『新選組鬼隊長』@ラピュタ阿佐ヶ谷(20/03/29(sun)鑑賞)
引き続き本日の映画2本目『新選組鬼隊長』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1954年公開。子母沢寛『新選組始末記』原作の映画化としては、初期の作品になるのかな。片岡千恵蔵が近藤、中村錦之助が沖田総士で、一応、新選組終焉までやるらしい。……あれ、土方歳三は?(^^;; #fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年3月29日
『新選組鬼隊長』観終わりました。池田屋事件から、流山での近藤勇の投降までを描く、「新撰組物語総集編」映画。基本ご存知ネタのオンパレードなのだが、こういう場合、エピソードのどれを拾いどれを捨てるのかがポイント(^^) 司馬遼太郎以前だから、微妙に勘所が違うのも楽しい。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年3月29日
『新選組鬼隊長』:全体で114分の尺の内、半分強で鳥羽伏見まで片付けるので、特に前半は総集編感が強いです。伊藤甲子太郎暗殺の油小路の変は、実際には伊藤暗殺後、屍体を路傍に晒して、増援を更に叩く、いわゆるダブルタップ方式だったわけだけど、そこを襲撃描写一回で済ませたり。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年3月29日
『新選組鬼隊長』:何でこんなに詰め込み気味だったのかは、後半になると見えてきて、敗色濃くなる情勢の中で、「別れ」の場面をたっぷりと情感と尺を使って描いてゆく。流山では土方は別働隊率いていなかったはずだけど、そこも描く(^^;; 近藤本人がそうありたかった「別れ」の夢のよう。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年3月29日
『新選組鬼隊長』:いや、まあ、片岡千恵蔵が情感たっぷりに情人と別れ、戦友と別れ、沖田総士と別れ、最後に土方歳三以下、新撰組残党に別れを告げて、官軍に投降すべくすすき野に消えてゆく。そのエモさに、当時の観客は感情を鷲掴みにされたんでしょうなあ。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年3月29日
『新選組鬼隊長』:今観ると、講談調の台詞廻しは、逆に芝居がかってて大仰に見えてしまうのだけれど、そこは21世紀の私たちが違う演技メソッドの時代に生きているからであって、時代劇や講談、大衆演劇の節回しなどが生きていた時代にあっては、この語り口こそ観客の心に響いたのでしょう。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年3月29日
『新選組鬼隊長』:後は小ネタとして、全体に駆け足気味なのに、鳥羽伏見開戦直前に近藤が御陵衛士残党に狙撃される話は拾ってたり、新撰組ネタの定番な沖田総士の黒猫話がなかったり(そこは司馬遼太郎の創作だし(^^;;)、土方歳三より近藤-沖田の関係性の方が重視されたり、色々興味深い。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年3月29日
『新選組鬼隊長』:新撰組のパブリック・イメージが、講談などの「悪の秘密警察」的なものから、敗者目線からの人間集団として問い直したのが原作の『新選組始末記』とされる。その変遷の中で、時代時代で何が取捨され、どこに力点を置いて語られてきたかを考えつつ観るのも楽しい映画でした。#fr20_n
— 義忠@C98月曜 南ウ40「物語工房」 (@yoshitada_n) 2020年3月29日
■監督フィルモグラフィ:河野寿一(1921年~1984年)