積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 花嫁強奪』第4回

 
『そろそろです』
 ジャイロ機の操縦手(パイロット)が、機内通話用のヘッドセット越しに告げる。
 シラン大尉は無言で頷いて、操縦席の後ろから前方を見た。
 粉雪の混じり始めた河面すれすれの高度を飛行するジャイロ機の進路の先には、河岸に設けられた国境警備隊の基地施設が見えてきた。いくつかの兵舎が寄り集まり、河岸にはボートを停泊させたはしけのようなものもある。
 ほどなく上空に達したジャイロ機は、教練用の営庭(グラウンド)の脇にある着陸ポートの上をいったん通過し、それからゆっくりと降下を始めた。
「着陸はしなくていい。地表すれすれまで近づけてくれれば、そこで飛び降りる。私を降ろしたらそのまま基地に帰投しろ」
 送信ボタン(プレストーク・スウィッチ)を押さえながらそう言い終えると、ヘッドセットを外し、機内に立てかけていた軍刀(サーベル)を掴んで貨客室(カーゴルーム)側面ドアを開け放つ。
 激しい気流が流れ込み、軍用マントの裾がばたばたと音を立てて翻る。回転翼(ローター)によって生じる下方気流(ダウン・ウォッシュ)が地面に跳ね返ったものだろう。気にせず、大尉は機外に身を投じる。
 地上まではまだ多少の高度はあったものの、特に足を傷めることもなく着地した大尉の下へ、数人の国境警備隊隊員達が駆け寄ってきた。山中での活動を任務とする山岳部隊なだけあって、いずれも屈強な体躯をした大柄な男達だった。
 無事着地した大尉の様子を見届けると、ジャイロ機は上昇を開始し、すぐに河面の彼方へ去っていった。
「ようこそ、大尉」若い士官が片手を差し出す。
国境警備隊第119山岳警備連隊のケイス・ホルト中尉です」
 一旦、何かを見定めるようにその手を冷たい視線で眺めてから、大尉は中尉の手を握った。
「……王室親衛隊のエダ・シラン大尉だ」
「兵舎の方に温かい飲み物を用意してあります。そこで概要説明(ブリーフィング)を──」
「いや、不要だ。時間が惜しい」大尉は首を振った。
「ここで済まそう」
「判りました」
 頷く中尉に、大尉は単刀直入に訊ねた。
「君は今度の任務の性格をどこまで理解している?」
「今度の決起には当初から参加しています」
「彼等は?」
 背後に控える部下たちに目をやり訊ねる大尉に、中尉は胸を張って応えた。
「部隊の下士官達です。彼等も、同士として決起の趣旨に賛同する者たちです」
「兵は?」
「彼等には何も告げていません。しかし、こういう状況下で信頼が置ける人間を中心に少数精鋭で選びました」
「結構だ」大尉は頷き、続けた。
「フェリア王女と〈帝国〉の工作員のその後の足取りを知りたい」
「クトラ口近くで国道を下りてからは足取りを見失っています。地元の警察も警戒線を張っていますが、捕捉できていません」
「何故だ?」
「この辺は地元の農家が勝手に作った私道が入り組んでるんです。ほとんど舗装はされてませんが、人だけでなく車が通れる道も珍しくない。地元の警察官でも迷うくらいで、一度、そこに入りこまれると、大規模な山狩りでもしない限り簡単には見つけられません」
 大尉は小さく舌打ちし、先を促した。
「それで、連中の行先に心当たりは?」
「国境を越えるのなら、装備を揃える必要があります。麓の街で今から登山装備を購入するとは考えにくい以上、おそらく山中の山小屋か何かに登山装備を事前集積(デポ)しているものと考えられます。しかし、地元住民の目があるスキー場近くや一般登山道、国境警備隊(われわれ)の警戒線(パトロール・ルート)の近くにある小屋は避けるはずです。
 それに女の足で国境を越えられるルートも限定されますから、連中が利用できる小屋の数はさらに限られてきます」
 頷く大尉の前に地図を広げ、中尉は続けた。
「最終的に利用が想定される山小屋は、こちらに印を付けた五つです」
「………………」
