積読日記

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NHK特集「日本のこれから 米軍基地」(6/10放送)

 沖縄や岩国などの米軍の基地被害者の方々と額賀防衛庁長官の対話番組という趣向なのだが、基地被害者の方々があまりに感情的過ぎて対話が成立していなかった。
「内地の人たちは私達の苦しみが理解できないのだ」という主張はもっともだとは思うし、また事実ではあろうが、それを言ったら終わりでもある。同時に彼らもまた沖縄や日本の置かれた地政学的な意味合いについて理解すること自体を拒絶している節があるので、対話の基盤が成立していない。これでは番組に基地反対派がストレス発散しにきた以上の意味合いはなく、その意味で不毛な3時間だった。
 
 僕はどちらかといえば憲法9条擁護論者だし、在日米軍再編への政府のやり方にもいろいろ文句を付けたい立場の人間なのだが、いまどき憲法9条さえ念仏のように唱えていれば日本が戦争に捲き込まれないなどという発想をTVの前で簡単に口にできる神経には驚く。憲法なんて、所詮はただの言葉だ。それに何がしかの意味を持たせるために先人がどれほど努力と犠牲を払ってきたのか、少しは考えて欲しい。無論、この場合の「先人」は政権与党の政治家や外交官だけではなく、右から左までの国内のそれぞれの運動に携わってきた方々、内外で活躍するビジネスマンから個人までを含む「日本人」全体を指す。
 この話は長くなるのでこれ以上突っ込まないが、「基地があるから狙われる」という発想も根本的なところで話の順番がひっくり返っている。「誰かに奪われたら困る土地だから、基地がある」のだ。このところいくらアホさ加減が極まっている米軍とはいえ、別に地元住民に嫌がらせをするために、わざわざ米国市民の血税を使って若者を送り込んでいるわけではない。
 
在日米軍基地を減らしたい」という想いには、地元の方々の血を吐くような想いがこもっているのだろうとは想像に難くない。
 しかしそうした命題を立てたなら、まず「なぜそこに基地を置かねばならないのか?」を米軍の視点で真剣に考え、その理由に対する対案を提示してゆくべきだ。無論、それか反対運動やテロなどで基地を維持するリスクとコストを増大させ、手を引かせるという選択肢もなくはないが、それにしてもやはり「基地が置かれる理由」への理解が足りなければ、反対運動の戦略の確立もままならない。
 では、その「理由」とは何か。
 番組中でもたびたび言及されていたが、東南アジアから中東に至る「不安定の弧」への米軍の覇権(ヘゲモン)を維持するためであり、それは現状、西側社会の経済的動脈線の安定化と同義でもある。勿論、そこには中国や北朝鮮(もしくは韓国も含まれるかもしれない)への睨みを効かせるという意味もある。
 国内政局次第で対応が行き当たりばったりだったり、戦場で劣化ウラン弾なんて環境破壊兵器を平気で使用する無神経さなど、頭が痛い側面も少なくないとはいえ、その意味において米軍は今のところ自らに与えられた職務をそつなくこなしている。
 そして、それを支えているのは沖縄の兵站能力*1であり、在日米軍でもある。
 基地反対派の方々が言うように、この地域からいきなり米軍の存在が消えたら、早晩、無茶苦茶なことになるだろう。その辺りは、ソ連崩壊後、辺境の旧東側諸国が凄まじい勢いで内戦や戦争に引きずり込まれていった経緯を見ていただければ想像できるかと思うのだが、「地元以外で誰が死のうが知ったこっちゃない」というのも立派なひとつの見識ではあるので、仮にそうした立場を取られても責める気はない。
 そもそも今回の米軍再編自体、こうした現状の米軍に国際社会から与えられた社会的責務をどうにかして放り出すためのステップではないかと僕は疑っているので、どの道、そうした状況に至りかねない可能性はあるのだ。
 いずれにせよ、パワーバランスの調整というのは、かように難しい。兵を引けばそれで済む、というものではない。
 
 ではどうすればいいのかといえば、「米軍がこの地域から兵を引いても、地域の安定が失われない状況」を作ってやればいい。米国政府がやたらを自衛隊の海外展開を促したり、中国を警戒しつつ「利益共同体(ステークホルダー)」であると持ち上げたり、インドに核技術を供与したりしているのは、それぞれの担当地域での安定化の義務を米軍に代わって欲しいというホワイトハウスのからのメッセージでもあるのだろう。勿論、その思惑通りに話が運ぶ保障は一切ないのだが、米国の軍事費だけでその他の国の軍事費の合計より多いなどというアホみたいな状況をいつまでも続けていられるわけがないの一番良く知っているのは米政権自身だ。
 であるならば、答えはもう出ている。
 日本も米国のその方針に乗っかって、この「不安定の弧」の国々の間での信頼醸造のための取り組みを積極的に展開すべきだ。それは軍事や政治、経済面での交流から、オタクなコンテンツを使った個人レベルの交流まで。それこそ日本人が一丸となって、この課題に取り組むことこそが、「在日米軍基地の撤廃」のための最短で最善の道なのだ。
 ……いや、まぁ、それでも沖縄から基地がなくなるのは、本当に最後の最後となる気もするが。
 
 奇麗事のような提案でまとめてしまうのは気が引けるので、ついでに指摘しておくと、上記のやり方は方向性としては間違っていないと自負するものの、そう簡単に実現できるとは考えない方がいい。「軍事」ではなく、「外交」主体でこうした取り組みを行うべきだと僕も考えるが、優れた外交とは得てして相当にえげつない。ましてや「軍事」は使わないと縛りをもうけるなら、そのえげつなさはまっとうな神経では耐えられないレベルになりかねないという覚悟は必要だ。「人類皆兄弟」とはよく言ったものだが、家庭において得てして「兄弟」こそが最初にして最大の「敵」だったりもする。ましてや利害の異なる「国家」を「外交」で結びつけようというのであれば、簡単に済むわけがない。
 とりあえず、世襲で入省したような職員ばかりの、それすらたった3,000人しかいない現在の日本外務省の手には明らかに余る仕事だろう。
 であるならば、人員を増やし、民間からの中途採用も積極的に対応し、柔軟な思想と行動力を備えた組織に外務省を生まれ変わらせて──うん、それはいいけど、そのコストは誰が負担するの? それより先に、民主主義国家において、そうした国家戦略の大転換を議論のためには長い時間が掛かるよね? 確かに、小泉首相はそうした民主主義的なお約束事を平気で無視して、ノリと雰囲気だけで「改革」を実行してきたけれど、しかしそもそもあの人、外交にあんまり興味ない人だしなぁ……。
 
 おそらく明日の朝も基地からの爆音で叩き起こされるであろう在日米軍基地周辺の方々の日々のご苦労は察するに余りあるし、暢気な本土人の口からそれを告げるのは実に恐縮ではあるのだが、人生の大概の問題がそうであるように、この問題は一朝一夕で簡単に解決したりはしない。結局、日々、それぞれができることを積み重ねてゆくしかないのだ。
 しかし、同時に、感情に流されず、事の本質を理解して欲しいとも思う。
 そして「どうすれば基地をなくすことができるか」という命題への現実的な解を、一緒に探すことが出来ればと願うのだが。

*1:広義の意味でのロジェスティック。勿論、訓練やR&R(兵員休養)の機能も含む。