積読日記

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本田透『電波男 (講談社文庫)』

電波男 (講談社文庫)

電波男 (講談社文庫)

 立ち読みでざっと目は通していたのだけど、文庫に落ちたので改めて。
 
 この本は一部、誤解されている方もいるようなのだが、単純な女性憎悪の感情を綴った本ではないんだよね。
 著者の言う「恋愛資本主義」にかぶれた女性達へのルサンチマンに溢れているのでそう取られても已むを得ない面はあるのだけど、本質的には「孤独」や「絶望」とどう向き合うのかということをテーマとした本なのだと思う。
 
 この本で語られる「恋愛資本主義」については、実際に好きな女の子から目の前でまるで不動産物件のように値踏みされて、「結婚相手には役不足」と斬って捨てられるという経験(爆)が自分にもあるので、それなりの怨み辛みがなくはない。だが、同時にその娘は「自分の力で夢を掴む」ということに深い絶望感を抱いているような女の子だったことの方が当時の自分にはひどく気になった覚えがある。その絶望を前提に語る彼女の「恋愛資本主義」は確かに俗物(スノッブ)そのものではあったのだけど、自分の将来への不安感や今の自分が何の力もないことを、付き合う男の「資産価値」で埋め合わせようとしているかのようで、見ていて辛かった。
 まぁ、それから彼女とは何だかんだで5年くらい付き合った*1のだけど、その間に自分の「資産価値」が大して上がらなかったからか、彼女の「絶望」を埋め合わせられる度量が自分にはなかったからか、はたまたもっと身も蓋もない理由があったからなのか知らないが、半ば自然消滅するように振られてしまった。
 いや、そんなしょうもない自分語りはともかくとして。
 ある種の女の子たちにとって「恋愛資本主義」とは、何事かからの「解放の神学」として機能している(いた?)側面はきちんと拾ってやらないと、この話はただ男女で罵倒しあうだけで終わってしまいかねない気がするのだな。
 
 が、しかし、この本ではそこまで辿りつけてはいなくて、ともかく誰からも愛されない非モテの「喪男」がどうやってぎりぎりのところで自我を維持し、反社会的な狂気の世界に陥らずに現代社会をサバイブしてゆくか、という「緊急避難」の話をしている。それを念頭に置かないと、著者の提唱する「三次元を捨て、二次元に生きよ」という「護身」の理論は極端すぎて、その切実さを理解できないだろう。
 いや、確かにこれは「現実で手に入らないから、価値がないと決め付ける」という意味で「酸っぱいブドウ」なわけなんだけどさ、でも当の本人達としては一歩間違えれば秋葉原事件の犯人のように人外の境地に陥りかねないぎりぎりの瀬戸際感を皮膚感覚として持っているからこうした極端な話を言い出しているわけで、これはこれで極限状態で生まれたひとつの「解放の神学」なんだよね。
 それを「酸っぱいブドウ」で片付けてしまうのは、「恋愛資本主義」の言葉ひとつでその向こうにある女の子達の絶望感から目を逸らしてしまうのと同様、ちょっと冷たすぎるような気がする。
 
 実存の問題から少し目を逸らし、人口動態学的に見ると、元々、都市というのは「人口のアリジゴク」と呼ばれ、若い男女はなかなか結婚できず、子供は育ちにくく、疫病やストレスから死亡率も高いという空間であったとされている。現代の日本はそれが国全体に広がってしまっているような感がある。
 そうした状況の中で、いかに「実存」を喪わず、「人間」として生きてゆくのかというのは、都市生活者の永遠の命題だ。
恋愛資本主義」も著者の提唱する「護身」も、そうした模索の中から出てきた思想のひとつで、社会環境の変動に耐えうるだけの強度があるなら次の時代まで生き残るでしょう。
 ……いや、まぁ、「生殖(セックス)」を否定する「護身」は、「人口のアリジゴク」の促進ファクターでしかないので、社会学的には非常に問題のある思想のような気がしないでもないけれど(爆)。
 ただ、何を信じているにせよ、誰もが「幸せになりたい」という祈りを抱く「人間」なのだというリスペクトさえ喪わなければ、それでいいと思うのだけどなぁ。
 
 そんなわけで、自分は決して「護身」など一切考えておりませんので、我と思わん女性は是非。
 ……いや、ま、「恋愛資本主義」に付き合える資本力もありませんけども。<ダメじゃん。

*1:まぁ、男女の仲ってのはいろいろあるのだ。