『NO』@ヒューマントラストシネマ有楽町(14/9/3(wed)鑑賞)
本日の映画『NO』@ヒューマントラストシネマ有楽町に劇場入りしました。今回も時間ぎりぎり。なんとか滑り込みました。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
チリ映画『NO』観終わりました。15年続いたピノチェト独裁末期、国際的な圧力もあり、国民による信認投票が行われることとなり、弾圧されてきた反体制派にも、深夜とはいえ毎日15分間の政見放送が許された。そこで否認派のプロデューサーに抜擢された主人公の取った戦略とは…というお話。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
『NO』:そもそものお話の前提として、国際社会も、国内の保守派でさえ、「そろそろ限界だろう、この政権」という暗黙の認識があって、知識人からもそっぽを向かれてる有様で、それ故にピノチェトも選挙の結果をあっさり認めて、政権を明け渡した、という背景があるのだけど。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
『NO』:それを踏まえつつ、政権打倒の「最後のひと押し」として、独裁政権下で萎縮した民心をどう鼓舞して、投票所まで導くか、知恵を絞って戦った人々の物語。それが独裁政権下の恨みつらみではなく、来るべき民主化社会への希望でなければならない、というのが本作のミソ。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
『NO』:まぁ、そうは言っても、ピノチェト政権は非道い弾圧やって、どえらい数の人間殺してるわけで、活動家の皆さん的には溜まりに溜まった恨み節がある。でも、それをぶち撒けてしまっては、国民を被害者と加害者で分断してしまって、「数」の動員に繋がらない。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
『NO』:広告理論の原則に反するし、何より辛気臭くて若者がついてこないからやめろ、と主人公が止めるのに、好きあらば恨み節に走りたがる活動家の皆さんw 対して、政権側にも上司で同僚のプロデューサーがついて、互いに手の内を知り尽くした広告術の攻防戦が始まる、というまさかの熱い展開に。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
『NO』:このふたりの関係が面白いのは、信認派と否認派に分かれて、結構えげつない駆け引きをやりながら、一緒に民間のクライアント相手に、仲良くプレゼンなんかしてるw 仕事と政治信念(プライベート)は別ってことらしい。ただこの割切りが、ラストの無血の政権移譲に繋がってくるのだろう。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
『NO』:作中で使われる当時のTV素材に合わせてか、劇場で観るには粗い画質だし、手持ちカメラの揺れるアングルも多く、ドキュメンタリー・タッチではあるのだけど、元が戯曲として書かれたもののためか、物語の輪郭は意外にくっきりしています。政治劇にありがちな、固さも生真面目さもほどほど。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
『NO』:物語の結末としてピノチェトが退陣するのは史実として決まってることだけど、それを息子と見届けた主人公が、英雄になるでもなく、また広告業界に戻ってしょーもないCM制作をやってるというのが、実にもって民主主義の
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
在るべき理想を体現するようで、素晴らしい映画でした。
『NO』:ちなみに、先に触れたようにこの映画の原作は戯曲台本だし、『ホドロフスキーのDUNE』の「主役」であるアレハンドロ・ホドロフスキーもチリの舞台演出家出身の映画監督。チリでは、舞台と映画が密接に関わりあってる文化があるんですかね。想像すると、いろいろ楽しくなってきます。
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日
『NO』:あ、ポスター映像上げわすれてたんで、上げときますね。 pic.twitter.com/Vw1m7es70p
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2014年9月3日