積読日記

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義忠『彼女の戰い』第2回

Scene 02

 それは、深い海の底から浮かび上がるような感覚に似ていた。
 白濁した闇。どこまでも続くかに思えたその世界を抜けた先に、その「影(シルエット)」がいた。
「――マっ……!?」
 その瞬間、彼女(シルエット)の正体に気づき、慌ててあげかけた声を呑み込む。
 赤い瞳。青い髪。額には白い包帯が巻かれ、肩のパーツがセパレートされてノースリーブ状になった白いプラグスーツの両袖から伸びる腕にも包帯が巻かれていた。
 優等生(ファースト)。
 感情の読めない、いつもの無表情な顔がアタシを覗き込んでいた。
 胸の中で呪詛の呻き。一瞬とはいえ、よりにもよってこんな女とママを取り間違えるだなんて……!
「くっ……!」
 不意に頭蓋骨がまるごときしむような痛みに襲われ、現実の呻き声をあげる。
 頭痛? なんで頭が――!?
 困惑。混沌――フラッシュ・バックするイメージ。
 意識が焦点(フォーカス)を結びかけたとき、ひんやりとした冷たい感触を額に感じた。
 優等生(ファースト)の手――?
 ――ダメよ、アスカちゃん。熱があるんだからちゃんと寝てなくちゃ……。
 再び意識にまぎれこむ幼い頃の記憶。風邪で熱を帯びた額にやさしく触れるママの手。無条件のやすらぎを保証する記憶のコード――そのまま何もかもゆだねてしまいたいという衝動の存在に気づき、吐気にも似た嫌悪感を覚えた。
「さわらないでよ!」
 アタシはファーストの手を乱暴に振り払い、ベッドから身を起こす。
 ベッド?
 周囲に視線を向ける。カーキー色のテント布の張られた金属の支柱。天井には取り外しの簡単なユニット型の蛍光パネル。床には厚手のカーペット。その上にアタシのいる折り畳み式のベッドとファーストの座るパイプ椅子がそっけなく置かれている。
 野戦用テントの中?
 あぁ、そうだ。弐号機で出撃したアタシは、シンジとの会話に気を取られた隙を突かれ、参号機を乗っ取った使徒に――
 再び頭痛。今度は夢の中でみた映像がフラッシュした。
 あふれるようなまばゆい光の世界。アタシの全存在を受け入れてくれるかのように両手を広げたママの――
 違う!
 あれはママじゃない!!
 ママのはずがない。あの時、アタシは地元の森林保護官に助けられたのであって、ママなんかであるはずがない。いくら冷淡なあの男とはいえ、あの状態のママをコテージから出すはずがない。第一、救出されたときのアタシは、完全に意識を喪(うしな)っていたのだ。
 どこかで記憶の錯誤が生じていた。あの夢を見るときはいつもそうだ。現実の記憶と願望が摺り代えられている。願望――現実じゃない。目が醒めるとその事実を思い出す。そして傷ついている自分に気づき、二重の衝撃に打ちのめされるのだ。いまだにママの影にすがろうとしているのか、アタシは……?
 そこまでの展開もいつもと同じ。
 でも、なんであんな夢を見てしまったのだろう。もうずっと、あんな夢、見ないでいたのに……?
 苦い思いに沈むアタシの耳元で、抑揚に欠ける声がした。
「大丈夫?」
 ファースト。なぜか無性に神経が苛立った。
「うるさい!」反射的にアタシは叫んでいた。
「あんたなんかに心配してもらわなくったって、大丈夫よ!」
「…………」
 無言。アタシの拒絶を前にしてもファーストに動じた様子はなく、じっとこちらを見ている。
 本当に何とも思っていないのか。あるいはヒステリックなアタシの反応を哀れんでいるのか――ダメだ。なんの根拠があるわけでもないのに、なぜそんな風にネガティブな方向にばかり思考が流れてゆくのだろう?