 大尉は無言で地図を睨みつけた。
 いくら地図に載ってない私道が縦横に走っているとはいえ、民家の少ない奥地まで車の走れる道が通っているとは考えにくい。何の装備もない状態で、女連れで山中を長歩きするとも思えないから、奥地の方にある二軒の山小屋は無視していい。
 残る三つの内、ひとつは三方を勾配のきつい丘に囲まれていて見通しが利かない。発見されにくい代わりに、追撃部隊に接近されても気付かない懼(おそ)れがある。もうひとつは、背後に急な崖を背負っていて、ここからロープで降下して襲われたらどうにもならない。
 となると、最後に残った麓により近い、なだらかな丘の上にある山小屋が一番怪しい。長期間潜伏するならともかく、装備を整えるだけならこのくらい見晴らしがいい方がいい。周囲の地形からして、私道が近くまで通っている可能性も高かった。
「この小屋までどれくらいで行ける?」
「今から出発するのでしたら、三時間もあれば」
「遅い!」鋭く叱責するように大尉は言った。
「ジャイロ機で強襲を掛けられないのか?」
「無理です」中尉は首を振った。
「天候が崩れ始めてます。ただでさえ山間部の空気の流れは急に変わって危険なんです。山頂から吹き下ろす強風に捲き込まれたら、一発で叩き落される」
「三時間もあれば、国境を越えられてしまうぞ」
「まさか」中尉は肩をすくめた。
「そこから国境線までは、大人の男の足でも半日は掛かります。〈帝国〉側の人家まではさらにもう半日掛かる。途中で夜になるし、天候も悪化してる。女連れの足で、そんな無茶は──」
「フェリア王女は、乗馬と山歩き(トレッキング)が趣味で基礎体力は申し分ない」
 大尉は冷やかに指摘した。
「同行している男は、〈帝国〉の軍人で、こういった過酷な環境での生き残り(サバイバル)と戦闘行動を得意とする専門家(プロフェッショナル)だ。そして、自分が武装した戦闘集団に追撃を受けていることを充分に理解している。多少のリスクと引き換えに時間を稼げるなら、躊躇(ためら)わず時間を得る方を選ぶだろう」
「……判りました。しかし、やはりジャイロ機は出せません。代わりに、近くで演習中の部隊がいますから彼等を向かわせましょう」
「演習中の部隊……?」
「山岳戦車一輌と歩兵一箇小隊からなる、山岳混成小隊です。実弾も持って出てます。彼等に連中の頭を押さえさせ、その間に後方から我々が追い付く──これでどうです?」
「……いいだろう」
 大尉が頷くのを受け、中尉は背後の部下たちを振り返って指示を発した。
「よし! 五分で出立する。総員、急げ!」
 
「いい景色だわ」
 やっとの思いで辿り着いた山小屋の二階、ベットルームの窓を開け放ち、一面の雪景色に彩られた山々を前にフェリアは感慨深く呟いた。
「自分が逃亡者だということも忘れそう」
「忘れてもらっては困ります」どすん、と床に巨大な背負い式のザックを置いて、少佐が釘を刺す。
「これからが本番なんですから」
「……できれば幕が上がる前に降板したいのだけど」
「生憎、今から主演女優の代わりを見つけるのは無理です」
「なら、せめて相手役を変えてちょうだい」
「次の公演の際には考えましょう」
 フェリアの嫌みを軽くかわしながら、少佐はザックから取り出した白いダウンジャケットを取り出し、そばのベットの上に置いた。
「他にも、このザックの中に着替えと装備一式を入れておきました。着替えたらリビングまで降りて来て下さい」
 そう言ってさっさと部屋から出て行ってしまう。
 フェリアは溜息をひとつついて、服を着替え始めた。
 
 手早く着替えを終え、階下のリビングに下りてくると、同じく着替えを済ませた少佐が、くわえ煙草で大きな箱型の無線機を耳に当て、誰かと話をしていた。
 そう言えば、いつの間にか眼鏡を外している。やっぱり伊達眼鏡だったのか、あれは。
 そんなことを考えながら、聞くともなしに、通話の内容に聞き耳を立てる。
「そうだ、軍曹。王女は無事だ。装備もすべて回収した。準備が整い次第、すぐにここを出る」
