義忠『棺のクロエ』第5回
6
「思ったより手間取ったな。最終的な損害はどのくらいになる?」
「一〇パーセントから一五パーセントと言ったところです」
参謀格の部下の言葉に、頭目は小さく鼻を鳴らした。
正規の機甲部隊でこの損害なら大損害だが、今回の損害は第一線、第二線の将兵に集中している。元より損害は織り込み済みで、新人や反抗的な態度の者達で構成された部隊だった。この作戦の成功で入る金さえあれば、換えなぞいくらでもきく。
「いいだろう。俺達も前進だ。包囲網が完成したら、形成炸薬弾をありったけ叩き込んで、タコ殴りにしてやれ」
周囲の司令部要員を引きつれ前進した頭目の視界の先に、横たわるクロエの姿が見えてきたその時、突如、爆轟が戦場に響き渡った。
「何事だ!?」
「あれを──」
部下の指差す方向を見れば、スクラップ工場の屋敷に巨大な炎の柱が吹き上がり、なお爆発を繰り返している。おそらくは敷地内の燃料や機械油などに引火したためかと思われる。だが、頭目からは特に屋敷への攻撃は命じてはいない。クロエがバカ正直に出てきてくれたので、屋敷を攻撃していぶりだす必要がなくなったためだ。
あるいは、屋敷の者がこちらの意識を惹かせるために自爆でもしたのか。クロエに脱出のチャンスでも与えるために……。
が、その時、獣のような唸り声が低く、静かに聴こえてきた。
音源を求めて視線を向けると、クロエがゆっくりと立ち上がろうとしている。
既に左腕の動力銃はなく、肩の無反動砲の発射筒(ランチャー)も途中でへし折れて使い物にならない。足元がふらつき、立ち上がることすらままならないその身体で、今更、何が出来るというのか。
だが、周囲を取り捲く兵士達は、誰もがクロエが放つ異様な威圧感に圧倒されていた。
クロエが小さく呪詛のように何かを呟きながら、歩き出す。
「……貴様ら……貴様ら……貴様ら……っ!」
「何を言ってるんだ、あいつは?」
「いえ、声が小さくてよく聞こえなくて──」
幽鬼のような足取りで、爆風で吹き飛ばされた際に離れてしまった棺(ひつぎ)のそばまでたどり着く。
「棺(ひつぎ)よ!」
クロエは瞠(みひら)いた瞳で棺(ひつぎ)を凝視し、魂までも叩きつけるように叫んだ。
「棺(ひつぎ)よ、力を貸せっ!」
棺(ひつぎ)の蓋がシャッター式に瞬時に開く。中から跳ね起きるように黒衣の人間──いや、首から上がなく、胸から腹にかけてもがらんどうの、まるで人間の殻(から)のような何かが顕(あらわ)れる。
いや、しかし、これは……
「強化外装骨格(エクソスケルトン)……?」
戦時中、軍で聞いた新兵器の噂。人間が生身で機人と対抗できるようにするための、機械の鎧。だが、人間が中に入るのだから、そんなに小さくはなかったはずだ。これではまるで子供しか着れない──
「まずい。攻撃を再開しろ」
「は……?」
「あの鎧を、今すぐ破壊しろと言ってるんだ!」
事態をすぐに呑み込めない部下の胸倉を掴み、頭目が怒鳴りつける。
だが、既に遅かった。
鎧が襲いかかるように背後からクロエの身体に覆いかぶさる。クロエの機械の手足を取り込んで、装甲パネルが次々に閉じてゆく。その表面から飛び出す長い針のようなネジが、クロエの身体と鎧を抉り抜くように自動的に旋回して締まってゆく。
「おおおおおおおおおおおっ!」
苦痛とも歓喜ともつかない表情に貌(かお)を歪ませ、クロエが咆哮した。
「撃て! 撃て! 撃て!」
頭目の命令に、鎧と一体化したクロエに向けて我に還った兵士達が一斉に発砲を開始する。
しかし、その銃弾が届く前に、クロエの姿はその場から掻き消えていた。
「何っ!?」
次の瞬間、見当はずれの方角から、金属が無理やり断ち切られるような音が響き渡った。見れば、車体を中央で切断された装甲車が、真ん中からへし折られるように擱座(かくざ)し、その前に、引き締まった長身の黒い影が立っている。それが、鎧を装着したクロエだと気づいた瞬間、真っ二つになった装甲車の弾薬か燃料に引火し、衝撃波と共に辺りを爆炎に捲き込んだ。
