積読日記

新旧東西マイナー/メジャーの区別のない映画レビューと同人小説のブログ

■Twitter               ■Twilog

■小説を読もう!           ■BOOTH:物語工房
 
各種印刷・製本・CDプレス POPLS

義忠『棺のクロエ1.5 花嫁強奪』第10回

10

 
「まず、どこからお知りになりたいんです?」
「彼が──カオ殿下が出征することになった経緯から聞かせて」
 陽が落ちて急速に闇に包まれてゆく山道を、わずかな雪明りだけを頼りに歩いてゆく。少佐のエスコートがなければすぐに谷底へ滑落しているだろう。
 もっとも、少佐のルート取りは先ほどよりずっと慎重になっていた。暗くなって危険が増したこともあるが、どうも先ほどの強行軍は、追撃する国境警備隊を迎撃するため予定戦場への到着を急いでいたためらしい。
「宮廷内の事情なら、私より貴女の方がお詳しいのでは?」
「だとしても、世間的にどうなっているのかを知りたいの」
 少佐は肩をすくめ、語り始めた。
「そもそもの発端は、停戦の二年前、〈帝国〉軍が夏の大攻勢に失敗したことに端を発します。
 全戦線一斉の五〇万人の一大吶喊(とっかん)、と掛け声だけは勇ましかったものの、〈同盟〉側が構築していた大陸を半ば縦断するスケールの巨大な縦深陣地線を突破できず、前線兵力が絡め取られてしまった。そうして身動きが取れなくなったところを横合いから敵の装甲機動兵力に突かれて、気が付いた時には西方戦域全体が崩壊の危機に陥っていました。
 結果、実に三〇万もの犠牲を出したこの作戦の敗因が、皇帝の弟君で、当時前線での戦争指揮を統括する総司令官でもあるリク公爵元帥の強引かつ粗雑な作戦計画によるものであることは誰の目にも明らかでした。しかも、戦況が不利となるや、前線を放棄して司令部だけ中原(ハートランド)に逃げ帰るという体たらくで、そのことが犠牲を倍加させたことを併せても、元帥の事実上の更迭は当然というより必然の域に達していました。
 ただし、元帥の更迭は、帝室にとってひとつの問題を引き起こしました。
 元帥は皇帝の名代として親征している、という体裁をとっていたからです。
 建国当初の全戦争への皇帝親征は近代戦のこのご時世ではありえないにせよ、皇位継承権を持つ皇族の誰かが従軍し、皇帝の名代として親征の体裁を取ることは、帝室と軍、政府、国民の間の暗黙の契約事項のようなものとなっています。
 それを崩すことは、尚武を国是とする我が〈帝国〉にあっては、帝室の存立を危うくする可能性さえ孕んでいた。
 しかも、今回の戦争では、それまでの戦争より遥かに大規模な戦死者が発生していました。ましてや、その数は元帥の作戦失敗でさらに倍化している。戦争の犠牲を背景に、帝室の廃止を叫ぶ共和主義者が勢力を増しつつあった時期でもあります。帝室としては、国民との『痛み』の共有を強調する必要に迫られていました。
 しかし、この時、元帥以外に親征に適した人材がいなかった。いずれも年配か、軍人経験のない者、あるいは年若く従軍には適さない者ばかりで、そうした中で唯一の候補が──」
「カオ殿下だった」
 フェリアは苦くその名を口にした。
「そうです」少佐は頷いた。
「殿下は軍人ではありませんでしたが、大学時代に予備士官課程を履修していらっしゃいました。〈王国〉との関係を考えれば、貴女との婚礼を控えた彼を戦場に送ることは躊躇われたが、しかし、元帥の失脚でそんなことも言っていられなくなった」
「たった、そんなことで──」
 そんなことで、人は「戦争」に絡め取られてしまうか?
 これが彼の言った「高貴なる者の義務(ノーブレス・オブリージュ)」の正体なのか?
 何かひどく悔しかった。
 それはたぶん、ここまでの話で、誰ひとり彼の「人格」を大切にしようとする者がいなかったからだろう。誰もが彼の「立場」や「役割」だけで、彼の運命を右へ左へと弄んでいた。その内、誰かがそれが「必要だから」とゴミ箱にでも放り込むように「戦争」へと彼を投げ込んだのだ。
 彼がどれほど優しく笑うのか、どれほど豊かな感受性を持っていたのか、どれほど毅然とした美しい心根の持ち主だったのか──そして、どれほど自分が彼を必要としているのかなど、何もかもおかまいなしに。
「そういうものです」少佐は感情の失せた声で言った。
「たまたまそこに居た──たぶん、人生の大抵のことは、そんなもので決まってしまうものですよ」
「………………」
 フェリアは幅広い少佐の背中を見た。足場の悪い山中を歩きながら、驚くほどに揺れの少ないその肩は、相当に山に慣れた者の歩き方を思わせた。その背中の向こうで、この軍人はどんな表情をしているのだろう、とふと思った。
 フェリアは先を促した。
「……軍隊に入ってからの話を聞かせてください」
「カオ殿下は第4軍集団司令部付きの士官として配属されました。ここは、当時の感覚としてはそれほど激戦区を担当する部隊ではありません。敵と直接接する前線は有していましたが、高地や山岳地帯が多く、地形的に全面的な兵力展開が難しい地域なので、彼我の攻勢正面からはずれた地域でした。あるいは、軍中央での配慮が、そこにはあったのかもしれません。
 いずれにせよ、殿下はここで最後まで勤務されています。
 そして停戦の年の春、〈同盟〉軍の最後の攻勢が始まりました──」
 