 この女を前にするといつもそうだ。普段は無表情で無反応なくせに、ときおり妙に人間くさい言動を示す。それどころか不意に他人の精神(こころ)の核心に踏み込むような真似さえする。まるで何もかも見透かされてしまっているようで、落ち着かなくなる。
 今だってそうだ。ママの出てきた夢を見た直後、アタシの中のママのイメージとシンクロするような真似をする。勿論、そんなの全部偶然でしかない。こっちの勝手な思い込みに過ぎないってのは判っている。けど、この女がやると偶然が偶然に感じられないのだ。まるで知らぬ間にこちらの精神(こころ)の聖域(サンクチュアリ)を冒されているようで、どうにも薄気味悪い。
 だから苦手なのよ、この女……。
 アタシは胸で小さく呟くと、軽く頭を振ってファーストの存在を意識から排除した。いま考えなくてはならないのは、もっと別のこと。ファーストのことなんかじゃない。勿論、ママのことでもない。
 アタシはもう一度、ここまでの状況を思い出そうとした。
 モニターいっぱいに広がる参号機の黒い貌(かお)。獲物を見つけた歓(よろこ)びを抑えきれないかのように顎部ジョイントが開き、その双眸に血のような真っ赤な輝きが宿る――
 その瞬間、我に還(かえ)った。
「ちょっと!」ファーストの腕を掴み、叫んだ。
「参号機は――鈴原はどうなったの? それにシンジは? なんでアイツ、ここにいないのよ!?」
 ファーストは静かに首を横に振った。
「アンタ、何も知らされてないの……?」
 小さな顎が頷く。こんな時までこの女は無表情だった。どうして平気でいられるのか。コイツ、シンジのことが好きだったんじゃないの……?
 再び苛立ちかける神経を無理矢理ねじ伏せ、プラグスーツの左手首に目をやって時刻表示機能を呼び出す。意識を失ってから五時間は経っていた。おかしい。使徒との戦闘がどうなったにせよ――負けていれば、世界がこうして無事なわけがない――とっくに本部に収容されてていいはずだ。
 何があった? それにここはどこ?
 アタシはベッドから足を下ろした。ファーストに訊ねるという発想はなかった。自分の目で確かめなくては。
 立ち上がろうとして、不意にたちくらみに襲われた。
 バランスを崩しかけ、支えられる――ファーストに。
「独りで立てるわよ!」
 ファーストの腕を乱暴に振り払い、アタシはテントの出入口に向かう。
 ドア代わりの分厚いテント布をはねのけると、地面の上に横たわるライトアップされた巨体の存在に気づいた。それが零号機の機体の一部であることを理解するのに少し時間がかかった。見慣れないアングルからの視点で、頭がついてゆかなかったのだ。
 既にとっぷりと陽は暮れ、投光器用の発電機の発する小さな唸り声ばかりが耳につく。
 周囲を見廻したが灯火らしきものは見当たらなかった。おそらく戦場となった強羅(ごうら)山中からほとんど移動していないのだろう。
 機体の回収作業がまだ行われていない――何故?
 戦闘終了後にEVAの機体を現場に放置しておくなどという事態は、本来あり得ない。持ち去られる心配こそ皆無かも知れないが、国連の最高機密であることは間違いないのだ。それに一部の生体部品は一〇時間程度の時間で急速に機能が低下する。EVAはメンテナンス・フリーなどという都合のいい言葉とは、到底無縁の存在だった。
 誰かに話を聞こうと思ったが、ほとんど人影もない。ライフルを肩に背負った保安部員らしき人間が数人、ちらほらと立っているにすぎない。だが、彼等に事情を訊こうという気にもなれなかった。
 EVAという世界を滅ぼしかねないテクノロジーを扱いながら、生え抜きの職員ばかりでなく、世界各地の国家機関や企業などから出向やヘッド・ハンティングされた人材などで構成されるNERVでは、どこにスパイが潜んでいるか知れたものではない。そのため、NKO――知る必要のある者だけが知ればよい(ニーズ・トウ・ノウ・オンリー)――と呼ばれる情報管理思想が必要以上に徹底されている。この場を警備している保安部員レベルの機密接近資格(セキュリテイ・クリアランス)では、アタシ達チルドレンへの接触すら許可されていないはずだ。
 しかし、何かが起こっているのは間違いない――それも、よっぽどの異常事態が。
 だけど、いったい何が……?
