積読日記

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別宮暖朗『旅順攻防戦の真実 乃木司令部は無能ではなかった』

旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった (PHP文庫)

旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった (PHP文庫)

 駅のキオスクで目に留まったので手に取った一冊。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』では「人間として善人だが軍人としては無能」と決め付けられている乃木希典に対して、そうではなく乃木将軍(及び第三軍司令部)の判断には軍事的妥当性があり、当時の軍事技術、軍事思想に照らして最善を尽くしていたことを証明しようとする本です。
 だもので、司馬遼太郎への批判がいささか鼻につくきらいはあるんですが、それよりもこのテーマからあぶり出される近代要塞戦の情け容赦のない実相の方が凄まじい。

 非常に荒っぽく要約してしまうと、「要塞攻略の本質は、敵兵力を殲滅することにある」という話で、その視点に沿って日露戦争における旅順要塞攻略戦を眺めると、これまでの一般的な史観とはまた違った視点が見えてくる。旅順が陥落することによって、海軍としては貴重な不凍港を使えなくさせることでロシア海軍の機能を大きく押さえ込むことに成功したことは言うまでもないのだけど、陸軍としても1個軍もの敵戦力を無力化し、逆に味方の乃木第3軍の行動の自由を得た。これが後の奉天会戦における日本軍勝利の決定的な要因となったする考え方です。
 当時、ロシア側には無尽蔵の兵力があって要はシベリア鉄道の輸送力の問題だけだったかのように日本人は思いがちだけど、モスクワの意識としてやはり軍事的正面はヨーロッパ側であり、フランスとの同盟関係を考えればそうそう大規模に兵力を引き抜けない。その限られた兵力の中で1個軍丸々失ったというのは、ロシア側にとってバルチック艦隊の壊滅に匹敵する戦略的衝撃であったというのも理解できなくはない。
 帝国陸軍は旅順攻略のために実に2万もの将兵の損失を余儀なくされたけど、それに見合うだけの意義のある戦いであったことになります。
 
 もうひとつ、戦術的なポイントとしては、近代戦における「要塞戦」とは厚いべトンの中に篭ることではなくて、巧妙かつ大規模に作られた塹壕によって展開する「塹壕戦」でもあるということ。結局のところ、ひとつひとつの防御拠点は火線の刺客をついて取り付いた歩兵が手榴弾を放り込むなり、大口径の砲弾の直撃を喰らえば潰されるわけで、それよりも予備兵力を豊富に備えて「陥とされたらすぐに取り返す」体制を維持し続けることの方が重要になってくる。ただそれは、敵味方双方に膨大な出血を強いることでもあり、しかも時代は機関銃が普及し始めていて、戦場における血と鉄の消費はひたすら拡大の一途をたどりつつあった。それはやがて、この時代のすぐ後に始まった第1次世界大戦で絶頂を迎えるわけなのですが。
 
 司馬遼太郎は日本が誇る国民作家であり、日本人が自国の歴史と考える上で重要な枠組み(フレーム)を提供したという点で、その文学史的な役割は充分に果たしていると思います。
 ただそうは言っても、やはりあくまで「小説家」なので、作品の中では「物語」のめりはりを付けるために歴史的人物の評価の誇張や、役割の変更なども行っている。あるいは、取材したソース自体、偏りがあることもあったでしょう。
 それ自体を責めてもしょうがないとは思うんですよね。
 ただ、新しい史料が異なる視点や事実を示しているなら、それらと真摯に向き合ってゆくのが、むしろ司馬遼太郎の歴史への想いを正しく受け継ぐことなのでしょう。