 この時、〈同盟〉軍は大規模な戦略迂回を行い、〈帝国〉軍の脇腹に長刀(サーベル)を突き刺そうと試みた。
 具体的には、第4軍集団が守る北部地域に大規模な兵力投入を可能とする「回廊」を貫通し、そのまま中原(ハートランド)を脅かそうとするものだった。
 勿論、それがそう簡単に可能になるのであれば、戦争の初めからこの北部地域が攻勢正面となっている。それができない無理を道理に変えるその下準備として、〈同盟〉側は全戦線に渡る芸術的なまでのダイナミックな戦術運動を行った。
 それまでの攻勢正面である南方の平野部や砂漠地帯で、陽動の攻勢を波状的に繰り返し、第4軍集団から機甲戦力の主力をほとんど抽出させてしまったのだ。そのために、〈同盟〉側は実に三ヶ月もの日数をこの序盤の陽動作戦に費やしている。
 こうしてがら空きになった北部戦線に、満を持して〈同盟〉軍は雪崩れ込んだ。
 機甲戦力を欠いた第4軍集団を蹴散らしながら、山々を切り裂いて軍用道路や鉄道、輸送用飛行船の停泊所(ステーション)を造りつつ、力づくで北部地域に「回廊」を作り上げようとする。
 しかし、第4軍集団の悲鳴のような救援要請を受けながら、軍中央はしばらくそれを「陽動」とみなして動こうとはしなかった。それは、北部地域の地形状況から、そんな都合のいい「回廊」がそうそう簡単にできるとは思われなかったためである。
 だが彼等は、ブルドーザーなど大量の重機で極限まで効率化された〈同盟〉軍工兵隊の能力と、何よりもこの作戦に懸ける〈同盟〉軍中央の激烈なまでの意志を完全に読み違えていた。
 北部地域の地形を造り変える勢いで「回廊」は造成され、出来た先から、〈同盟〉軍主力の兵力が流し込まれた。
 遅ればせながら事態に気付いた〈帝国〉軍中央は、慌てて各方面から抽出した兵力を再編成し、中原(ハートランド)一歩手前まで近づいていた〈同盟〉軍主力に叩きつけた。その過程で、〈同盟〉軍、〈帝国〉軍ともに大規模な環境破壊を伴う攻撃を行い、西方辺境領北部から中西部に掛けての自然環境を致命的なまでに破壊し尽くすこととなったが、それはまた別の話である。
 問題は、〈帝国〉軍による本格反攻が開始されるまでの約一ヶ月近い日々の間、〈同盟〉軍主力の凄まじい圧力を、戦力を削られ痩せ細った第4軍集団がひとりで支える羽目になった、ということだ。
 およそそれは、激戦というにはあまりに悲壮な戦いだった。
 少佐が一時、「英雄」として祭り上げられることとなった「カバラス峠の戦い」もこの時期に発生している。少佐本人に言わせれば、あまり戦略的に意味のない戦いだった。結局、敵主力には別ルートから迂回されて後方に抜けられており、挙句にその連絡が遅れ、撤退のタイミングを読み違えた部隊は損害を増やす羽目に陥っている。おまけに敵に与えた損害も、自分が報告書に書いた数が、いつの間にか倍の大戦果となって軍中央から発表されていた。すべて本人の預かり知らないところでの話である。
 ただ決して楽な戦いではなかったのは事実で、それはこの時期の第4軍集団すべての将兵の戦いに共通していた。
「カオ殿下が行方不明となったのは、この頃のことです」
 軍集団司令部に勤務していたカオ皇子だったが、この時期の第4軍集団は麾下(きか)の前線部隊との連絡の確保に苦しんでいた。大規模な〈同盟〉軍主力の侵攻によって、既存の通信インフラはまっさきに破壊され、無線も妨害や盗聴が激しくなってろくに信用がおけなくなっていた。
 そこで結局、中世の騎士達の時代と同じように、司令部から直接前線に連絡要員を送り込まねばならない状況に陥っていたのだ。
 それに志願した、と司令部の陣中日誌にあるのが、公史に残るカオ皇子の最後の記録である。未明に数名の兵、下士官とともに司令部を出発した以降は、ぷっつりと消息を絶っている。また、彼が向かった先の部隊はその時点で既に全滅していたことが、後の戦史で確認されている。
「あるいは、彼が皇族であったことが、不利に働いたかもしれません」
「………………?」
「一般の兵や士官であれば、投降して捕虜になるという選択肢があった。
 だが、皇族である彼の身柄が敵の手に落ちれば、敵の宣撫活動(プロパガンダ)へ徹底的に活用されていたでしょう。それは〈帝国〉と帝室にとって、想像もしたくない悪夢だったに違いありません。
 それを知っていた彼が、脱出不能な状況に陥った時、どのような決断をしたか、想像に難くありません。
 そうでなくとも、ぎりぎりの死線を掻い潜るとき、兵士にとって生への執着の有無が物を言う。
 あの頃の西方辺境領は、あらかじめそれを奪われた者が生き延びることのできる場所ではありませんでした」
「………………」
 そして、遂に遺体も遺品も見つからないまま、戦後になって〈帝国〉軍中央はカオ皇子の戦死の認定を発表した。フェリアの下に皇子の戦死の知らせが届いたのも、その頃のことである。
 
