積読日記

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義忠『棺のクロエ2 超高度漂流』第6回

6

 
「あー、待て。いいから、ちょっと待て。今、頭を整理するから、少し待て」
 いまだに残る目眩の余韻に眉間を強く揉みながら、胸元からシガレットケースを取り出す。
「少佐、禁煙です」
「禁煙よ」
「禁煙だな」
「………………っ!」
 言葉にもならぬ屈辱をねじ伏せ、シガレットケースを内懐に戻す。代わりに、やや八当たり気味に軍曹を睨みつけた。
「軍曹、なんでお前はそう落ち着いていられるんだ?」
「考えるのは士官殿のお務めですから」軍曹はしれっとした表情で応えた。
「兵隊(ヘータイ)は士官殿の示される眼前の敵を、ただ殲滅(せんめつ)するのみです」
「……お前は兵卒(ヘータイ)じゃなくて下士官だろうが」
 そこはおのずと求められる役割が違うのだが、勿論、軍曹もそんなことは百も承知でとぼけている──大戦中からの付き合いなだけに、お互いその辺は心得たものだった。
「まぁ、いい」脳裏に去来するさまざまな想いを、その一言でまるめて呑み込み、宣言する。
「状況を整理する──まずは敵の正体だ。あいつらは何者だ?」
「ある目的の下に、世界の技術開発を誘導し、そのために国家や社会システムそのものにまでコミットし、支配し、意のままに操る秘密結社……って、そんなところかしら」
「何の説明にもなってないの、承知で言ってるだろ、お前?」
「まぁ、嘘はついてないし、この辺は話しても時間の無駄だからはしょるわね」
「無駄かどうか、決めるのはこっちだ」
「あんたが知らなきゃならないのは、敵の戦力規模と目的でしょ。あんたらには到底理解できない『世界の真理』を延々講義して時間を無駄にしてる内に、あいつらに突入されて蜂の巣にされたいってんなら止めないけど」
「………………」
「ま、生きて地上(おか)に降りれて、まだ聞く気があるなら話してやってもいいわ」
 生まれてこの方、ここまで真剣に子供に殺意を覚えたことがなかった少佐だったが、耐えた。陸軍に奉職して一〇と余年、あらゆる価値観が紙切れのように破り捨てられる最悪の戦場で軍人稼業の産湯を浸かり、戦後も裏切りの堆積層上で繰り広げられる苛烈な諜報戦(インテリジェンス・ウォー)の最前線で生き延びてきた自分である。常に流動的で不安定な環境でも自分を見失わず、戦士としての誇りとひとつまみの諧謔(かいぎゃく)さえあれば、どんな戦場でだって生き延びてこれた。
 そうだ、耐えろ。耐えて、この戦場も生き延びるのだ。
 そう自分に言い聞かせながら、質問を続ける。
「いいだろう、じゃあ、敵の規模はどれくらいだ?」
「判るわけないでしょ、そんなの」
 忍耐力が簡単に臨界点を突破し、反射的に壁に立てかけた軍刀(サーベル)に手を伸ばす。その腕を軍曹に?まれた。
「少佐、いけません」
「……軍曹、カバラスの峠で敵の機甲師団を一箇小隊で3日支える羽目になった時のことを覚えてるか? こいつはあの時よりきついぞ」
「あの時も我々は勝ちました。今度も勝ちましょう」
 つかの間、戦場の友愛にすがって理性を取り戻す少佐に、クロエはあっさりと言い放った。
「意外とこらえしょうがないのね」
「黙れ」
「まぁ、敵の動員規模としては、あんた等がさっき分析した辺りが妥当なところじゃないかしら。空軍の目を掠(かす)められるのは、中原(ハートランド)ではそのくらいが限界でしょ」
「……それは、連中は空軍とはつるんでないってことか?」
「動静は正確に把握しているはず──特に、周辺の艦隊の配置なんかはね。でも、連中の性格からして、直接的なコミットメントをして俗世に痕跡を残すことをひどく嫌うから、空軍に圧力なんか掛けていないと思う」
「となると、空中艦隊の配備状況(シフト)は、通常のままだな」
「電波妨害なんかで多少の時間稼ぎはするでしょうけど、空中艦隊がくれば、きっと交戦を避けて引き上げるでしょうね」
