『ガッパル再び』@ヒューマントラストシネマ渋谷(16/10/16(sun)鑑賞)
Gabbar Is Back - Official Trailer HD | Starring Akshay Kumar & Shruti Haasan | In Cinemas Now
監督:クリッシュ
主演:アクシャイ・クマール、シュルティ・ハーサン
2015年/インド/ヒンディー語/127分
原題:GABBAR IS BACK
本日の映画3本目『ガッパル再び』@ヒューマントラストシネマ渋谷に劇場入りしました。天に代わりて悪を討つ、汚職役人をぶちのめして廻る正義のガッパル兄さんのお話だそうで。そうそう、インド映画観るなら、こういう映画もないと寂しいよね(^^;; #fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月16日
『ガッパル再び』観終わりました。汚職官僚を次々襲って吊るす、インド版『ザ・ハングマン』。ちなみにこっちは首に縄掛けて本当に吊るしちゃいます、十数人(-o-;; 作中では、無邪気に「正義を行使して何が悪い」というノリだけど、まぁ、危うい話だよね。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月16日
『ガッパル再び』:マハーラーシュトラ州で汚職の噂がある役人10人が一斉に誘拐。その内、9人がほどなく解放されるも、1人が汚職の証拠資料とともに通りに吊るされる。騒然となる警察当局と市民に対して、「ガッパル」と名乗る男が犯行声明を送りつける。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:悪を許さず、不正を一掃すると宣言したガッパルは、警察当局の必死の捜査を嘲笑うように、次々と汚職役人を血祭りにあげてゆく。その男……ガッパルの正体は大学教授であった。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:彼は教え子を高潔な官吏として世に送り出すとともに、学生とともに一緒に悪を滅する秘密活動に従事していたのだ。そのガッパルの次の標的は、患者家族を騙して高額な医療費を捲き上げる悪徳病院。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:外道な病院経営者を成敗したガッパルだったが、そいつはガッパルと因縁浅からぬ悪徳資産家の息子。資産家はガッパルの正体に気づき、反撃を開始。一方、警察の捜査も大学まで伸びる。果たして、ガッパルの正義と復讐の行方は……というお話。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:日本の『ザ・ハングマン』は殺しはやらなかったけど、こっちはきっちり本当に吊るすインド版。それでも一応、(学生使って)調査するだけマシだけど、それで汚職ランキング上位から順に殺すとか。……合理的なシステム化を指向する野蛮っつーか。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:警察でもない市井のいち私人が、腐敗した権力機構に代わって勝手に悪を討つ……私設警察(ヴィジランテ)ものは、それこそ洋の東西を問わずあるわけですが、注目すべきポイントは、主人公の描き方に見る罪悪感、あるいは自意識の在り様です。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:悪党どもを皆殺しにして、何の咎めもなく世間から喝采を浴びて英雄化する無邪気な描き方から、行為の正当性を観客に証明しようと「調査」の手順を踏むようになる……この映画では、この段階。ちゃんと調査したから、正しい断罪ですよ、という。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:だからって教え子捲き込むなよとか思うが、この映画の中では主人公の正当性が観客との間で成立してる(前提な)ので、そこに疑問を挟む者はいない。父親が汚職警官ランクNo.1になったと聞いて泣く学生を慰めるシーンはあるけど。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:「たとえ汚職警官でも、僕にとってはいい父親だったんです!(泣」「判る。君の辛さは判るぞ」(でも殺す(爆) ……何だこりゃ、ではあるのだけどw、自らの行為を客観視する自意識は存在するのだけど、まだそれが内面化してないのな。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:主人公の内面の葛藤としては描かれないんですね。これが更に自意識の水準が深まってゆくと、主人公自身も「悪」として「悪」と対峙するとか、主人公側の「正義」が反転して瓦解する、分裂して内部抗争に走るなどし始める。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:最終的に「悪」と同質化する「暗黒小説(ノワール)」にまで至る…というのが、自意識の発達過程に沿った自警団(ヴィジランテ)もの、あるいはヒーローものにも通づる一般的なロードマップと言える。まぁ、そのことと作品の面白さは別だけどな!#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:だって、悪党を問答無用でぶっ殺せる方が楽しいに決まってんじゃん(暴言 それが出来ないのは、「正義」への陶酔を阻害する客観視する視線を意識してしまう……自意識が邪魔をするから。だから、それを宥める「言い訳」が必要になる。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:その「言い訳」が白々しければ、「素の欲望」が透けて見えてしまい、醒めてしまう。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:でも「言い訳」がどんどん複雑化し、「悪」が主人公の、あるいは観客の内面への内在化が進むと、結局、観客自身を断罪する辛い話になってしまう(繰り返すが、それがつまらないかどうかは、また別の話)。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:そういう創作物のロードマップ上にこの映画をマッピングすると、芽生えたばかりの自意識に、どこか居心地悪く、しかし素朴な「悪」への怒りや、それを鮮やかに斃す痛快さを希求したい気持ちもあって……という物語の成熟の途上にあることが判る。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:未成熟で、いびつさを残すからこそ、人が物語に仮託する、願望や欲望の原初の形を捉えやすい。あるいは、観客である私たちが、本当は何を欲していたのかに、はたと気づかせる映画だとも言おうか。#fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:さて、その他のポイントとしては、こんな必殺仕事人みたいなことやってるくせに、逃げも隠れもする気なく堂々と監視カメラに顔出しする主人公とか。行き当たりばったりで悪党締めたら、宿敵の息子だったりとかw #fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:身重の奥さんを悪党ディベロッパーの手抜き工事で亡くした悲しい過去…を描くのに、団地数棟を一気に崩落させるとか(爆 その宿敵が『仁義なき戦い』の山守組長ばりに凄え殴りたい外道だとか(怒。こー、個々の描写もスロットル全開でw #fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日
『ガッパル再び』:物語の発達過程だとか、構造理論的に興味深い作りなのもあるんですが、素直に乗っかって、ガッパル兄貴の痛快な悪党成敗を楽しんでも良し。まぁ、このお話をそのまんま、今の日本に持ってくるのはさすがに劇薬すぎると思うけどさ(^^;; #fr16_n #IFFJ2016
— 義忠@冬コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年10月24日