積読日記

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『僕等がいた』第10話「…」

僕等がいた (10) (Betsucomiフラワーコミックス)

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 矢野、七実、山本さん(妹)の三者三様に「キれる」話。
 原因は前回ラストで七実がいらんことしたからなのだが、もうね、山本さんが不敏で泣ける。
 友達も作らず、教室の喧騒の中でもひとり孤独に過ごしてきた中学時代の山本さん(妹)に、(おそらく何も考えていないが故に)気安く声をかけてきた矢野。自分の中で何かが変わってゆくことに戸惑いを覚えながら、少しづつ心を開こうと努力しようとしていた矢先に、あっさりDV依存症の姉にその矢野を寝取られ(……ひどい話だ)、しかし彼女なりの姉への思慕の念もあってぐっと想いを胸に秘めて堪えていたら、その姉が前カレと交通事故死。姉へのやつあたりと身代わりであることを承知で矢野に抱かれてみれば、それっきりなかったことにされて、あげくに自分の目の前で別の女(七実)といちゃつかれる。それでも、もう自分には関係ないと必死で言い聞かせつつ(まぁ、嫌みぐらい口にはしたが)、せめてもの心の依り所として隠し持っていた姉と矢野の写真を、何故か当の矢野から「嫌がらせかよ」と破られて突きかえされる。……。
 そりゃあ、山本さん(妹)でなくともキれるわ。
 つか、矢野、お前死ね。死んで山本姉妹に詫びいれろ、と(ちょっと興奮気味)。
 
 で、今回の話はとうとうキれた山本さん(妹)が、ナタを持って……じゃない(笑)、矢野に姉の死の真相をぶち撒けに来たところで引き。
 おそらく常々「裏切られた」と口にし続けた矢野の被害者意識が単なる独り善がりの思い込みでしかなかったことが暴露される怒涛の展開で残り話数が消化され、最後は七実が矢野を救済する形で落とすんだろうけど、原作はまだ続いてるんだよね。こんな物語の基本構造に切り込む展開を経ちゃうと、この後、引っ張りようもない気もするんだが、原作ではどうなってるんだろう。
 それともこの辺はアニメ版のオリジナルなのかしらん。
 
 後は、まぁ、これは少女マンガだから、上記で書いた「七実による矢野の救済」という落とし所が簡単に予想できるんだけど*1、これ『BLACK LAGOON』やマイケル・マン監督作品のようなハードボイルドなら「救えない奴は救えない」とばかりに(精神的に)破滅してゆく矢野と山本さん(妹)をヒロインの七実が呆然と眺めて終わる展開になりそうな(爆)。
 基本的に七実は、死んだ山本さん(姉)を介在して成立する矢野と山本さん(妹)の関係にコミットできない(共通の経験、利益等がないので、コミットする余地がない)構造になっているので、本来ならただ眺めているか泣きながら逃げ出した矢野の逃避先にしかなりようがない。で、実際に七実のような立ち位置に立ってしまったら、力づくでふたりの(死者を入れれば3人の)関係に割り込むか、弾き飛ばされて酷い目に遭うか、分をわきまえておとなしく眺めているかしかなかったりする。
 いや、ごめん、これは個人的な経験則なので、希望あふれる恋愛感を抱く10代の少女マンガ読者に聞かせる話ではないな。
 で、コミットに曲がりなりにも成功したのが『ハチクロ』の真山、と。
 ……結局、あれくらいのストーカーにならないと、どうもならんということなのかorz。*2
 それはともかく、話を戻せば、話の落とし所を予想通り「七実による矢野の救済」に持ってくるのなら、そこをどれだけ説得力を持って描けるかが、この作品の試金石ですな。

*1:エロゲーとか美少女ハーレムもので、何の根拠もなく主人公が周りの女の子達を救済しまくるのと基本構造は同じ。少女マンガだと『フルーツ・バスケット』のヒロインとか『桜蘭高校ホスト部』の藤岡ハルヒの立ち居地とか。そのことによって、ヒロインに感情移入している読者は自己肯定感を得られるという、ね。

*2:下手をすると、共依存関係に陥って相手と一緒に破滅するだけではあるのだが。