「とすると、電波妨害(ジャミング)によって航路管制局のレーダーから〈アリーズ〉が失跡(ロスト)、空軍に通報、最寄の空母からの艦載機の発進、初期接触までで襲撃開始から2〜3時間。艦載機は適当にあやしてごまかすにしても、後から来る哨戒(ピケット)艦に捕捉されたらドンパチ抜きでの離脱は難しくなる。それまでに決着をつけるとして──」
 左手首に捲いた無骨な軍用腕時計に目をやった。
「タイムリミットは深夜0時から1時(ミッドナイト・プラスワン)ってところか」
「それまで逃げ延びれば、我々は助かるのだな?」
「違うわ、博士」クロエが細い首を振って告げた。
「その時間(とき)がきたら、連中はこの船を沈めて逃げ出すっていう意味よ」
「そんな……!」
 絶句する博士に、少佐も頷いた。
「残念ながら、私たちの意見も一緒です。わざわざ他に目撃者もいないこんな超高空で襲撃を掛けておいて、最大の目撃者である〈アリーズ〉の乗員乗客を生かして返す必然性はありません。操舵室(ブリッジ)をまず真っ先に潰した時点で、乗っ取りの意思はまったくないと見ていい」
「ど、どうにかならんのか!」
「それを今、考えているところです」
 結局のところ、この場で唯一の「素人」となってしまった博士に、少佐は辛抱強く言った。逆に言えば、クロエの堂にいった落ち着きぶりは、どう見ても「素人」のそれではない。全身機人というからには、間違いなく見かけ通りの年齢であるはずもなく、ますますもって信用の置けなさが募ってくる。
 そんなクロエを睨むように少佐は訊ねた。
「それで、改めて訊くが、敵の目的はお前なのか?」
「あたしとあたしの『棺(ひつぎ)』ね」
「それだ──その『棺(ひつぎ)』ってのは何だ?」
「『棺(ひつぎ)』は『棺(ひつぎ)』よ」
 博士とクロエが連絡船(シャトル)から乗船した際に、個人の手荷物に混じって運び込まれた棺桶(かんおけ)を思い出す──あれのことか。
「中身は何だ、と訊いているんだが」
「……まぁ、あたしの追加装備(オプション)、ってとこね」
 説明になっていない。だが、すっ惚けるようにそっぽを向いたクロエの表情を見ると、これ以上、つついても簡単には話しそうもない。
 ムカついたが、時間も惜しいので先に進む。
「その『棺(ひつぎ)』とやらは最下層の手荷物置き場か。軍曹、連中がこの船に乗り込んで、どれくらいになる?」
「30分ってところでしょうか」
「もう、奪取されていてもおかしくないな」
「大丈夫よ」済ました表情でクロエは断言した。
「『棺(ひつぎ)』に妙な動きがあれば、どこにいても感知できるから」
 ああ、なるほど。どういう理屈か訊く気にもなれんが、それはなにより。
「それに、特別料金を払って、次の停泊地まで時限式のロックの掛かる貴重品保管庫に入れてあるから、連中の装備でも開けるのに一時間は掛かるでしょうね」
「連中がその『棺(ひつぎ)』だけを回収して、気が済むという可能性は?」
「当然あるでしょうけど、時間の許す限りあたしを捜索するつもりだと思うわ。あれだけの戦力を送り込んできたのは、あたしとの交戦を想定しているからだと思う」
「交戦!」少佐は大仰に声を上げた。
「こんな子供と戦うのに、完全武装の強襲兵(コマンド)を100人も送り込んできたってのか?」
 クロエは醒めきった視線を返してきた。
「バカじゃないの」お下げの片方を掻き上げつつ、吐き捨てるように告げる。
「機人相手の戦闘は、同クラスの機人をぶつけるか、飽和波状攻撃で絡めとって対装甲火器のスタンドオフ攻撃で潰すかに決まってんじゃない。あんたも片腕機人化してるんだから、そんな戦術理論の初歩の初歩、いまさら説明させないでよ」
「……ご丁寧にどうも。そんな話をしてるんじゃないってのは、勿論、判ってて言ってるよな?」
 クロエが危険な冷光をたたえて瞳を細める。
「どうしてこう、男ってのはいっぺん力尽くでねじ伏せられないと、目の前の現実も理解できないのかしらね」
「なるほどなるほど。強襲兵(コマンド)100人に匹敵する実力を、こちらのお嬢さんが見せてくれると。そいつはまた剛毅で楽しそうだ」
 凶暴な笑みを浮かべつつ、少佐は軍刀(サーベル)の鯉口を切る。
「少佐!」
「クロエ、やめろ!」
