積読日記

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義忠『棺のクロエ』第3回

 
 門の外で待っていたのは意外な人物だった。
「……よう、久しぶりだな、チャム」
「兄さん……」
 三年前に家出した叔父の息子──チャムから見れば従兄(いとこ)に当たるトランだった。
「何をやってたのよ、三年も! 叔父さんも叔母さんも心配して……ああ、叔母さんは体調崩しちゃって、今日も叔父さんと一緒に隣村の診療所に行ってて、それで──」
「落ち着けよ。親父達が出払ってるのは知ってる。だから、来たんだ」
「……どういう意味……」
 すっと思考に冷気が差し込んでくる。
 見れば、トランのバイクは空力や操作性より、相手への威嚇を優先したような異形のカウルに覆われた改造車だった。
 腰のホルスターにこれ見よがしにぶら下げられている大型拳銃も、命中精度も悪く、装弾不良(ジャム)を起こしやすい、ハッタリ優先のバカ銃──言い換えれば、機族の三下が好んで欲しがる銃だった。
 服も、髪も、安いチンピラのようないでたちで、それらすべてが今のトランの境遇を見事に物語っていた。
 イヤだ。イヤだ。イヤだ。
 何でこんなことになるのだ。
 トランは、疎開先から引っ越してきて心細い思いをしていたチャムを励ましたり、元気付けてくれた。優しくて、頼もしいトラン。復員兵上がりのトランとは歳は少し離れていたが、幼いなりにほのかな恋心のようなものを感じていたことさえある。
 それがチャムと一緒に両親が吹き飛ぶさまを目の当たりにしたあの時、彼の心の何かがへし折れ、今のこの再会に至ってしまった。
 珍しくもない。辺境では、よくある話。当たり前の話。
 この村では、こうやって何もかもが砂にまみれて薄汚れてゆくのだ。
 いつもの魔法の呪文で呑み込もうとして、うまくいかない自分に気付いた。ダメだ。早く呑み込んでしまわないと、あたしもへし折れてしまう……。
「チャム、中に入れてくれ」
 トランが焦れたようにせがむ。
「帰って」やっとの思いで、チャムは告げた。
「叔父さんや叔母さんに、今の兄さんの姿を見せられない」
 違う。あたし自身がこれ以上、耐えられそうにない。
「……チャム、中に入れてくれ。おまえに話さなくちゃいけないことがあるんだ」
 イヤだ。イヤだ。イヤだ。
 子供のように駄々をこねることが許されるなら、チャムはためらわずそうしただろう。この錆の浮いた針金細工のような門扉を開いてしまったら、自分はまたひとつ苛酷な現実を受け入れなくてはならない。
「お前が拾ってきた機人のガキのことだ」
 トランの言葉が、再びチャムの心に冷水を浴びせかけた。
「……どこで、その話……」
「中に入れろ。詳しい話はそこでしてやる」
「…………」
 チャムは力なく門扉を開き、トランを招き入れた。
 
「あいかわらず、しけてやがんなぁ。今でもあれか、仲買人の業者にいいように振り廻されてんだろ。お人好しだもんな、親父は。商売に向いてねぇんだよ。その点、お前の親父さんが生きてた頃は──」
「無駄話をしにきたんなら、もう少しましな格好で出直してきて」
 吐き捨てるように告げるチャムに言葉に、トランは軽く肩をすくめる。
 叔父の家にある事務所に通すと、トランは勝手知ったる態度で来客用のソファーにどっかと腰を落とした。許しも乞わずに、タバコに火をつけ、ぶしつけに室内を眺め廻しての開口一番があの台詞だった。
 かつてのトランなら、自分の前ではこんな物言いは決してしなかったろう。それだけでも、この従兄の中のより良き何事かが失われたことを示しているようで、たまらなく悲しかった。
「じゃぁ、本題だ。チャム、お前、機神(マシーナリィ・ゴッド)って聞いたことがあるか?」
「兄さん、あたしは無駄話はやめてって──」
「心配すんな。繋がるんだよ。ちゃんとあのガキの話にな──で、聞いたことがあるのかないのか、どっちなんだ?」
「……ないわよ」
 チャムは溜息まじりに答えた。
「だろうな。この噂は機族の間でしか知られてないしな」
