積読日記

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義忠『棺のクロエ2 超高度漂流』第1回

1

 
 春を迎えた〈帝都〉は、甘やかな芳香を放って咲き誇る雪花が風に乗って舞う、一年でもっとも雅(みやび)な季節とされる。
 500万を超える人口を擁するこの〈帝都〉を縦横に走る水路沿いに、無数に植えられた雪花の木。その枝にほころぶ小さな白い綿のような花びらが、南から吹く暖かな風にさらわれてふわりと浮かび、空高くに連れ去られる。
 そこに住まう臣民が厳しい冬の間に伴侶とした分厚いコートを脱ぎだす頃、〈帝都〉上空を覆う淡やかな雲の正体はこれである。
 戦争が終わって五年目の〈帝都〉──経済復興も軌道に乗り始めたこの年の春は、こうして例年と変わることのない穏やかな季節として始まりつつあった。
 
 その遥か上空、7,000──
〈帝都〉上空に横たわり、〈帝国〉全土を東西に貫いて吹く高速(ジェット)気流のやや下に位置する高度に、巨大な飛行船が浮かんでいた。
 それぞれ全長500を超す気嚢部がふたつ、その下に、洋上を行く船舶であれば大型荷客船クラスのゴンドラが吊られている。
 大陸横断船〈アリーズ〉──高速(ジェット)気流に乗って数日で大陸を横断するこの船は、建造の段階から上空で行われ、地上に一度も降りることなく大量の物資や旅客を運ぶ。
 こうした巨大飛行船が、〈帝国〉上空を常時、千隻以上は行き交っているのだ。
 大陸国家である〈帝国〉にとって、大陸鉄道(グランド・レイル)、高速道路網(グランド・トレイル)と並んで重要な大量輸送機関である。
 その〈アリーズ〉の後部接続扉に、地上から上ってきた小型の連絡船(シャトル)──といっても、いずれも全長100を超すものばかりで、地上のスケール観からすると充分に大きいのだが──から伸びる連絡橋(ブリッジ)が接続する。
 巨大なゴンドラが微かに震え、与圧確認終了のブザーが鳴って、乗務員がふたり掛りで分厚い隔壁を開く。
 接続扉前のカウンターロビーに、連絡船(シャトル)から乗り移る乗客が流れ込み始める。その奥では、ベルトコンベアーに載って乗客の手荷物が次々に運び込まれてゆく。
 そこを流れてゆく大きな白い棺(ひつぎ)を目にして、軍服姿の男は眉根を寄せた。
「……何だ、あれは?」
「〈帝都〉で亡くなった方でしょうか」
「棺(ひつぎ)に入っていても乗船料金は一緒なのかね」
 さして返事を求めるふうもなく呟くと、白手袋をつけた右手で胸元からシガレットケースを取り出し、自然な仕草で紙巻タバコを口にくわえる。
「船内は禁煙です、少佐」
「判ってるよ。くわえただけだ」
 苦い表情で、渋々とタバコをシガレットケースに戻す。
 気を取り直すように、制帽のつばの位置をわずかにずらす。その下から見える頭髪の長さは、とても前線勤務要員には見えない。彫りの深い、整った、というにはやや野趣のある顔立ちに浮かぶ笑みはふてぶてしく、そこには、どこかしら荒事に慣れた者特有の凄みが滲んでいた。
 男はその不敵な面構えで、傍らに立つ同じく軍服姿のがっしりとした大男を振り返った。
「さて、軍曹。仕事の時間だ」
「はっ、少佐」
 軍曹と呼ばれた男は、脇を絞った略式の敬礼で応える。見る者が見れば判る。戦時中、狭い塹壕の中で兵士達が好んで行っていた独特の敬礼の仕草だった。
 ふたりは乗船検査を行っているカウンターへ向かう。
 その先には白髪の老人が、孫とおぼしき黒髪の幼い少女を連れてカウンターを抜けようとしていた。地味ではあるが品の良いスーツに身を包んだ老紳士だ。その傍らで老人を気遣うように寄り添う少女は、長い黒髪を頭の両脇にオレンジのリボンでふたつに結わえ、黒いドレス姿で年の頃は10歳前後。歳の割には大人びた顔立ちだが、それだけに目鼻立ちは美しく整っている感がある。ややきつめの瞳も大人じみた印象を与えていた。