 その知らせを受けても、フェリアは特に何の実感も沸かなかった。
 遺体はおろか、遺品のひとつもないのでは無理もない。
 それは〈帝国〉帝室主催の葬儀に参加しても、何も変わらなかった。
 そしてそのまま月日が過ぎ、あの日、あの時のままフェリアの時間は止まっていた──本人でさえ、止まっていたことに気付かぬほどに。
「以上が、私の知るカオ殿下についてのすべてです」
「………………」
 自分が愛した男(ひと)が、「戦争」というシステムに呑み込まれ、どれほど理不尽な扱いを受けたのかをフェリアは知った。
 それを悲しむ心も取り戻した。
 止まっていた時間が確かに動き出しているのが、自分でも判る。
 そして、今また自分は「戦争」と向き合わなければならない。
 あの「戦争」で傷ついた魂が、新しい「戦争」を引き起こして、「戦争」でこの国土を覆い尽くそうとしている。
 私に何ができるだろう?
 私はあの時、何もできぬまま「戦争」へ征く彼を見送ることしかできなかった。
 今なら、今の私なら、何ができて、何を為すべきだろう。
 もう二度と、貴方のような理不尽な悲劇を生まないために。
 この先に待ち受ける「戦争」と立ち向かうために。
「………………」
 フェリアは足許の雪を一歩づつ踏みしめながら、静かに決意を固めていった。

>>>>to be Continued Next Issue!