「何なのよ、それ?」
 くだらないと思いつつ、先を促す相槌代わりに訊ねる。
「機人(マシーナリィ)の中の機人(マシーナリィ)。完全に機械化された一箇師団を単独で撃破し、あらゆる火器や機械車両と接続して支配下に置き、無線の傍受や妨害も思うがまま。まさしく機人の神──故に称して機神(マシーナリィ・ゴッド)」
「バカバカしい。兄さん、そんなもの信じてるの?」
「戦争中に、味方に似たような話の最強の機人部隊がいるっていう噂を、俺も耳にしたことがある」
 タバコの煙を吹き出しながら、トランは言った。
「ま、その時は俺も、前線の士気を鼓舞するためのハッタリだと思ってた。それで味方が優勢になったなんて話も聞かなかったしな」
「それがクロエ──あの機人の子とどういう関係があるのよ」
「知らん」
 あっさりとトランは否定した。
「兄さん、ふざけるのもいい加減に──」
「知らんが、ウチの族(トライブ)に、あのガキと機神(マシーナリィ・ゴッド)が関係があると話を持ち込んできた男がいてな」
 トランの口から「ウチの族(トライブ)」という言葉がさらりと出て、チャムは胸が塞がれる想いがした。やはり今のトランは機族の側の人間なのだ。
 そんなチャムの想いをよそに、トランは話を続ける。
「そいつは、あのガキとガキが引きずって歩いてる棺(ひつぎ)のどちらかでも入手できれば、莫大な報酬と機神に匹敵するだけの力を与えるとウチの頭目(カシラ)に約束して、実際に高額の前金もぽんと支払った」
 言いながら、トランのタバコを持つ手が小刻みに震えている。怯えているのだ。彼がもっともくつろげるはずのこの家で。しかも機族という強大な暴力を背景とした、代理人(エージェント)としてこの場にいるというのに。
 その意味をチャムはほとんど直感に近い形で理解した。
 つまり、ここはもう既に安全地帯ではないのだ。
 血の気が一気に引いてゆくのが判った。今すぐ大声で叫びながらここから逃げ出したい衝動を必死に抑える。ダメだ。まだダメだ。まだ情報が足りない。自分と弟と妹──それとクロエが生き延びるためには、トランのもたらす情報をひと欠片だって無駄にはできない。
 一方、手の震えに気付いたのか、トランは灰皿にタバコを押し付けて火を消し、結論を述べた。
「チャム、あのガキを売れ」
「いやよ」
 自分でもびっくりするほど即座に答えていた。
「何故だ? 素性の知れないただの旅の機人じゃねぇか。お前が拾わなけりゃあ、街道であのまま野垂れ死んでたガキだ。ほんの数日、それが延びただけでもお前のやったことにはおつりが来る。ましてや、お前や弟や妹達の命と天秤に掛けて釣り合う相手じゃねぇ」
「やめて、兄さん」
「いいか、チャム。本当だったら、こんなチャンスはないんだ。俺が族(トライブ)の整備班長だから、あいつらは俺にチャンスをくれたんだ。
 それに今なら、お前の協力を強調して、分け前を多めに分捕ってくることだってできる。その金で、お前も、弟や妹も、ウチの親父やお袋もみんな一緒に、こんなクソみたいな土地は捨てちまえばいい。こんな人の命が安すぎる土地じゃあ、どいつもこいつも、いつか何かを踏み外して簡単にこの世とおさらばしちまう。
 もう、うんざりだ。お前だってそう言ってたじゃないか」
「いやだ。いやだ、兄さん!」
 トランはソファーから立ち上がり、耳を塞ぐチャムの腕を掴んだ。
「聞け、チャム。俺はお前を死なせたくないんだよ! お前だけじゃない、弟や妹もだ。あれだけ世話になった叔父さんの子供たちを、俺が何で死なせたいと思うんだよ!」
 そう必死に喰い下がるトランの表情は、家を出る前の優しい従兄のそれに戻っていた。
「でも……でも……!」
「チャム!」
 チャムの腕を掴んだまま大声で怒鳴るトランの後頭部を、冷たい何かが小突いた。
「……そのくらいにしておけ」
「クロエ!」
「……ご本人の登場かよ」
 皮肉な口調で呟くと、トランは両手を肩の上にあげて、クロエの方に向き直った。
「やる気満々って格好だな、おい」