バカな。さっきの場所から跳躍でもしたのか。人間技──いや、機人であっても、こんなふざけた距離を……。
唖然とする頭目をよそに、恐慌状態に陥った兵士達はめいめいに勝手に発砲を開始する。
だが、兵士達の中に飛び込んで、目にも留まらない速度で走り廻るクロエの姿を誰も捉えきれない。その右腕から伸びる刀身が、鬼火のような燐光を放ちながら、あらゆる物体を切断する。
戦場を再び爆轟と悲鳴が支配し始めた──それもごくごく一方的な支配と蹂躙。
「いかん。距離を取れ。敵の間合いで勝負をするな!」
そう命じはしたものの、前線で取り付かれている連中はどうにもならない。そう即座に割り切る。その間に、後方で装甲火力を集中し、まとめて吹き飛ばすしかない。
だが、手近の将兵をまとめて離脱しようとする部隊を目ざとく見つけると、クロエはすかさずその後背に襲い掛かり、屠殺場と化した戦場に押し戻す。誰一人、生かして返す気はないかのようだった。
それでも所詮、敵は機人が一体。部隊の統制を取り戻し、組織的な反撃を行えば斃せない敵ではないはず──しかし、野戦電話の受話器はざらついた空電ノイズを発するばかりで、どこにも繋がらない。
「どうなってる……?」
焦りながら何度も野戦電話のフックを叩くその背後、ごく近い距離で腹に響く機関砲の発砲音。
「やめろ、同士討ちだ!」「コントロールが効かないんだ。勝手に砲が動き出して──」
暴走した装甲車に、兵士が無反動砲を撃ち込んで、中の乗員もろとも沈黙させる。
そこかしこで同じような現象が発生し、部隊は確実に混沌の渦へと捲き込まれてゆく。
「いったい、何が……」
前線で暴れ廻るクロエに視線を向けた。バイク兵を輪斬りにし、装甲車を正面から叩き割ったクロエが、肩越しにこちらを振り向く。爆炎に逆巻く黒い長髪の合間から、悪魔のように赤く輝く瞳がこちらを見ている。
それを見た瞬間、そこに至る理屈も何もかも無視して、頭目はすべてを理解した。
「機神(マシーナリィ・ゴッド)……」
機人(マシーナリィ)の中の機人(マシーナリィ)。完全に機械化された一箇師団を単独で撃破し、あらゆる火器や機械車両と接続して支配下に置き、無線の傍受や妨害も思うがまま。まさしく機人(マシーナリィ)の神。……。
ダメだ。これはダメだ。
自分達では相手にならない。次元が違う。神に人が喧嘩を売る? ありえない。ありえないだろう。
頭目は即座に決断を下した。
「総員、撤──」
「おいおい、ここまできてそれはないだろう」
耳元で囁く声に振り返ると、黒いフルフェイスのヘルメット──この仕事を持ってきた、あの男が砲塔の上で腰を屈めている。
「せっかくここまでお膳立てしたんだ。最後まで楽しませてくれよ」
「あ、あんた、一体……あれは……?」
「そ。ご推察通り、君ら機族が噂する機神(マシーナリィ・ゴッド)、その一体──まぁ、どっちかっていうと、欠番品(ロスト・ナンバー)になるんだけどね。でも、どうでもいいか、そんなこと」
男はすっとその場で立ち上がると軽やかに跳躍し、いつの間にかそこに停めていたモンスターバイクの上に降り立った。
「あんたもそんな愉快な乗り物に乗ってるんだ、参加しないって手はないよな」
「おい、あんた、何を言って──」
「ほら、発車オーライ」
ぱんと男が手を叩いた途端、戦車の全電装系が起動し、車主の意思を無視して急発進した。
「待て、止まれ。畜生、どうなってる!?」
頭目と接続されたこの戦車は、車主の意思には絶対服従で駆動するはずなのに、今は彼の指示を無視して全速力で戦場を突っ切ろうとしている。
「やめろ、やめろ、やめろ!」
目の前の兵士やバイクを踏み潰し、邪魔な装甲車輌には機関砲や戦車砲まで撃ち込んで力づくで戦場に道を拓き、一直線に進んでゆく。だがその先には──
「あのガキか? あのガキのところに向かってるのか?」
心臓をわし掴みにされる。ダメだ。ダメだ。ダメだ。
