『ある日わたしは』@ラピュタ阿佐ヶ谷(18/05/03(thu)鑑賞)
本日の映画2本目『ある日わたしは』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1959年公開。岡本喜八監督、上原美佐&宝田明主演の現代もの。というか、原作は女性誌掲載小説なので、恋愛ものってことでいいのかしら。#fr18_n pic.twitter.com/AlfLUNtuO5
— 義忠@夏コミ申し込み中 (@yoshitada_n) May 3, 2018
『ある日わたしは』観終わりました。上原美佐と宝田明のラブラブ・バカップルの話なんだけど、原作が石坂洋次郎なんで、親世代の恋愛がふたりの関係に影をさし……というお話。上原美佐が、相手がそれ聞いてどう思うかをまったく考慮することなく、思ったことそのままぶっ込んでくる娘で(爆 #fr18_n
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『ある日わたしは』:だいたい、宝田明との出逢いも、互いにパーティー会場で空気読まない発言したので、意気投合したという(^^;; いきなり固い恋愛論や男女論はじめるのは、この時代の他の映画(特に石坂洋次郎原作では)よく見るのだけど、ここまでのメンドくささは、この時代でも珍しいw #fr18_n
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『ある日わたしは』:超美人の上原美佐の顔で「それをオレに聞かせて、どうしろと」という困惑するような話題や問いをいきなり振ってくるのだけど、ギャグではないので、始末に負えない。ただ彼女以外のキャラも少なからずその気があるので、原作か脚本の元々の気質ではないかと(^^;; #fr18_n
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『ある日わたしは』:多分、当時の感覚から言ってもそこは「変」だったのではないか、と思われるけど、こういう過剰さや「変」さがあってこそ「物語」であり「キャラクター」であるので、それがいけないわけではない。彼ら彼女らの「変」さは、私たち自身を誇張したものなわけだし。#fr18_n
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『ある日わたしは』:まぁ、とは言え、病気で気が弱っているとはいえ、自分の母親の口から結婚前に前の恋人と爛れた生活してたとか告白されるのはやめて欲しいし、それを正直に書き綴った手紙で一方的に交際破棄を通告されるのも、相当異常な事態なわけですが(爆 #fr18_n
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『ある日わたしは』:あとはこの映画、東京と主人公カップルの実家である岡山、あるいは親子間の恋愛観・家族観の齟齬の話でもあって、当時はこうやって「物語」を生む葛藤(コンフリクト)に繋がる断絶がそこにはあったということでもある。多分、現代だと成立していないよね、この話。#fr18_n
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『ある日わたしは』:女性向けのコンテンツと言いつつ、原作・脚本・監督いずれも男性で、この映画で示されているヒロインの選択や思索が、どれだけ当時の女性の気持ちに寄り沿ってたのかは判りません。やはりちょっと理屈過多かなと思うし。でもこういう時代もあったのだ、という一例として。#fr18_n
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