『三匹の牝蜂』@ラピュタ阿佐ヶ谷(18/12/15(sat)鑑賞)
本日の映画1本目『三匹の牝蜂』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1970年公開。大原麗子&夏純子&市地洋子がイケイケのギャル(当時の用語で「ズベ公」(^^))三人組で、ヤクザと対決するお話だそうですが、さて。#fr18_n
— 義忠@冬コミ申込み中「物語工房」 (@yoshitada_n) December 15, 2018
『三匹の牝蜂』観終わりました。万博に沸く大阪に、観光客とスケベな男どもをカモにしようとやってきたズベ公3人組。自由気ままに暴れ廻る内に、地元ヤクザの利権とかち合い…というお話。基本的なストーリーは後の『女番長』シリーズ序盤と同じなんだけど、力の強弱あれど全員肉食獣というw #fr18_n
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『三匹の牝蜂』:万博で来る外国人客を当て込んでヤクザが主人公たちに売春をやらせよう、というのはまあいいでしょうよ(よくはない(^^;;)。じゃあ、というので先手を打って、主人公たちの方で家出娘とか集めて先に売春業を始めるというのは一体(爆 #fr18_n
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『三匹の牝蜂』:緑魔子の不良少女ものから、この後の池玲子なんかの『女番長』シリーズなどの東映ピンキーバイオレンスに一貫する、倫理の底が抜けた世界、弱者であっても罪にまみれてあっけらかんと生きる世界。身内であっても隙を見せればあっさりと裏切るし、別に引きずり様子もない。#fr18_n
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『三匹の牝蜂』:この映画では、ヤクザから見て「弱者」である主人公たちは、売春を強いられそうになる被害者であると同時に、家出少女をレイプし、万引き主婦の弱みを握って売春組織を実際に経営してしまい、それをヤクザに目を付けられて乗っ取られる。正義も仁義もないし、反省もない。#fr18_n
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『三匹の牝蜂』:加害者/被害者、あるいは強者/弱者の立ち位置はほんの瞬間的なパワーバランスで決まるだけの話であり、誰もがカモになるリスクを受容すべきであり、自分自身もまた受容して生きる。ストリートの冷徹な論理というべきだが、それをここまであっけらかんとは今の邦画は描けまい。#fr18_n
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『三匹の牝蜂』:逆に言うと、スケベな男どもをぶっ飛ばすだけの痛快な活劇では済まず、こういう陰の面に言及しておかないと落ち着かない作り手のバランス感覚があったのかな。とすると、そんな感覚が社会の片隅に残っていた70年代とは何だったのか、という話にも繋がってくるわけだけど……。#fr18_n
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『三匹の牝蜂』:映画自体は、終盤に万博跡地の入札情報を巡るチキチキなカーチェイスが展開し、ラストはガソリンスタンド大爆発という、ちょっとこの映画でそこまでやるとは思わなかった落ち(^^;;に雪崩れ込む、まあ痛快娯楽映画ということでいいと思います。#fr18_n
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『三匹の牝蜂』:ただ見ようによってはノワールと言っていい世界観が、よりにもよって何故、女性主人公ものの東映ピンキーバイオレンスに突出して顕れたのか。それはこの時代の、あるいは東映という映画会社のジェンダーの捉え方の特異性と関係あるのか。その辺は引き続き追ってゆきましょう。#fr18_n
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