だが、砲塔の上の車長席で振り廻される身では、どうすることもできない。至近距離で流れ弾の機関砲が炸裂する。跳弾が額のすぐそばを弾け飛ぶ。すでに混乱しきった前線に強引に割り込んだ頭目の戦車は、車輛を弾き飛ばし、バイク兵を踏み潰し、窪地や岩場を踏み越えて驀進(ばくしん)する。
「やめてとめてやめてとめてやめてとめてやめて──っ!」
もはや恥も外聞もなく、頭目はあられもない悲鳴を上げ続ける。
やがて、戦車はカウンター気味に派手に後尾(テール)を振り、そこにあった装甲車を一台跳ね飛ばすと、唐突に停車した。
ほっと安堵の吐息をついた頭目が顔を上げると、そこには極北の氷雪を思わせる冷えきった視線でクロエがこちらを見ていた。
その視線から目を逸らせずにいる頭目の手元で、野線電話のベルが鳴った。
『やぁ、ステージについたみたいなので、ハンドルを返すよ』
「な……、待て、貴様!」
呼び留めたものの、既に回線は途切れていた。
「クソっ!」
受話器を叩きつける。
眼前のクロエがゆっくりとこちらに近づいてくる。
「ひぃっ!」
悲鳴と同時に、頭目の動揺と連動してか、車体各所の動力機銃が稼働する。そうか。車体との接続は回復している。
「くたばれ、くそガキ!」
車体前面の動力機銃が一斉に火を吹く。まるで噴火する活火山のような勢いで、真っ赤に熱せられた銃弾が放たれる。
同時に、戦車を全速で後進させる。動力機銃の銃撃くらいでクロエを喰えるとは思っていない。それどころか、移動し続けなければ、喰われるのはこっちの方だ。
案の定、動力機銃からの銃撃は、クロエを捉えることができなかった。だが、動きを牽制できるだけでいい。
銃撃を絶やさないまま、ジグザグに後進し、必死に距離を取ろうとする。この距離では至近距離すぎて、戦車砲が使えない。
「邪魔だ、お前らどけーっ!」
今度ははっきりと自らの意思で部下達を踏み潰しながら、頭目が叫ぶ。
畜生。畜生。畜生。こんなところで死んでたまるか!
銃撃を避けたクロエの姿が、戦車砲の射線上をかすめる。
今だ!
発砲──発射音が乾いた大気を震わせる。長い砲身内で既に音速を突破していた砲弾が、クロエに正面から襲い掛かる。
だが──
「何だとー!」
クロエは砲弾を右腕の刀身で真正面から叩き割った。
断ち割られた砲弾の破片はともにあらぬ方向に跳ね飛んで、はるかに離れた場所で地面に突き刺さる。
そんな、バカなバカなバカなバカなバカなバカなバカなバカな……。
泣きながら首を振って現実を否定しようとする頭目をよそに、クロエは常人離れしたダッシュで戦車まで近づくと、右腕のひと振りで戦車砲の砲身を斬り飛ばす。
声にならない悲鳴。
そこへ、野戦電話のベルが鳴った。
救いを求めて取った受話器の向こうから、嘲笑うような男の声が聞こえてきた。
『よう、いい感じで場をあっためてくれたな。でも、ここからは俺の見せ場だ。あんたは、この辺で退場していいぜ』
「おい、何を言って──?」
問い詰めようとしたその矢先、受話器がするりと滑って砲塔内に落ちてゆく。
あれ、と見下ろすと、受話器を掴んだままの右腕が、砲塔内の機材にぶつかりながら車内の奥へと転がってゆく。
続いてぐらりと視界が傾き、砲塔の装甲が割れた。
そして、車主である頭目さえも知らぬ間に切断され、ぶつ切りにされた戦車の車内で燃料と弾薬が引火し、装甲片を辺りに撒き散らしながら大爆発を引き起こした。
7
「…………っ!」
目の前でいきなり爆発を始めた戦車から、クロエはとっさに後方に跳躍して退避しようとした。
だが、爆炎を突っ切って、巨大なバイクが飛び出してくる。
空中にいるクロエはそれを回避できず、モンスターバイクの前輪を真正面から受け留めて弾き飛ばされた。
「く…………っ!」
長い手足を振って猫のように身体を捻り、ダメージを最小にして着地する。
その姿を、モンスターバイクにまたがった男が見下ろしていた。片手に構える長槍(ジャベリン)の穂先は、クロエの右腕の刀身と同じ青白い燐光を帯びている。
男は喉を引き絞るように笑い、言った。
「その棺(ひつぎ)にも、いい感じで馴染んできたようじゃないか、クロエ。やっぱり何でも実際に使ってみなきゃ、だろ?」