 この時間から山中を歩いて国境を越えるつもりだろうか。時刻はすでに午後を廻って久しい。外はまだ明るいが、山の日没は早い。行程の半分以上は夜になるだろう。あえてそんな危険を──ああ、たぶんやるに違いない、この男なら、とフェリアはげっそりとした気分に陥った。
「──いや、それは想定内だ。ルートは変更しない。状況(ケース)3の仕掛けを使う。代わりに迎えの方を前進させろ。構わん、将軍(オヤジ)には後で俺が話を付ける」
 そこで一旦、無線機から顔を離し、フェリアに声をかけた。
「そちらのキッチンにコーヒーが沸いてます」
「珍しく気が利いてるのね」
「飲むのは道中です。携帯用の保温瓶もテーブルの上に置いてますから、コーヒーを入れてこちらに持ってきてください」
「………………」
 一国の王女を捕まえて召使扱いか、とカチンときたが、再び無線機の相手に戻ってしまった少佐に何を言っても無駄なような気がして、諦めてキッチンへと向かう。
 コーヒーを入れた保温瓶をふたつ手にしてリビングに戻ってくると、無線機との通話を終えた少佐が、今度はソファーに腰掛けて自動小銃を組み立てていた。
「誰と話してたんですか?」
「部下です。ついさっき、対物狙撃銃(アンチマテリアル・ライフル)でジャイロ機を撃ち落とした男です。貴女も先ほど会ってるはずですよ」
 崖の上にいるのを遠目で一瞬だけ目にしたのを「会った」というなら、あの大男のことだろうか。
「ここに用意してあった登山道具一式も、彼に用意させたものです──どうですか、着心地は?」
「……悪くないわ」
 ハイネックのアンダーウェアにインナージャケット、ダウンジャケットとこれだけ分厚く着込んでも身体の動きに違和感がないのは、よほどそれぞれのデザインがしっかりしているからだろう。それでいて、体温も充分に保護されている感覚がある。長居するつもりがないこともあってか、暖炉にも火はついてなかったが、寒さはまったく感じない。メーカーのタグはすべて剥ぎ取られていたが、〈帝国〉製にせよ〈王国〉製にせよ、いずれ名にし負うメーカーの最高級品だと思われた。
「良かった」不意に柔らかな表情で少佐は笑った。
「後で顔を合わせると思います。その時、本人にも直接言ってやって下さい」
「………………」
 フェリアは奇妙な違和感を覚え、当惑した。危地にあっても常に飄々とした態度を崩さず、冷やかに辛辣で皮肉な台詞ばかり吐き続けている少佐の印象と、唐突に見せられたこの人間臭い表情がフェリアの中でうまく整合せず、妙にどぎまぎしてしまう。
「どうかしましたか?」
「べ、別に何でもありません!」言って、逆に訊ねる。
「それより、本当にこれからすぐに出発するんですか?」
「勿論です」
「すぐに夜になってしまうわ」
「知ってます」
「天気も崩れ始めてます」
「そのようですね」
「危険です」
「このままここにいれば、すぐに敵に踏み込まれます。その危険よりはましです」
 ああ、そうくると思った──想定通りの問答でやりこめられる自分に釈然とせず、なおも喰い下がる。
「私はオンシーズンの山歩き(トレッキング)しか経験がありません。冬山登山はおろか、本格登山の経験さえないのよ」
「そう伺ってます」
「救助を呼べる立場でもなし、足を滑らせて滑落事故でも起こせばそれで終わり──自殺行為だわ」
「そのために私がいます」
 静かな口調で少佐が断言した。
「……それを信じろと?」
「すべてそれが前提となります。今の貴女に、それ以外の選択肢はありません」
「………………」
 なんて傲慢な男なのだろう、と唖然とするフェリアをよそに、少佐が立ち上がって宣言する。
「では参りましょう、王女殿下。何、大丈夫。神の祝福を受けた花嫁とともに、神々の懐深き山々へと向かうんですから」
 ……その花嫁の結婚式をぶち壊したのは、どこの誰だ?
 
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