 軍曹と博士が慌てて割って入る。
「どけ、軍曹。どうせこいつの中身は根性のねじくれた婆ぁだ。膾(なます)に叩き斬って繋ぎ直せば、多少はましになるだろう」
「いいかげんにしてください。戦争が終わってから、少しは丸くなったかと感心してたのに」
「大丈夫だ。俺ももう大人だ──一撃で仕留めてやる」
「ああ、だからもうやめてください!」
「そーよぉ、ここでかわいい部下の制止に乗って収めれば、あんたの薄っぺらい面子も保たれるってものよ」
「ほおお……」
 口許を歪めながら、少佐は軍刀(サーベル)の柄に右手を触れるか触れないかの距離で添えた。左脚を引き、右脚は一歩前に踏み込む。半身によじった身体でわずかに腰を落とす。野陣抜刀術──敵味方入り混じった狭い塹壕内で、出会い頭の敵兵を瞬時に斬り殺すことに特化して完成された、〈帝国〉陸軍士官必殺の戦闘術である。
 両眼からはとうに感情は失せている。既に殺戮装置としていつでも自動的に駆動できるよう、精神(こころ)はどこまでも冷え込んでゆく。
 一方、それを眺めるクロエの瞳も、極北の低温のまま細められてゆく。
 両者の緊張の水位がじわじわと高まってゆく。
 これはもう手に負えないと察してか、軍曹は少佐の斬戟の軌道から身を引いて頭を抱えている。
「やめたまえ、クロエ!」真っ青な表情で博士が叫ぶ。
「少佐、君もやめるんだ! 君では彼女にかなわない。君のその右腕でもだ。彼女はそう造られてる!」
「…………造られてる……?」
 抜刀の姿勢は解かぬまま、少佐は博士の言葉を繰り返す。と、不意にある単語が脳裏に浮かぶ。
「……機神(マシーナリィ・ゴッド)……」
 大戦中、戦場の兵士たちの間では、ある噂が流れていた。
 機人(マシーナリィ)の中の機人(マシーナリィ)。完全に機械化された一箇師団を単独で撃破し、あらゆる火器や機械車両と接続して支配下に置き、無線の傍受や妨害も思うがまま。まさしく機人の神──故に称して機神(マシーナリィ・ゴッド)。
 その辺の機人とはまるで次元の違う戦闘力を持った彼らで編成された、最強の機族(マシーナリィ・トライブ)がある。……。
 どこの戦場にもありがちな、最強部隊幻想。上官からどれほど強く否定されようと、兵士たちは根強くそんな噂を口にし続けた。身過ぎ世過ぎの明日をも知れぬ兵隊稼業で、前線の兵士たちはそんな出所不明の噂にでもすがって安心したかったのだろう。
 勿論、実在などしない。本当に存在していれば、危うく中原(ハートランド)への敵機甲軍の侵入を許しかけるような苦しい戦(いくさ)になったはずがない。
 まっとうな士官なら、一笑に付すべき話題だった。
 だが、目の前で至近距離から拳銃弾を撃ち込まれて傷ひとつつかない肌や、現代技術ではありえない全身機人の少女の筐体(ボディ)を見せつけられ、他ならぬ機人開発の泰斗たるホアン・フー博士がこうまで口にするとなるとさすがに無視はできない。なおかつ、「まっとうな士官」であるとは、自分自身でも思ってない。
 いっそこの場で確認してやるか、という強い誘惑に駆られたものの、いったん余計な雑念が混じってしまった以上、気勢が削がれてしまったことは否めない。ここで斬戟を放っても、斬れそうな気がしなかった。
 少佐は小さく舌打ちすると、鯉口を戻して襲撃姿勢を解いた。
「……それだけ大口叩く以上、戦力としてカウントさせてもらうぞ」
 少佐はいまいましげにクロエを睨みつける。
「その前にまともな作戦捻り出しなさいよ」
「勿論、棒給分は働くさ」
「安月給じゃないことを祈るわ」
 
「さて」気を取り直して、少佐は切り出した。
「状況はだいたい判った──と、いうより、このバカ女がまともな情報をろくに寄こさねぇので、本質的な状況はさっぱり判っとらんが、これ以上、考え込んでも始まらんことはよく判ったので先へ進もう」
「言いたいことがあれば、はっきり言ったら」
「たった今、これ以上ないくらいはっきりと言ってのけたはずだがな」
「コミュニケーションって難しいわねぇ」
「……とりあえず、こいつを連中に突きだして丸く収めるという選択肢は、残念ながらなさそうだ」
 本当に心から残念そうに告げる。
