宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(『SFマガジン』2007年7月号〜連載中)
微妙にまとめきれないままずるずる引っ張っているうちに、この件についてのかっこうのサブテキストが出てきたのでさっそくリンク。
■荻上式ブログ:「ゼロ年代の批評」のこれから──宇野常寛さんロングインタビュー
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20080224/p2
荻上チキもまた気鋭の若手論客のひとりで、いわゆるナナロク世代の要注目の人物。
で、このインタビューでは、これまであまり触れられてこなかった宇野常寛個人のバイオグラフィー的な情報がやっと語られ、これでようやく彼のひととなりがだいたい理解できるようになった。
と言っても、あくまで表面的な理解でしかないし、別に彼と結婚したいわけでもないので、それ以上の理解も必要ないと思うけど、要するに精神的な「停滞」や「退行」をちょっとでも感じさせる人や作品へ向けられる彼の無駄な攻撃性は、そこに取り込まれて同化してしまうこと──精神的な「死(タナトス)」への根源的な恐怖感を起点にしたものなのだろう。
……まぁ、なあ。判らんでもないけどもなぁ。
でもそうした「停滞」や「退行」も、時に人生を豊かにする重要な要素のひとつなのだ──とは、イケイケで乗りに乗ってる若い内は理解しろってのが無理か。
ただ、「新教養主義」を掲げ、現代で語られるすべての物語は人格的成熟を促す方向を指向すべきだとでも言わんばかりに主張している当の本人が、こうも未成熟さをさらけ出していては説得力を欠くと思うのだが。さて。
とはいえ、このインタビューの主題はそこではなく、「島宇宙化する社会」の問題とか「批評」の機能の問題とかむしろそっちの方にあるのだが、残業明けの疲れた頭でそうそううまく喰いつける主題でもないので、その辺の話はその内に。