積読日記

新旧東西マイナー/メジャーの区別のない映画レビューと同人小説のブログ

■Twitter               ■Twilog

■小説を読もう!           ■BOOTH:物語工房
 
各種印刷・製本・CDプレス POPLS

監督:ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ エピソードⅢ:シスの復讐』


「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」トレーラー
eiga.com

スター・ウォーズ エピソード III/シスの復讐 オリジナル・サウンドトラック(Blu-spec CD2)

スター・ウォーズ エピソード III/シスの復讐 オリジナル・サウンドトラック(Blu-spec CD2)

 ♪帝国は〜強い〜強い〜♪
 ♪下っ端は、みんな〜白い〜♪(「帝国軍のテーマ」で)
 ……いや、昨日の『sakusaku』で木村カエラとヴィンセントが歌ってたもので(爆)。
 それはともかく。
 '70年生まれの自分としては、やはり『スター・ウォーズ』は特別な存在で、ビジュアルなイメージとして「SFってのはこんな世界なんだぜ」(厳密には「スペオペ」だったけど)というのをがっつり深層心理の奥底まで刷り込んでくれた、ある意味、非常に罪作りでもあった作品である。
 それだけに4半世紀及ぶ物語の結末を見届けるのはそうした世代にとっては義務のような気もしていて、イスラム教の信者がメッカ詣でをするが如く劇場に足を運んだわけです。
 観終わって、いろいろと突っ込みどころはあれど、概ね観たいと思っていたものは観れたし、失敗しているところも巷間言われているほど取り返しのつかないものではなかったように思う。
 以下、ネタバレありまくりなので未見の方はご注意を。
 冒頭、いきなりコルサント上空軌道上での密集艦隊戦から始まるのはアニメ『クローン大戦』からの引きだからで、おなじみのタイトルバックでちょろっとその辺の事情*1の説明があるだけなので、ちょっと不親切。ダイジェストでいいから、状況説明が欲しかった。
 しかし、敵旗艦に乗り込んでからのこの師弟のデタラメな強さはシリーズ最高の域に達しており、敵の集中射撃をどこ吹く風と普通に歩いて突っ込んで行き、通りすがりに視線も向けずに皆殺しにしてのけるあたりは、もはやチャンバラ映画のある種の快楽の頂点に近いものがあった。
 でも、議長救出後にアナキンがオビ=ワンに「あなたの作戦のおかげです」とか言ってたが、あの成り行き任せ以外の何物でもない行動のどこに作戦なるものが存在したのかと突っ込みを入れたくてしょうがなかったな。
 さて、そんなこんなで前作EP2で悪の大幹部振りを誇ったドゥークー伯爵をあっさりアナキンが叩き殺し、パルパティーン議長救出後から本筋はスタート。
 妻パドメの死を幻視し、動揺するアナキン。そこへ議長とジェダイ評議会の確執に捲き込まれ、頼みのオビ=ワンは敵の追討に辺境星域へ。不安定さを増すアナキンへ、議長からの暗黒面への誘いが重なり、そして議長自ら暗黒卿ダース・シディアスたる正体を明かしたとき、悲劇の最終楽章の幕が上がる――
 この悲劇へと至る過程が、非常に丁寧に「台詞」で説明されるので、判りやすい。映像作品としてはちょっとどうかと思わないでもないけど、このぐらい判りやすくしないと米国の観客には伝わらんのだろうなと思うと、致し方ないという気にもなる。
 ただここで面白いなと思ったのは、「堕ちた」のはアナキンだけではなく実はジェダイ騎士団自体もそうであると暗に示唆されている点。身ひとつ剣ひとつで銀河の平和を守ってきたはずのジェダイが、如何にそれが危機的状況であったからといってクローン兵団の力を頼り、身内を疑い、シスとはいえ武器を持たぬ者を斬ろうとする。アナキンが「堕ちた」のは、そのジェダイとしての規範が崩壊する瞬間に立ち会ってしまったからでもある。ジェダイが滅びたのは必然であり、それを自覚していたからこそ帝国の暴政を知りながら、ヨーダは辺境の星に隠棲し続けたのだろう。
 そうした深読みを許す箇所が随所にあったのも、本作の特徴でもある。
 
 『スター・ウォーズ』という物語は、その本質において「おとぎ話」である。
 「おとぎ話」は元々コミュニティの集合意識によって構成される情念の集合体・集積体であり、そうである以上、多少の論理的矛盾があっても物語の感動をもたらす力は揺るぎなく強大である。
 ただし『EP4〜6』が政治的な配慮や近代市民社会の倫理感によって脱臭されてしまった教科書に載るような「おとぎ話」であるのに対して、『EP1〜3』は血と土の匂いを残し世界の残酷さと不条理さを無造作に織り込んだ土俗的なフォークロアに近い。本来の「おとぎ話」とは、かくも荒々しく、接する者の心に得も言われぬさざなみを残すものであったのだ。
 確かに演出の技量の話をすれば、「30年掛けてルーカスはとうとうこの程度にしか成長しなかったのか」という身も蓋もない感慨を抱かせる箇所が少なからずあったのは事実なのだが、「おとぎ話」として守るべき本質を堅実に守り抜いた作品であったし、『スター・ウォーズ』という物語の本質がそこにある以上、他の要素は所詮はディティールの話に過ぎない。
 世界中のファンがこの作品に魅了されたのは、職人芸的な演出力などではなく、いつの時代、いつの世にも通づる普遍的な「おとぎ話」という点にあったのだから。
 
 そんな意味も含めて、自分にとって非常に楽しめたし、感動もした。エピローグパートのパドメの葬儀の場面で、彼女の手元にアナキンから送られたアクセサリを見たとき、思わず泣きそうになったもの。
 多分に歳とともに涙もろくなってきていたり、幼少期の刷り込みの所為で評価に下駄を履かせている節もなきにしもあらずですが、それでもこの作品の存在を自分は全面的に支持します。
 もっともそれは自分にとって、ルーカスの個別のシーンでの演出力のなさを力いっぱいこき下ろすこととはまったく矛盾しないものではあるのですが……(苦笑)。

*1:パルパティーン議長が誘拐されたので、その追撃戦にオビ=ワンとアナキンが銀河の果てから呼び戻された。