 と、その視線がこちらに向いた。一瞬、こちらを捉えてから、わざと外される。だが、その一瞬で、こちらの値踏みがざっと済まされたかのように視線が動いていることに少佐は気づいた。「子供らしい仕草」どころかこの業界の玄人じみた態度だった。
 何だそりゃ。良家の娘然とした身なりだが、戦災孤児か何かか。しかし、戦地の孤児にありがちな、怯えを含んだ緊張はあまり感じられない。
 そして何より、その瞳(め)だ。
 冷たい、と言うより、冷え込んだ印象を与える眼光(ひかり)。戦災孤児というより地下社会(アンダー・グラウンド)、あるいはこっちの業界の住人の匂いさえする──こんな子供にか?
 可憐な人形のような外見と、それ以外の印象がことごとくちぐはぐで、見ていてひどく神経に引っかかる。
 何にせよ、可愛げのないガキだな……だが、子供連れ?
「何か聞いているか?」
「いえ、地上からの報告では、博士はひとりで乗船されたと聞いています」
「ふむ……まぁ、いい。後は本人に訊くさ」
 軽く肩をすくめると、カウンターへと向かう。
 老人と娘が乗船カウンターを向いたそこへ、声を掛けた。
「失礼、ホアン・フー博士でいらっしゃいますね」
「何か……?」
 腕にすがる少女からすでに何か吹き込まれていたのか、博士はさほど動揺することなくこちらを見据える。
 少佐は音を立てて踵を合わせ、ぴしりと見事な敬礼を行った。
「申し遅れました。小官は〈帝国〉陸軍技術開発本部四課のヒュー・タム少佐。こちらは従卒のゴラン・チュー軍曹です。
 講演先のレムサスまで博士をエスコートするよう、技研本部長より申しつかっております」
 胸元から身分証明書を取り出し、博士の前で開いてみせる。
 そこに張られたモノクロ写真と少佐の顔を見比べながら、博士は言った。
「……頼んだ覚えはないが?」
「そうとも伺っております」少佐はにこやかに微笑みながら答えた。
「地上(おか)ではいろいろ事情が変わっているようでして……。それは後ほどご説明致します。
 いずれにせよ、ここでこのまま立ち話と言うのもなんです。詳しいお話は船室で」
 少佐は右手の指を鳴らし、軍曹に命じる。
「博士のお荷物を船室までお運びしろ、軍曹」
「はっ!」
 軍曹が博士の大きな旅行鞄を軽々と担ぐ。
「では、参りましょう」
「………………」
 先を促す少佐に、博士は苦虫を噛み潰したような表情でうなずいて歩き出す。
 と、そこで黒髪の少女がその場に立ったまま、こちらを見ていることに気づいた。少佐は振り返って右手を差し伸べた。
「お嬢さん、あなたもご一緒に」
「………………」
 少女は白手袋をつけたその手をちらりと眺めると、小さく鼻を鳴らして口許をわずかに歪めた──目の前の茶番のくだらなさに失笑するかのように。
 このガキ……?
「クロエ!」
「ごめんなさい、お爺さま。大丈夫。今、参ります」
 上品な仕草でぺこりと少佐に頭を下げると、するりとその脇をすり抜け、ふたつのおさげを揺らしながら博士のそばへと駆け寄ってゆく。
「………………」
 そでにされて残された形の少佐は、無視された右手を眺めた。
「ふむ……一応、警戒されてるってことか……?」
 と言うより、鼻で笑われたような感じだったが。
「まぁ、いいさ」
 子供の面倒を見る分まで、棒給には含まれてないだろうしな。
 肩をすくめると、少佐もまた博士たちの後を追って歩き始めた。
 
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