「……X(ツェーンテ)……これは全部、貴様が……っ!」
吹き上がる怒りもあら露わに、クロエはバイクの男を睨みつける。
X(ツェーンテ)と呼ばれた男は愉快そうに肯き、両手を大きく広げて見せた。
「そうさ。苦労したんだぜ。この辺で手頃な規模の機族を見繕って、適当に煽ってけしかけるのもひと仕事でな。といって、半端な連中が相手じゃあ、お前がその姿になるまでもなく片がついちまうじゃないか。
それなのにお前ときたら、あれだけ追い詰められても、まだ棺(ひつぎ)を使うことを躊躇いやがる。
おかげで、わざわざ俺がじきじきに手を下さにゃあならなくなっちまっただろが」
そう言って顎をしゃくった先に、スクラップ工場から立ちのぼる赤黒い炎を認め、クロエは絶叫した。
「X(ツェーンテ)っ!」
「火がつくのが遅すぎんだよ、お前はよぉっ!」
クロエは大地を蹴ってX(ツェーンテ)へとっかん吶喊する。
X(ツェーンテ)もまた、予備動作抜きでモンスターバイクの出力をいきなり全力に叩き込み、弾丸のような勢いでクロエめがけて突っ込んでくる。
「「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」
二匹の獣は、互いに一歩も引くことなく激突した。
「X(ツェーンテ)っ!」
クロエの刀身がまっすぐにX(ツェーンテ)の喉を狙う。だが、その刃が届くより早く、X(ツェーンテ)は長槍(ジャベリン)の穂先をクロエに突き出していた。
クロエは穂先の付け根を左手で掴み、そこを軸に身体を旋回させてX(ツェーンテ)の頭部に蹴りを叩き込もうとする。
それをX(ツェーンテ)は異常な膂力(りょりょく)で振り払い、クロエをバイクの後背へと投げ飛ばす。
一瞬の交差でまた距離が開いてしまったふたりだが、それぞれに即座に体勢を立て直し、反撃のポジションについた。
「へっ……いい感じに仕上がってきたじゃねぇか。あの『亡き虫クロエ』がここまでやるようになるとはね」
「……黙れ」
「それでもいまだにママの亡霊を振り払えずに、与えられた武器もろくに使いこなせない。いつまでも昔通りの甘ったれで、俺はうれしいぜ、クロエ!」
「黙れと言ってるんだ、X(ツェーンテ)っ!」
再度吶喊(とっかん)を敢行するクロエへ、X(ツェーンテ)もまた咆哮とともにバイクを駆った。
「だから甘ったれだって言ってるんだ、手前は!」
再度の激突──一瞬の交差の後、クロエの身体は大きく宙を舞い、やがて受け身も取れずに背中から落下した。
「ふん。まだこんなものか──」
そう呟いたその時、不意にX(ツェーンテ)の頭部を覆うヘルメットが縦に真っ二つに割れ、豊かな銀髪が背中に流れ落ちる。
そして、そこに表われたのは、怜悧な美貌の若い女の顔だった。
女は小さく鼻を鳴らし、倒れ伏すクロエの背中に目をやった。
「なるほど。一矢報いるぐらいには力をつけていたみたいだな」
その声は、やや低めとは言え、先ほどまでとは打って変わった女の声だ。あるいはヘルメットに変声装置でも仕込まれていたのか。
とX(ツェーンテ)はかすかに眉を顰めると、戦塵に汚れる黄昏の空を見上げ、呟き始めた。
「はい。作戦は終了しました。クロエの現時点での能力限界値も確認済みです。……はい。はい。これより帰投します」
報告を終えたX(ツェーンテ)の表情に、わずかな憂いの翳(かげ)が差す。だが、すぐに元の醒めた表情へと戻り、クロエに告げた。
「今日のところはここまでだ。だが、おまえが自分の運命を受け入れない限り、こんなことはいくらでも続くぞ。おまえが望みの場所にたどり着きたいのなら、まずは己の棺(ひつぎ)を受け入れろ、クロエ」
そう言い捨て、X(ツェーンテ)はモンスターバイクを駆って走り出す。
やがて残されたクロエは、傷ついた獣のような悲痛な慟哭をいつまでも上げ続けた。
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