積読日記

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江畑謙介『軍事とロジスティクス』

軍事とロジスティクス

軍事とロジスティクス

>>「ICBMの弾頭に弾と食糧を詰込んで前線にぶち込む」なんてのはダメ?
 ……そんなガダルカナルで帝国海軍が駆逐艦使って鼠輸送した以上に、コストパフォーマンス激悪そうな輸送方をまた、あなたは(爆)。
 え〜っと、「ネタにマジレス、カッコ悪い」の承知で、いただいたコメントがピントがずれているのは、以下の2点。
 ひとつは、上にも書いたようにコストパフォーマンスや運用の柔軟性が激悪なので論外、という点。
 もうひとつ──というか、こっちの方が重要なのだけど、仮にこのやり方のコストパフォーマンスが意外に高かったとして、これは「兵站(ロジスティクス)」の概念のごく一部である「輸送」についての話だけなんだよね。
 前回のレビューでは自明のこととしてスルーしたのだけど、非常に荒っぽく定義すると「兵站(ロジスティクス)」というのは「最前線でドンパチをする以外の軍隊仕事のすべて」。
 だから輸送だけでなく、基地設備の建設、通信インフラの整備・運用、兵器のメンテナンス、兵器や消耗品の調達、兵員の教育、動員体制の構築、傷病兵の治療や療養……等々、「兵站(ロジスティクス)」とは非常に多岐に渡る業務を包括する概念なのだ。兵員の休暇(レスト&レクリエーション:R&R)のための施設整備なんかも含まれるので、米軍なんかの場合、「ゴルフ場建設」も「兵站(ロジスティクス)」の内。
 なので、「兵站(ロジスティクス)」を語ることは「軍隊」と「戦争」を語ることだし、「戦争」のスタイルが変われば、「兵站(ロジスティクス)」の在り様もまた変わらざる得ない、ということです。
 
>>例えどの様な戦闘状況に陥ろうとも、「戦争」として認めない限り「戦争で負ける」ことにはなりませんから!
 認知論だか、霞ヶ関文学だかの話はともかくとして。
 ここで『パトレイバー2』の後藤隊長みたいな台詞で言いたかったのは、世間一般の「戦争」の概念はいまだにWWII型の「総力戦」タイプか米ソ冷戦タイプに留まっているのだけど、そこに固執していると、今現在、国際政治の最前線で発生している現象を捉えきれないのでは、ということです。
 イラクやアフガンの状況を見れば、直接その紛争に利害関係のない小国が地球の裏側からでも派兵しなければならず、またそうでなければ「国際秩序」が保てない。ロシアとの戦争を控えてひとりでも兵隊を手元に置いておきたいグルジアが、2,000人もの兵員をイラクに送り込んでいた事実からして、旧来の戦争観とはひどくずれた状況が発生していることが判ると思う。
 
 もうひとつ、例えばアフガンみたいな紛争当事国では、外務省は武装した警備会社──というか民間軍事企業(PMF)に大使館の警備やら、現地視察の警備やらをさせているわけだけど、これが戦闘に捲き込まれたら、それは「戦争」ではないのか? あるいは、NGO職員殺害なんかを避けるために、現場の外務官僚が独断でPMFに彼らの警備を委託したら?
 自衛隊の派遣には正式な国会審議が必要で、そのためにオンタイムに必要な規模、必要な装備の兵力投入ができない。その矛盾をPMFの積極活用で埋め合わせようという発想が、いずれ出てこないとも限らない。つか、そもそも現地大使館警備にPMF使うのって、ちゃんとした国会審議経てないだろ、既に。
 イラクへの陸自・空自の派遣、インド洋への海自派遣、その他、外務省が積極的にやりたがってる自衛隊の紛争地帯へのPKF派遣なども含めて、そうした意味での新しい形の「戦争」は既に始まっているし、「自分には関係ない」とそこから目を逸らしたり、手を引けばいいというわけでもない。そもそも今日のアフガンの混迷は、国際社会がタリバンアルカイダに乗っ取られてゆくのを座視したことから始まっているではないか。
 と言って、戦前の対中関係みたいに、紛争地帯にコミットしすぎて、現地のモラルハザードに感化された軍人や官僚が、現地や中央で暴走したりされても困る。
 そこに怯えや恐怖があってもいい。
 それでも世界の暗闇をありのままに見据え、どう向き合ってゆくべきかを考えるには、まず既に私達が「戦争」当事者なのだという意識を持つことなのではなかろうか。
 ……とまぁ、そんなような事が言いたかったわけなのですけどね。