 どこから持ち出したのか──勿論、あの棺(ひつぎ)の中に隠していたのに違いはないのだが──左腕には多銃身の重機関銃、左手には分厚い防弾盾(シールド)の下から太い金属の杭(パイル)が覗く。それぞれ腕に直接装着(マウント)されている。肩には、防弾衣(プロテクター)というよりは発砲時の振動制御用(スタビライザー)とおぼしきバラストが載っていた。背中に背負っている長い筒状のものは、無反動砲の発射筒(ランチャー)だろうか。
 トランに向けられているのは左腕の方で、この至近距離から発砲されたら、おそらく上半身はきれいに粉砕されて血煙と化すだろう。
 短躯のクロエにこんな重装備を施すと、ますます中世の騎士の悪趣味なディフォルメに見えてくる。
 だがそれに臆することなく、トランは言ってのけた。
「お前さぁ、死んでくれねぇか?」
「…………」
「事情はさっき聞いての通りだ。お前が機神(マシーナリィ・ゴッド)だか何だかと、どう係わり合いがあろうが知ったこっちゃねぇが、どう見たってお前がウチの人間捲きこんで迷惑掛けてるだけだろうが。
 俺はこの娘達を死なせたくねぇ。そのためだったらなんだってやってやる。
 お前だって、命を救われた借りがあんだろ。その借り、この場できちんと耳を揃えてこいつに返してやってくれや」
「……嫌だ、と言ったら?」
「バイクやら機械車やらで編成された二〇〇輌からなるウチの族(トライブ)の連中が雪崩込んで、ここはめちゃくちゃになる。機人のお前さんが生き残れるかどうかは知らんが、生身の人間で生き残れる奴はまずいない。
 それに包囲網はとっくに完成している。どこかを突破して逃げ出せるだなんて思うなよ。どいつもこいつも、ほんの五〜六年前まで本気で<同盟>の機械化部隊と殴りあってた奴らだ。対機人戦闘に慣れきった熟練兵(ベテラン)が火力と機動力をたっぷり使って用意したフルコースだぜ」
「…………」
 しばらく無言でトランを睨んでいたクロエだったが、
「ひとつだけ訊く。さっきお前が言っていた、この話をお前たちの族(トライブ)に持ち込んだ男は、今でも一緒に行動しているのか?」
「いいや。どこかで首尾を眺めているそうだが、それがどこかまでは知らん」
「そうか」
 小さく肯くとクロエは銃口を下げた。
「頭目に伝えろ。一〇分後に正面の門から出てお前らの包囲網を突破する。代わりに、こいつらには手を出すな」
「ダメよ、殺されるわ!」
「チャム、黙れ」トランはクロエの方だけを見て言った。
「こいつは、自分の引き起こした問題に自分でケリをつけようとしているだけだ。その覚悟と意思を持った奴を、横から口を挟んで邪魔をするな。
 ……お前の言葉、確かに頭目に伝える。だが、最後に追加した条件に意味はないぞ。取引になっていないからな」
「わかっている」
 再度肯くクロエに、トランは小さく鼻を鳴らし、そのまま部屋を出て行こうとした。
 その背に、チャムは絶望的な予感とともに、これだけは訊いておかねばならない問いをぶつけた。
「待って兄さん、クロエを拾った時の話、誰から聞いたの?」
「……さぁな、誰だったかな」
 トランはそうとぼけたが、チャムはその事実の持つ意味に律然とした。
 確かにクロエの存在を隠す努力こそしなかったが、積極的に宣伝して廻ったこともない。外に出たのは村外れの廃品回収の現場での仕事のときくらいで、そこを見られたからといってクロエがどう拾われたかまで判るはずがない。結局、クロエを拾った時の状況を知るのは、自分と後は──
「もしかして、叔父さん達の身に……」
「そっちは息子の俺が何とかする」トランはきっぱりと言った。
「お前は気にしなくてもいいんだよ」
 そういって背中越しに微笑むその笑顔は、紛れもなくかつての優しい従兄(あに)のものだった。

 
「五分で出る」
 トランが立ち去るや、クロエは厳しい口調で宣言した。
「五分!? でも、さっきは一〇分って……っ!」
「機族(やつら)がそんな約束を守ると思うか? お前は子供たちを連れて地下室に隠れてろ」
