義忠『彼女の戰い』第4回
Scene 04
『――いい、アスカ? 現在敵使徒は高エネルギー過粒子砲で侵入口を穿孔中。あと数分でジオフロントに突入してくるわ。MAGIの予測した突入ポイントは既に弐号機の火器管制システム(FCS)に入力(インスト)済みだから、侵入と同時に狙撃して!』
「大丈夫よ、ミサト。心配いらないわ」
アタシは全周スクリーン上の通信モニターに映るミサトの顔を見ずに、FCSの作動項目をチェックしながら言った。
『無理はしないで、アスカ。ほんの少し時間を稼いでくれさえすればいいの。すぐにでもレイの零号機が支援(サポート)に廻せるから、それで状況はだいぶ楽になるわ』
「片腕なしの零号機なんか、始めっから当てにしてないわよ」
『アスカ……』どこか苛立ちにも似た溜息をもらしながら、ミサトは言った。
『敵の戦力もまだ完全に把握できたわけじゃないのよ。リツコ達はシンジ君抜きのダミープラグだけで初号機を起動させようとしてるけど、それもまだどうなるか判らない。だけど、もしかすると彼が帰ってきてくれる可能性だってゼロでは――』
「あんなヤツのことなんか、いまさら当てしたってしょうがないでしょ!」
アタシは思わずかっとなって叫んだ。
「要はアタシが使徒をやっつければいいんじゃない!
逃げ出したヤツのことなんか知ったこっちゃないわ。シンジやファーストなんか抜きでもアタシが充分に強いってこと、この一戦で証明してあげるわよ!」
『アスカ、あなた……』
「これより弐号機は射撃準備態勢に移行します! 以上、通信終わり!」
それだけ告げると、こちらから通信回線をカットした。
既に弐号機の両腕で保持しているパレットライフルは、ジオフロントの天蓋の一点――MAGIの予測した使徒の突入ポイントを指向している。大口径の劣化ウラン弾を音速の数倍にまで加速する銃身内の電磁コイルの磁場も、いつでも射撃可能なレベルまで高められている。
機体の周囲にも、装弾済みの状態で予備の兵器を山ほど配置してある。
アタシは負けない。負けるわけがない。
いや――負けるわけにはいかない。
逃げ出したアイツのためにも。
逃げ出さなかったアタシ自身の正しさを証明するためにも。
あれから三日経った。
加持サンの言った通り、シンジの除籍が決まったとミサトから聞いた。一緒に列車の時刻も聞かされたが、見送りになどゆくつもりはなかった。負け犬に掛ける情けはない。どこへなりと行けばいいのだ。
勿論、鈴原のことで傷ついたアイツの気持ちも判らないではない。
だがそれも、元はといえば積極的に闘おうとしなかったアイツが悪いのだ。敵にイニシアティブを譲らずに戦闘をリードしていれば、あるいは違った結果に導くことができていたかもしれない。アタシ達はそのための訓練を日々積み重ねてきていたのだから、少なくともその努力を払うのは当然の義務だったはずだ。それをせずに司令に反抗してみせるだけでは、所詮、「子供の駄々」でしかない――
ウソ――欺瞞(ゴマカシ)だ。
アタシが怒っているのは、たぶんもっと別のこと。
アイツにとって「EVAの操縦者(パイロット)」というポジションが、そんなにもたやすく捨て去れるものだったのだという事実が、どうしても許せなかったのだ。
それは我ながら理不尽な感情だと思う。気がつけば、アイツへの怒りの感情が同情しかけている気持ちを圧し潰してしまっていた。ヒカリのことを考えれば、アイツのやったことにアタシはもっと同情的になってもいいはずなのに。
ならばシンジが鈴原にさせられたようなことを、アタシがヒカリに強制されるようなことになったら――?
考えたくはなかった。ヒカリの傷ついた姿など見たくはないというだけじゃない。
それでも「EVAの操縦者(パイロット)」というポジションにしがみつきかねない自分を、心のどこかで怯れていたからだった。
だからもしかすると、アタシのシンジへの怒りはある種の嫉妬であったのかもしれない。アタシ自身を呪縛するなにものかを平然と無視して立ち去ろうとする少年の剛(つよ)さへの……。
いずれにせよ、アタシはこの街にとどまって戰い続けることを選んだ。
戰って、自分の居場所を勝ち取ることを選んだ。
それがアタシの選んだ答だった。
そしてシンジの去ったその日、第三新東京市は新たなる使徒の襲撃を受けることとなったのだった。
天蓋の中央部が爆轟とともに吹き飛んだ。
「きたわね……」
胃の腑から這いあがってくる緊張感を愉たのしむかのように、アタシは不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「シンジなんかいなくったって、あんなのアタシ独りでお茶の子サイサイよ」
赤黒い爆煙が晴れると、天蓋からぶら下がる収納ビル群の間から、アフリカあたりの民族工芸品の置物を思わせる不可思議な形状と色合いの使徒が姿を現した。
電子合成されたトーン音がエントリープラグ内に鳴り響き、FCSが照準固定(ロックオン)を知らせる。
アタシは躊躇(ためら)うことなくインダクション・レバーの引き金を引いた。
パレットライフルが速射モード(フルオート)で火を噴く。弾体にコーティングされた伝導体のアルミが銃口から射出された直後に大気中の酸素と結合して燃焼。派手な発射炎(マズル・フラッシュ)を閃(ひらめ)かせる。また、ちょっとした大砲の砲弾並の大質量体が続けざまに音の壁をぶち破ってゆくのだから、その発射音も凄まじい。たぶん生身の耳で間近で聴かされたら、一瞬にして鼓膜を引き裂かれていただろう。
しかし、そのとてつもない破壊力を誇るパレットライフルからの銃撃を浴びながら、使徒は平然と球状空間(ジオフロント)を降下してゆく。
「こっンのぉーっ!」
着弾はしている――しているはずだ。現に使徒の表面には、着弾を示す赤い火焔が立て続けに生じている。
だが、効いてない!?
