積読日記

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Governance / 信用形成能力

 昨日の話の続き。
 今回の小沢氏の辞意表明の理由として、自民党との大連立を役員全員から拒否されたことが大きな理由だとされている。
 その戦略選択の是非はともかくとして、この人の政治家としての根本的な問題は、説明能力が低いというか、軽視していることにあると思う。
 
 いや、「リーダーには説明能力が必ずなければいけないのか?」というと実は必ずしもそうではない。小泉元総理なんか、あれは「説明」なんかせず、一貫して「煙に捲いた」だけである。テロ特措法成立時の国会答弁など、それまでの政府の憲法解釈を踏みにじる噴飯ものの無茶苦茶な説明しかしていない。これに限らず、「俺がやることに文句をつけるな」以外の内容のない発言を現職時に繰り返していた。
 あれで通用したのは、小泉元総理の異能といっていいカリスマ性と、「選挙に勝つにはこいつに従うしかない」と思わせることに成功したためだ。別な言い方をすれば、本人の言動の一言一句がどうだろうと、小泉純一郎という個人のパーソナリティーへの全幅の信任を自民党員と国民が与えたような形となっていたからである。
 政治に限らず、企業内の統治(ガバナンス)についてもそうなのだが、その組織内で説明不要にどれだけ自由に行動できるかは、その人物が持つ「信用」の蓄積によって決定される。ただし血脈が重視される社会であれば、「先代の血縁者」というだけで、あらかじめ先代によって蓄積された「信用」の上から政治生活をスタートすることができるので、その分、「信用」蓄積の時間をショートカットできる。世に二世議員、三世議員が尽きないのは、そのためだ。ただし、そこで呑気に胡坐をかいていると、自分で新たに「信用」を形成する能力がいつまで経っても身に付かなかったりするから油断大敵である。
 いずれにせよ、その「信用」が足りなければ、不足分の「説明」が必要となる。その「説明」に費やされる時間が長くなれば「意思決定の遅い組織」とみなされるが、しかしそれは常日頃からの「信用」の蓄積が足りないからなのだから内部の人間、とりわけリーダーや幹部クラスにはそれを嘆く資格はない。組織の基盤(インフラ)整備を怠った自分達が悪いのだ。
 軍隊組織にあって、演習をあれほど重要視するのは、個々の兵士どうしから部隊間、あるいは同盟国の軍隊どうしで支障なく連携して動くことができかどうかを確認し、組織としての「信用」を蓄積するための行為だからだ。その過程で「信用」を損なう要素があれば、整備計画を立てて排除してゆく。装備の規格しかり、通信の規格しかり、組織の指揮命令系統しかり、である。そしていざ有事ともなれば、その蓄積された「信用」を基盤とし、最小限の指令(説明)で最短の時間で行動し、最大限の効果を目指すのだ。
 これは独裁政権であろうと、民主政体であろうと関係ない。
 組織が人間の集団である限り、万古普遍の法則なのである。
 
 小沢一郎という政治家は、政治の「読み」という点では天才といっていい人物である。おそらく他の政治家やマスコミの何手先も読むことができていたようだ。参謀、軍師、あるいは分析官(アナリスト)としてであれば、他の追随を許さない優れた人物なのだが、いかんせん政治家としてこの「信用」の蓄積や形成を苦手としていることが致命傷となっている。勿論、「苦手」といっても、長年、政界でキャスティングボードを握る大物政治家をやっていられるのだから一般人なんかとは遥かに次元が違う世界の話ではあるが、党首、宰相に求められる資質のレベルからすると不適格なほど「苦手」だったのだろうと言わざる得ない。
 特に民主党は本人も言っているように「若い組織」なのだから、この「信用」のネットワークがまだ充分に練れていないのだ。だから言葉を重ね、議論を重ね、組織としての意思決定と行動を繰り返し、「信用」を蓄積してゆかねばならない。そこに王道はなく、またその地道な作業に従事するものこそが「政治家」と名乗ることができる。
 
 小沢氏の辞意表明の記者会見での言を聞く限り、厳しい言い方ではあるが、一党の党首として、一国の宰相を目指すものとして、致命的な資質に欠いていたことを自ら認めたとしか取り様がない。
 非常に残念な話である。
 
 さて、レビューの方は、夜までに何か見繕っときましょうか。
 レビュー記事は、台風直撃の中、公開から1週間後の先々週の土曜日にカレードスコープのすらさんと池袋に観に行ってきた『EX MACHINA−エクスマキナ−』の話でも。