積読日記

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総監督:富野由悠季『機動戦士Zガンダム〜星を継ぐ者』


機動戦士Ζガンダム -星を継ぐ者-
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機動戦士Zガンダム~A New Translation Review~

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Metamorphoze~メタモルフォーゼ~(限定盤)(DVD付)

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機動戦士Z(ゼータ)ガンダム〈第1部〉カミーユ・ビダン (角川文庫―スニーカー文庫)
 初日の最終回を先ほど観てきました。21時台開始の回のわりに、そこそこの入り。
 まず所感としては、基本的に20年前の、しかもTVアニメの物語とフィルム素材をベースにしていながら、21世紀の劇場の大画面に耐えて、なおここまで新鮮で迫力のある映画になるとは思いも寄らなかった。恐るべし、ハゲ監督。
 何よりも構成のスピード感! スペースコロニーでのガンダムMk-IIの強奪からエゥーゴによるジャブロー降下強襲作戦、アムロとの合流まで──起伏に富んだストーリー展開と膨大な情報量を90分に詰め込んで、観ていて違和感がない。
 元々、富野アニメの高密度なストーリー構成には定評があったものの、観念的な台詞廻しや説明不足な演出などから、特にこのTV版『Zガンダム』の時期の富野アニメは、時として観ていて辛く感じることもあった時期だった。*1
 それがここ近年では、説明不足は相変わらずでも、それが気にならないほどのスピード感のある演出で押し切り、いっそただぼんやりと眺めているだけでも快感に感じるほどの凄みを増してきた。老いることによって、足腰が弱るよりむしろ身体の軽やかさを増しているかのようだ。世の中には若者がうかつに歳を取ることを許さない、そんな恐るべき年寄りがいるのだ。
 映像的にも、次から次へと繰り出されるMS戦の高機動戦の凄みと手数の多さは見事の一語に尽きた。本放送時に初代ガンダムと観比べても高速感のあった『Z』のMS戦だが、更に加速している。中には20年前の映像素材も含まれているのだが、レイアウトと演出のタイミングがその時点で完成の域に達していたためか、それもむしろ劇場のスクリーンでこそ映える奥行きのあるアクションに仕上がっている。しかし、一般兵士から指導者クラスまで、各人各様の思惑が絡んで時間とともに戦闘が無秩序な混沌に飲み込まれてゆく様は、他の戦争アニメには観られない富野アニメだからこその圧巻だ。
 無論、今回の映画化でカミーユの性格を変えたためか、強いストレスを溜め込んだTV版素材のカミーユと険の少ない新作素材のカミーユとが混在し、一貫性に欠ける感もなくもない。この辺のギャップは今後のストーリー展開で更に広がってゆくものと思われる。どうするのかな。最悪、完全新作ということにすらなりかねない問題だけど、神業じみた演出でうまく凌いでのけそうな気もする。あのハゲ監督なら。
 
 TV版が放映された87年は、ゴルバチョフの登場で冷戦終結の萌芽は見られたものの、まだベルリンの壁は崩れていない。しかし、ティターンズの存在は直接にはネオコンの後ろ盾で暴走しがちな米国防総省(DOD)の高官達を思わせるし、俯瞰的視点で見れば経済成長の鈍化とともに右傾化の進む西側社会の象徴に見えなくもない。また戦争の様相が主権国家同士の対立であった一年戦争に対し、非国家機関(NGO)であるティターンズエゥーゴの間での内戦を描く本作は、冷戦後の世界情勢を予見していたかのようだ。勿論、それらの予見をもたらす様々な兆候は当時、既にあったであろうが、それをこの時代にこうして作品へと結実させたのは富野由悠季の優れた作家性故だろう。
 しかし、当時のTV版はそれらの予見性をエンターテイメントに昇華できず──というより、「エンターテイメントになぞしてたまるものか」という意地すら感じさせるほど、視聴者を突き放していた。それが険の抜けた──軽やかさを得たと言い換えてもいい、今の富野由悠季の手による本作は、とてもエンターテイメント性の高い、観ることの快楽を伴った作品に仕上がっていた。
 これから続く劇場版第2作、第3作が楽しみだ。

*1:実はしっかりと読み解いてゆくと大抵のことは作中で語られていたりするのだが、そういった読解力を視聴者に普通に要求するという点で、敷居の高い作品だったと思う。