『アシュラ』@新宿武蔵野館(17/3/8(wed)鑑賞)
本日の映画『アシュラ』@新宿武蔵野館に劇場入りしました。#fr17_n pic.twitter.com/d0NwWbbRQn
— 義忠@冬コミ申し込み中 (@yoshitada_n) March 8, 2017
『アシュラ』観終わりました。無限に続く男たちのマウンティング地獄。そこから降りるには、いっそ死ぬか、それとも殺すか…。エルロイ的な腐敗と悪徳の地方都市で、対立する市長と特捜検事の板挟みになった刑事の物語。勿論、こんな人生は真っ平ゴメンだが、映画で観るのは大好物さw #fr17_n
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『アシュラ』:余命幾ばくもない妻の治療費を稼ぐため、韓国地方都市のカリスマ市長の「犬」として、汚れ仕事をこなしてきた刑事ドギョン。リタイアして市長側近に転職するはずが、成り行きで同僚刑事を殺してしまい、特捜検事に目をつけられる。#fr17_n
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『アシュラ』:検事に弱みを握られ、協力するように強制されるドギョン。やむなく市長の元には、自分を慕う後輩刑事ソンモを代わりに送り込むが、あっさり市長に取り込まれたソンモはドギョンを見下すようになる。#fr17_n
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『アシュラ』:一方、同僚刑事殺しの罪をなすりつけたジャンキーの情報屋が証言を翻し、ドギョンは窮地に陥ってゆく。それに対し、ソンモは市長と敵対することになった元支持者の有力者を自ら殺すことで市長の歓心をかう。#fr17_n
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『アシュラ』:市長に通じた上層部からの圧力に晒されて焦る検事は、無理にでも証拠を取ってくるようにドギョンに強いる。その結果、はからずも市長の資金源である麻薬ビジネスを潰すことになってしまったドギョンは、いよいよ追い詰められてゆく。#fr17_n
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『アシュラ』:事件関係者も次々に不審な死を遂げ、市長の信頼も失い、特捜検事からは暴力で屈服させられる。更に手術の結果、妻の死も避けられないと知ったドギョンが選んだ道は……というお話。#fr17_n
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『アシュラ』:エルロイの描くLAの如く、政治家も警察も腐敗しきった悪徳の栄える地方都市。一歩判断を間違えれば地獄行き。それを自分に言い聞かせるように、繰り返し胸で呟きながら刑事は夜の裏路地をゆく。こんな人生、降りてしまえば楽だが、病気の妻の存在がそれを押し留める。#fr17_n
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『アシュラ』:ただ、その奥さんを別に美人だの、天使のように描くわけじゃないんだよね。病気でやつれて、自分の存在が旦那の負担になっていることを悔いてばかりいる。不憫ではあり、哀れではあるけど、観客にまで愛おしさを感じさせるようには描いていない。#fr17_n
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『アシュラ』:何故、そこまで執着するのか。その理由は描かれない。裏設定として、奥さんとの美しい出逢いとか過去とかはそりゃあるのだろうけど。物語的にはそこはどうでもいい。主人公をこの地獄のような悪徳都市から逃がさない「足枷」があるのだと、観客に伝わればそれでいい。#fr17_n
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『アシュラ』:だが、物語終盤、彼女の死が避けられないと判った時点で、物語は位相を変える。「足枷」が外れるのだ。主人公が極限まで追い詰められたその段階で。ちょっとぞっとするくらい、冷徹にキャラを「機能」だけで扱っている。#fr17_n
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『アシュラ』:もうひとり、ある意味、この物語の真の主人公とも言うべき存在が、韓国の松重豊ことファン・ジョンミン。善人もヒーローも演じる彼が、この映画では、諸悪の元凶、底なしの支配欲の塊の異様なカリスマ市長を演じている。#fr17_n
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『アシュラ』:このキャラもちょっと異様なくらい、支配欲に純化して描かれていて、妻子や愛人の存在も描かれず、札束に頬ずりするわけでもなく、好物は斎場で出る給食センターのスープでw、誰かを屈服させて支配関係を明確にさせた瞬間が一番、嬉しそうに輝く(爆 #fr17_n
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『アシュラ』:この映画、基本構造としてハメットやエルロイ、馳星周といった系譜に連なる非常に伝統的(トラディショナル)な「悪徳都市」もののハードボイルド/ノワールの物語なんだけど、要所要所でこういった記号化一歩手前の極端に純化された要素が顔を出すんだよね。#fr17_n
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『アシュラ』:そうやって浮かび上がるのが、息苦しいまでのマウンティング地獄。誰もかれもが、力づくで支配関係を証明しようとする。それ以外のコミュニケーション方法を知らないかのように。#fr17_n
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『アシュラ』:父権原理の負の側面の行き着く涯(はて)の世界という意味では、非常に韓国映画らしい映画とも言える。彼らがこういう物語を繰り返し繰り返し語り、描き、精度と強度が磨き上げられてゆくのは、それだけこの問題が社会的に切実なんでしょうな。#fr17_n
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『アシュラ』:ただその一方で、僕らもこの底冷えのする悪徳都市の物語の息苦しさ、哀しさ、救いのなさに感情移入し、共鳴する。地縁血縁の保護から切り離され、個として残酷な世界と対峙しなければならないのは、程度の差こそあれ近代社会の宿痾であり、我々の社会も一緒だから。#fr17_n
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『アシュラ』:とは言え、60~70年代ほど、私たちの社会はこの問題に切実ではないから、ここまでの精度と強度のノワールを自ら必死に量産したりはしていない。まぁ、感覚が麻痺してるだけなんじゃないかと思う時もあるけれど。逆に韓国は、今はそういう時代ってことなのか。#fr17_n
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『アシュラ』:フランス映画や日本映画がかつてやっていたように、今は韓国映画が暗黒映画(ノワール)という表現を磨き上げている。いずれ彼らもそれを手放して、次の走者に手渡す時が来るのかもしれない。#fr17_n
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『アシュラ』:だが、今は彼らがトップランナーであることを、この純度の高い暗黒映画(ノワール)は示しているように思う。そして、それで彼らは世界と繋がってゆくんだよね。孤独と苦痛と怒りの物語で。その逆説性もまた面白い、そんな映画でした。#fr17_n
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