気を揉んでいる。家長として妻・お由(乙羽信子)と手をたずさえて、真っ正直に生きてゆけば、きっと家族の未来は拓かれる……茂吉はそう信じていた。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:そんな一家をよそに、国際情勢は悪化の一途を辿り、日本政府からの平和の呼びかけもなかなか功を奏さない。やがて、ついに両陣営から発射された熱核弾道ミサイルが全世界に降り注ごうとする中、一家は家族で最後の食卓を囲むのだった……というお話。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:とまぁ、世界終末のお話で、円谷英二の神がかった特撮により、きっちり徹底的に世界は破滅します。水爆の高熱でマグマ化した大地に国会議事堂が沈む場面など、後々まで語り草になる破滅っぷりなので、そこだけでも必見。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:なのだけど、「映画」としてのキモはそこではないでしょうね。多分、この映画のドラマ的なクライマックスは、核ミサイルの迫る中で行なわれる、フランキー堺一家の最後の食卓の場面で、家族への慈しみと、それを唐突に断ち切られる憤りの場面だと見ていいでしょう。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:翻って、映画全体を眺めた時、軍事・政治シミュレーション性は意外と低めです。円谷特撮で描かれるジェット戦闘機の空戦シーンとか、核ミサイルが打ち上げられるシーンとか、日本政府の閣議のシーンとか多々あるんですが、必ずしも厳密な軍事考証がされていない。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:そもそも、「連邦」と「同盟」って何だよ。どっちも英語使ってるしw ちなみに後でモスクワ放送がロシア語喋るシーンもあるので、米ソとは別に、より上位の政治統合体として存在してる世界なのかもしれないけど、何にせよ、双方の指導者クラスの人々は出てきません。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:主に出てくるのは両陣営のミサイル基地司令部だけで、事故による誤発射の危機などに怯えながら、発射命令が届く日を待ち続けてる。どこで、どういう意思決定がなされて核戦争が始まるのか、というプロセスは最後まで語られることはありません。そこはぼんやりしたまま。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:日本政府の動きも「戦争回避の呼びかけをしました」「両陣営に核兵器だけは、使用しないようにと申し入れを」とか、戦争発生のメカニズムの具体的にどこにどう介入して、それを阻止するという、リアル・ポリティクスの話にはなりません。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:多分、そこに関心ないよね、この映画。紛争回避のための国際関係論とか、研究してた学者は当時も当然いたはずですが、一般に認知はされてなかったろうし、ドラマ化する難易度の問題もあるだろうけど、そもそもそれがやりたい映画ではない気がする。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:シミュレーション映画ではないのは、軍事考証面でもそうで、冒頭から対立陣営の対潜包囲網に追い込まれて、海中の対潜ネットに触れて座礁するシーンから始まるが、戦略原潜がそんな浅瀬で活動しているとは考えづらい。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:朝鮮半島38度線では戦車戦が繰り広げられた挙句、戦術核爆弾が炸裂するのだが、砲塔は多連装ミサイルランチャーで歩兵とも協同しない。ちなみに上空のヘリ(チヌーク)から指揮するE-8 J-STARS(ジョイントスターズ)の先取りみたいなことしてたがw #fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:……こう、全体に世界のどこから火を噴くという戦略環境の設定は生々しい割に、軍事描写の考証は雑で、そのくせピンポイントでリアルなカットもあるという、ムラが大きいというか。多分、兵器や戦術については、体系的な考証があまりなされていないのかな。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:ただ記録映像を入手できたからか、核ミサイルの打上げシーンはリアルだし、原爆被爆国の意地か、核の炎で灼かれる都市群の描写は念入りで生々しい。あとは大地を背景に編隊飛行をする戦闘機部隊の美しさとか(空戦中はただ正面から撃ち合ってるだけだが)。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:この辺は、リアルな軍事シミュレーションと言うより、当時の日本人がぼんやりと想像する「現代戦」のイメージを具現化したものと捉えるべきなのでしょう。自分の認識だと、リアルな軍事シミュレーションへの欲望を日本人が芽生えさせるのは、80年代に入ってからだし。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:その意味で、日本政府が終始無力であるのも、日本人一般が「そういう認識」だったということの方が大きいかと。非同盟の第三世界諸国を糾合して、国連の場で二大陣営を牽制するとか、当時の日本にも打てそうな手もあったけど、まったく言及はないし。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:特に戦後補償にかこつけたアジア諸国への影響力とか、バカにしたものではなかった筈だけど……。まぁ、軍事力を放棄した日本人には、理不尽な国際政治の仕組みに嘆き、憤り、平和を祈ることしかできないのだ、という自意識で撮られた映画ではあると思います。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:なので、この映画の絵的なキモは勿論、核の炎に全世界が灼き尽くされるシーンではあるものの、ドラマ的なキモはあの「最後の食卓」シーンであり、そこに先の戦争で同じように人生を断ち切られられた身近な人々の運命や、死を覚悟した自身の感情を重ねて涙する。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:そこで近過去の戦争の悲劇と、近未来に迫る熱核戦争の恐怖が一本道で接続する回路が完成する仕掛けになってます。これは、前の戦争から遠く時間を経てしまった現代の観客に観せて、どこまで機能するか、何とも言えませんけど。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:自分ら40代は、まだ戦中派とリアルに身近に接してるんで、かろうじて判らなくもないんですけどねぇ。逆に言えば、リアル戦中派でこれを観せられた当時の観客の受けた衝撃は如何ばかりか、という話でもある。軍事描写のリアリティなんか、どうでもいいわな、そりゃ。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日
『世界大戦争』:映画の持つ射程、それも時間軸で遠く時代を超えてまで届く映画が正しいのか、逆に公開された時代と心中するほど射程の短い映画こそ正しいのか。いや、どちらも正しいのでしょう。そこに届く観客がいる限り。そんなことを考えさせられる映画でした。#fr16_n
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年9月10日