『機動戦士ガンダム00』第25話「刹那」
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超ビームと口喧嘩の応酬で、何だかよく判らないなりに一応の「第一部完」的なクライマックスを迎えた本作品なわけなんですが。
いや、このスタッフなら、もうちょっとやってくれると思ってたんだけど。『ルパンIII世』のTVスペシャルがどんなにスタッフ入れ替えてもグダグダな話しか創れないように、制作レベルで構造的な問題でも抱えてるのかと疑いたくなるなぁ。まぁ、あっちはずっと脚本家は一緒なのでその辺に問題が──いや、今日はそっちが主題ではないので、話を戻すと。
個々の演出へのダメ出しは不毛なのでここでは避けるけど、今回のこの作品の最大の「失敗」は、「戦争って何だろう?」ということへの考察がやっぱり足りなかったことに尽きると思う。そこへの理解が浅いから「武力による戦争根絶」というこの作品の根幹をなす言葉が、話が進めば進むほど何がなんだかよく判らなくなってくる。
例えば、この第一部最終回をぼーっと眺めていると、どうも「個人のエゴの歪(ひず)みが戦争を招いているのだーっ」的なありがたい理屈を台詞で聞かされるわけなのだけど、でもここで語られる「エゴ」って「闘争本能」とか「世界を支配したい野心」程度の非常にパーソナルなものとしか語られていない。
いやいや、それは「戦闘」であって「戦争」じゃないでしょうよ。国家資本であれ、民間資本であれ、そんなもののために、この世界ではMSや戦闘艦艇のような高度な兵器とそれを運用できる人員を養うだけの技術と資本の集約と浪費を許す「構造」なわけだ。
とすると、問題は「エゴ」の有無でも、それを抱く個人の存在でもなく、それくらいで社会が不安定化し、簡単に「戦闘」が生起する脆弱な社会構造そのものにあるのではないか。
なるほど。その意味でこの第一部最終回で、人類の統一政体として「地球連邦」が成立し、軍備が一元管理されるという結末は、ひとつの結論として理解できる。
だが、その統一政体たる「地球連邦」が過ちを犯したら誰がそれを糾すのか。たとえるなら、チベット暴動を「分離主義者どもの犯罪行為」の一語で切り捨てる中南海に、多少なりと効果のある批判を行えるのは「他者」たる国外からの視線だけではないのか。
その辺を第二部でやるつもりなのかも。
……物語の表層を観ていると、そんなことはおくびにも見えてこないのだけど。
非難してばかりでもあれなので、評価すべき点は評価しておくと、先に挙げた「武力による戦争根絶」という凄まじい矛盾を孕んだ言葉を作品の根幹に据え、新しい戦争のプレイヤーとして「少年兵」「民間軍事団体(PMF)」「国際システム」に着目するなどの着眼点のセンスは決して悪くない。先行モデルとなる作品をいくつか思い浮かべることができるにせよ、それを『ガンダム』というメジャーなフォーマットでやる意義はそれなりにある。
良かれ悪しかれ、WWII型の戦争モデルで終始した初代『ガンダム』とは違う、「新しい戦争」の姿をTVを観ている子供達に提示しようとした意欲的な試み自体はきちんと買ってやるべきだ。
問題は、「現代の戦争」──ひいては「現代の社会」とは、そのレベルでの感性の理解だけでは全体像を捉えきれないという点にある。
少なくとも本作品では、あれだけ力量のあるスタッフが揃っていながら、『ガンダム』というフォーマットに「現代戦」の全体像を落とし込むことに失敗している。まぁ、自爆テロも、民族浄化(エスニック・クレンジング)も、国家共同体の自壊による地域紛争の自然生起も、資本の過剰流動性による金融災害も、国際環境汚染も扱っていないんだから、「現代戦」を描けているとはとても言えませんわな。
ただ同時に、もはやひとつの「物語」では「戦争」を描けないほど、私たちの世界が巨大なものとなってしまっている状況もまた、現実の在り様として認識すべきなのかもしれない。