「ありもしない選択肢なら、わざわざ口にするな」
「次に、脱出挺などで我々だけ〈アリーズ(ふね)〉から離脱する選択肢は、制空権を敵に握られており、これも不可だ。装甲ジャイロにすぐに撃墜される。
 一方、敵は空軍の空中艦隊と本気で殴り合うまでの覚悟はないと見られる。
 そうであれば、我々にとって最良の選択は、空中艦隊の到着まで交戦状態を維持し続けることにある」
「……言っとくけど、あいつら、いよいよとなれば、兵隊(ヘータイ)ごとこの〈アリーズ(ふね)〉を沈めにかかるわよ」
「だが、まだやってない──つまり、それは敵の作戦目標に隙があるということだ」
「隙、ですか?」
「そうだ、軍曹。この娘の身柄を押さえるという目標と、抹殺するという目標、『棺(ひつぎ)』とやらを奪取するという目標は、厳密にはそれぞれ乖離している。それを、おそらくある時点ないし損害の規模で切り替えるつもりだろう。
 で、あれば、我々はそこを切り替えさせなければいい」
「具体的には?」
 訊ねる博士に、少佐は頷いた。
「ひとつは先ほど言ったように、空中艦隊の到着まで船内での戦闘を継続する。敵味方入り混じった競合(コンテキスト)状態を維持して、敵が破滅的な選択を行うことを防ぐ。
 もうひとつは、空中艦隊の到着の直前に、船外でこちらを狙っているであろう敵艦の砲射程の外へ離脱する」
「どうやって?」
「気嚢のガスを緊急放出して高度を下げる。高速(ジェット)気流の外へ出れば、敵艦を頭上通過(オーバーシュート)させることができる。空中艦隊の到着とタイミングを合わせれば、敵は対処できずに離脱するだろう」
「でも、操舵室(ブリッジ)は真っ先に破壊されたんでしょ?」
「ガス放出は、操舵室(ブリッジ)以外からでも可能だ。船内マップにはないが、ゴンドラの上に緊急時用の浮力調整室がある。ここを押さえれば、高度を下げられる」
「問題点は?」
「勿論、100人の敵兵を排除しなければならない点がひとつ。この人数だけでは無理だから、敵の兵器を奪取し、船内の兵役経験者を募って部隊を編成して反撃する」
「……その時点で、考えるだに難易度が高そうなんですが」
「言うな、軍曹。次にガス放出のタイミングだ。早すぎれば敵艦に対処する時間を与えるし、遅くては意味がない」
「とすると、敵艦の位置の把握と、空中艦隊との連絡の確保が必要ね」
「後者はそもそも、敵艦の電波妨害を止めない限りどうにもならない。勘で対処するしかないな」
「勘任せって……どんな作戦よ」
「うるさい。敵艦の位置は、敵兵を捕らえて喋らせよう」
 プロの軍人の口をそう簡単に割らせられるとも思えなかったが、他に選択肢はない。
「結局、行き当たりばったりって話じゃない」
「文句があるなら、代案を出してみろ。この戦力で他にどうしろっていうんだ」
 唸るように罵る少佐に、クロエは平然と言い放った。
「あたしは下の貴重品倉庫に『棺(ひつぎ)』を取りに行くわ」
「……人の話を聞いてなかったのか?」
「どうせ行き当たりばったりな作戦なんだから、だったら少しでも戦力を強化しておく方がいいでしょ。そのためにも『棺(ひつぎ)』は必要よ。それにこのまま浮力調整室に向かったんじゃ、時間が余るわ」
「………………」
 確かに、こちらの意図を当面誤魔化すのに悪い手ではない。敵の気を惹きつつ時間稼ぎをせねばならないのも事実だ。「棺(ひつぎ)」とやらを入手することがどれほどの戦力増強になるのかは知らないが、選択肢としてありえなくはない──この人数で敵に真っ向から突っ込んでいって、無傷で済むのなら、だが。
「じゃあ、行きましょうか」
 躊躇する少佐をよそに、クロエは立ち上がると、すたすたとドアへと向かう。
「おい、待て、何ひとりで勝手に動こうとしてるんだ!」
「あんた等は勝手に浮力調整室でも何でも目指せば? それとも、あたしに付いてくる?」
「………………」
 愉しげに細めた目線で振り返るクロエに、少佐は今度こそ真剣に叩っ斬ってやりたいと思った。

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