 辺境の村々では、軍隊や大規模な機族の襲撃に備えて各家に避難壕(シェルター)が設けられるのが常で、その場所は他家の者やよそ者には絶対に教えない。勿論、クロエにもまだ教えていない。だが、辺境の常識として「ある」という前提で、クロエは話を進める気のようだった。
「そんなの、二〇〇輌もの機族に攻め込まれたら、すぐに見つかっちゃうわよ!」
「大丈夫だ。半分は俺が潰す。残り半分も、頭目を片づければ引き上げる。そうでなくとも、奴らの意識は俺と棺(ひつぎ)に集中して包囲が崩れる。そこまでの時間さえ稼げればいい。後は、隙を突いて脱出しろ」
「あんたはどうなるのよ!」
「俺は……死なない」左腕の機銃の留め金(ラッチ)を確認しながら、クロエが答える。
「俺にはまだやることがある。たとえ表で待ってる機族を鏖(みなごろし)にしてでも、ここでは死ねない」
 だがそれは、戦いに赴く戦士の決意というより、冥界の屍者が裁きを受け入れるための呪文を唱えているようで、聞いていてチャムは胸が苦しくなった。
 そしてチャムは気付いた。
 そうか。そうなのか。
 こいつもあたしと同じなんだ。
 いろんな現実を、つらくて厳しい現実を、「それが現実なんだ」「当たり前のことなんだ」って呑み込もうとして、傷ついて泣きそうになっている自分を圧し殺して誤魔化そうとしている。
 でも、きっとそれじゃダメなんだ。
「待って!」そのまま行こうとするクロエの前に廻って肩を掴む。
「『死なない』とか『死ねない』じゃダメなの。『生きる』の。あんたも、あたしも、みんな、『生き』なくちゃダメなの!」
 一気に言ってのけてから、我に還る。いきなりこんなことを言っても、通じるわけがない。それもこんな非常時に。
 我ながらかなり痛い言動だったかと頬が赤くなるチャムに、クロエはふっと苦笑した。
「……お前、変な女だな」
「う、うるさい!」
「いいさ。約束する。俺は生き延びる。
 だからお前も約束しろ。何があっても生き延びろ」
 こくりと肯くチャムに、クロエは続けた。
「俺からも、ひとついいか?」
「……な、何よ?」
 しばらく言葉を探しているような間を措いてから、切り出した。
「お前は間違っていない」
「え……?」
「お前がこの村を捨てなかったのは、勇気がなかったからじゃない。大切なものを捨てないって、お前が自分の意思で判断して、決めたことだ」
「……違うわ。そんなんじゃない。切り捨てる勇気がなかっただけ。そのくせ、誰かが代わりに決断してくれて、勝手に目の前からいなくなってくれて、それで『しょうがなかった』って受け入れるのを待っているだけよ」
「違う」クロエは力強く否定した。
「お前はここにいることを選んだんだ。いつでもすべてを捨てて逃げ出せるって知っていても、それでもここを選んだんだ。辛くても苦しくても、おまえが大切に思う人たちのために、ここに残ることを選んだのはお前の意思だ。それがお前の勇気だ。
 胸を張れ。お前は間違ってなんかいない。おまえ自身の勇気を信じろ!」
 自分よりずっと小さな背丈の、この機械仕掛けの少年が、普段の仏頂面をかなぐり捨てて、真っ赤な顔で自分を励まそうとしている。これから一番危険な場所へ、二〇〇対一の最悪の戦場に身を投じようとしているのは自分の方なのに。
 それが何か可笑しくて、チャムは思わず吹き出していた。
「……って、お前……笑うところか、ここで……?」
「だって、しょうがないじゃない。あんたにそんなこと言われるなんて、可笑しいんだもの」
 言いながら、しかし同時にぽろぽろと自然に涙が溢れてくる。
「おい、お前……」
「大丈夫……大丈夫よ」
 そうだ。もうあたしは大丈夫だ。二〇〇台の機族に囲まれてたって怖くない。大切なものを全部守りきって、生き抜いてみせる。
 目元の涙をツナギの袖でぐいっと拭い、チャムは不敵な笑みをクロエに向けた。
「行くわよ」
「おう」
 クロエもまた、はじめて見せるような楽しげな面構えで応える。
 そうだ。これが、あたしの勇気なんだ。

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