使徒がついにジオフロントの底部に降り立った。
FCSが警告音とともにモニター上に「MAGAZINE EMPTY」の文字を表示する。
弾切れ!?
「ちっ、次!」
アタシは弐号機のそばの地面に突き立てておいた次のパレットライフルを二丁、それぞれ両手に取ると、腰だめの姿勢で撃ち始めた。
既にわざわざ狙う必要のないほど、使徒との距離は接近している。
だのに、この至近距離からの銃撃がまったく効いていない!
二丁のライフルからの大口径質量弾を全身に浴びながら微動だにせず、爆炎が晴れた下からは着弾前と変わらぬ傷ひとつ、焦げ跡すらついていない体表が姿を現す。
そんな、バカな!?
「ATフィールドは中和しているはずなのに……」
アタシは焼けつくような焦燥感に炙(あぶ)られながら罵(ののし)った。
「なんでやられないのよっ!」
ライフルなんかじゃダメだ。もっと強力な武器は!?
アタシはパレットライフルを捨て、ハンド・バズーカーを手に取った。
「もう二度と負けらんないのよ、このアタシはっ!」
二丁のバズーカーから大口径ロケット弾が次々に飛び出して行く。射撃時の反動で弐号機の機体が大きく揺れる。オレンジ色の噴射焔を曳きながら、ロケット弾が使徒へと襲いかかる!
しかし、それすらも効いていない!?
使徒は何のダメージも感じていないかのように、悠然と弐号機の前に立ちはだかっていた。
気がついたら、バズーカーの弾を撃ち尽くしていた。
一瞬、こちらの攻撃に間隙が生じる。
と、その時、使徒の両肩から吊り下がる帯状の布のような物が、パタパタと下に向かって展開しだした。
「!?」
一見、間抜けとも思える状景に気を取られた直後、いきなりそいつがこっちに向かって伸びてきた!
「ウソっ!?」
放たれた布によって両肩の付け根を切断され、弐号機の両腕が機体から吹っ飛ぶ。シンクロ回路を経由して即座にそのダメージはアタシの元へとフィード・バックし、激痛がアタシの神経が灼(や)く。
一方、使徒は攻撃に使った布を回収し、何事もなかったかのように動きを止めた。
その正面にある奇怪な仮面にも似た造形物に嘲笑(あざわら)われたかのように感じた瞬間、アタシの中ですべての抑制装置(ブレーキ)が弾け飛んだ。
「こンちっくっしょぉーっ!」
吶喊の咆吼とともに、両腕を喪(うしな)った弐号機は眼前の使徒めがけて突撃を敢行した!
使徒の肩で再び帯状の腕が展開し、まっすぐ弐号機(こちら)の喉めがけて放たれる。
――殺られるっ!
そして――暗転(ブラック・アウト)。
自分が生きていることに気がついたのは、しばらく経ってからだった。
それはほんの一瞬の時間のようでもあったし、数十年もの歳月にも感じられた。
エントリープラグ内を満たす非常灯の赤い光の中でおそるおそる指で喉に触れ、文字どおり頚(くび)の存在を確認する。
――生きている……?
喉を押さえた手をそのままに、視線だけを巡らせる。全周スクリーンは外部実景の映像が途絶して灰色の壁と化していた。その中で、唯一、表示されている機体状況(ステータス)関連のウィンドウに目をやる。
機体状況:両肩及び頚部に重大破損発生。
両腕部及び頭部の喪失を確認。
搭乗者との神経接続は全回路遮断。
第一次処置:体液の流出回避のため組織閉鎖を実行。
第二次処置:機体の残存部分及び搭乗者保護のため緊急対応モードを起動。
緊急対応モードを実行中。
機体損傷過多のため自律再起動不可。
機体保護のためすみやかなる第一級整備態勢下への移行を勧告する。
酷(ひど)いものだった。これが人間だったらとっくに死んでる。
実際、おそらくぎりぎりのタイミングで、発令所の方で弐号機とのシンクロ回路の遮断(カット)に成功したのだろう。さもなければシンクロ回路からのフィードバックを受け、アタシはショック死していたに違いない。
だがかろうじて生を拾ったというその実感は、歓(よろこ)びよりも屈辱のみをアタシに与えた。
「……ちっくしょぉ……」
敗北の屈辱にまみれながらなお生き恥を曝しているという現実――その前に、アタシにはただ己の無力さを呪うことしかできなかった。