 疑問符が再び頭の中をぐるぐると旋回を始めかける。
 その時、急に零号機の周囲を遠巻きにするように設置されているテントから、作業要員達がわらわらと飛び出してきた。回収作業が開始されるのだろうか?
 上空からは垂直離着陸(VTOL)機の甲高いエンジン音が近づいてきた。だが、聴こえてくる排気音は一機分だけ。NERVの保有するVTOL機で単独でEVAを輸送できるだけの能力を持った機体は存在しない。本部からの連絡機、あるいはアタシとファーストの回収のために先に派遣されてきた機体なのかもしれない。
 アタシ達のいる医療テント前のスペースから、急遽、作業用の重機類が取り除かれ、VTOL機の着陸用地(ランディング・スペース)が確保される。
 やがて上空に到達したVTOL機は、ゆっくりと降下を始めた。着陸用に地面に向けられたジェット・エンジンから放出される高熱をはらんだダウン・フォースがやや離れた場所にあるここまで届き、テントの布がばたばたと音を立てる。
 その熱風に乱れそうになる髪を抑えながら目を細めてVTOL機を見ていると、まだ着陸前だというのに搭乗ハッチが開かれ、そこから左腕を包帯で吊ったミサトが顔を出して何かを叫んでいた。出撃前の状況説明(ブリーフィング)では、出張先の松代で事故に捲き込まれたと聞いていたのだが、無事だったのか。だが、エンジン音がうるさくて何を言っているのかよく聞こえない。
 それがミサトにも伝わったらしい。もどかしげに身を乗り出そうとして、無傷の右手で掴んでいたハッチ内のサイドバーから手を滑らし、危うくバランスを崩しかける。
「ミサト、あぶ――っ!」
 とっさに声を上げそうになったそこへ、誰かが機内から手を伸ばしてミサトの躯(からだ)をしっかりと背後から抱き寄せた。
 ほっとしたアタシはすぐにその人物が誰なのか気づき、思わず沸き起こった安堵と歓喜の感情にまかせてその名を口にしかけた。
「加持サ――」
 その瞬間、ハンマーで頭を殴りつけられたような衝撃に襲われた。
 なぜ加持サンがミサトと一緒にいるのだ?
 ミサトは松代にいた。参号機の起動実験のために。そして事故に捲き込まれた。
 だが、加持サンは第三新東京市にいたのだ。明後日まで続くミサトの出張期間の間は、ミサトに代わってアタシとシンジの保護者としてウチに泊まる予定だったのだ。松代に行く予定があったなどという話は聞いていない。
 その二人が、なぜこうして一緒の機体に乗ってアタシの目の前にいるのか?
 それはつまり、事故の一報を受けた加持サンが慌ててミサトのいる松代まで飛んでいったということに他ならない――アタシ達が使徒と闘っている間に。
 頭の中が真っ白になる。VTOL機のエンジン音がやけにうるさい。
 だが、目だけはミサトと加持サンの姿から逸らすことができなかった。
 加持サンに背後から支えられながら、再びミサトが何かを叫んでいる。
 でも、やっぱりエンジン音がうるさい。
 加持サンは心配そうな表情でミサトの方を見ている。
 アタシの方はちらりとも見ようとしない。
 アスカはまだ子供だからな。
 うるさい。エンジンの音が本当にうるさい。
 なんでこんなにうるさいんだろう?
 ミサトが叫んでる。
 ラベンダーの香り。
 子供のするものじゃないわ。
 彼女の寝相の悪さ……直ってる?
 うるさい! ウルサイ! うるさい!! ウルサイ!!
 耳を塞(ふさ)いで叫びたかった。
 ――誰か、助けて……!
 胸の奥で、何かがきしりと小さくきしんだ。
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