積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 0〔lav〕』第12回

0-12

 
「この辺でいいでしょう」
 診療所を出て、松葉杖をつきながら数分ほど歩いた場所にある広場の真ん中で、カオは立ち留って言った。
 辺りに人家はなく、言うまでもなく街灯もない。遠くに診療所の灯火(あかり)がぽつんと見えるだけだ。
 本当に一切の灯火を排した夜の闇が、これほどに密度を持って重く迫ることをフェリアは初めて知った。
「何で、こんな場所へ……?」
 診療所を出る際に一声掛けたとは言え、テレサも心配しているだろうと思いながらフェリアは訊ねる。
 その問いに、カオはそっけなく答えた
「あの病室は盗聴されていました」
「え……?」
「盗聴」──? 何故、そんな単語がこの場に出て来るのか?
 混乱するフェリアをよそに、カオは淡々と感情の失せた口調で続ける。
「どうせここも近くで兵士が聞き耳を立ててるんでしょうが、こんな見通しのいい場所ではすぐそばまでは近づけない。小声で話す分には大丈夫でしょう。それに今からでは録音装置の準備が間に合わない。録音さえ残っていなければ、後でどうとでも言い抜けは出来る」
 ぎょっとして周囲を見廻すが、真っ暗で何も判らない。見晴らしも何も、手を伸ばした先も見えそうにないこんな暗闇の中で、カオには周囲の様子が判るのだろうか。
 カオは無表情に遠くへ視線を向けている。周囲の闇に潜む兵士達よりも、目の前にいるこの青年の姿さえ、しっかりと凝視していないと見失ってしまいそうだった。
 必死の想いで見つめるフェリアの前で、カオはふいに語り始めた。
「僕が貴女の婚約者としてふさわしくない理由、でしたね」
「………………」
 フェリアは無言で頷く。
「それは──」カオは静かに、囁くように言った。
「それは、僕が中央のある政治勢力と繋がる秘密工作員だからです」
 
 カオの言った台詞の意味を、フェリアはしばらく理解できなかった。
 自分が知るカオの姿とはあまりにも懸け離れた単語のつながりで、脈絡がなさすぎた。
 混乱する思考のまま、フェリアは掠れた声でようやく呟くのがやっとだった。
「……何を、仰って──?」
「そもそも、僕がこうして頻繁にフィールドワークを繰り返す資金を、どうやって得ていたと思います?」
「大学から、研究費が出ているのでは……?」
「勿論、出ています。しかし、全然足りない。僕の研究は、大学や世間にそれほど評価されているわけではない。それでこれほど頻繁にフィールドワークを繰り返して、わずかばかりの研究費で足りるわけがない」
「でしたら、どうやって……?」
「スポンサーを探すんです。若手の研究者は、皆、そこから始めます。僕も指導教授からある人物を紹介されました」
「ある人物……?」
「チャオ・バン・タク──皇帝陛下の弟宮のひとりで、戦争が始まるまで外務卿を務めてらした方です」
 その名前はフェリアも知っている。〈帝国〉の政界では、外交に従事する皇族・貴族達の中心人物で、反軍・反戦の姿勢を取る人物としても知られていた。〈帝国〉軍と政府が〈同盟〉との戦争に大きく舵を切る中、軍と衝突して外務大臣の職を辞したと聞いている。
「僕は彼に自分の研究をプレゼンし、あることと引き換えに研究資金を提供してもらうことができました」
「あること、ですか?」
「大したことではありません。フィールドワークで訪れた辺境地域の世情や治安状況について、その都度レポートを提出すること、それだけです。
 そう、それだけだったんです……初めはね」
 カオは自嘲気味に口許を綻ばせた。
「やがて先方のリクエストは、徐々に詳細なものとなってきました。現地の物流の流れはどうか、よく使われる道路はどこか、地元の部族勢力間の微妙な力関係はどうなっているのか──こっちのレポートも教授が指導教官として、懇切丁寧に指導してくれましたよ」
「……チャオ殿下は、何故、そんな情報を必要としているのですか?」
「辺境領経営は軍の利権構造の大きな柱です。反軍・反戦の立場を取るチャオ殿下は、辺境領内で軍が乱暴な経営を行っていることに常々胸を痛めていて、何か自分に出来ることがないかと日頃から辺境情勢に強い関心を持っている──そう、説明されました」
「では、反戦活動の一環として、そんなことを……?」
「そんなわけないじゃないですか」
 吐き捨てるように、カオは言った。
「もっとも、正直に言えば、僕も最初はよく判ってなかった。だからチャオ殿下のその言葉を、しばらくとはいえ信じてしまった。
 それにチャオ殿下に提出するレポートの作成は、僕の本来の研究にも繋がっているものでしたしね。むしろ楽しくてしかたなかった。
 だけど、その内、先方の要求は本来の研究の範疇(はんちゅう)から逸脱し始めた。
 云わく、現地の部族の有力者に接近しろ、軍の装備や配備状況を知らせろ、現地の部族で〈帝国〉や軍に不平や不満を持つ者を見つけだせ。…………。
 やがて、こちらのフィールドワークの計画とは関係なく、行先を指定されるようになりました。現地での行動も、より積極的に地元社会に関与(コミット)することを求められるようになった。
 地元の若者に金を渡して、情報提供者にしました。彼等を組織して、恒常的に情報収集を行う組織を作りました。チャオ殿下の元から派遣されてきた、別の人間を彼等に引き合わせました。たいていその直後ですよ。軍人や中原(ハートランド)からきた商人が襲われるのは。そして、軍が報復に集落を襲って焼き尽くす──そんなことを、もう何度も、何度も繰り返してきました」
「………………」
 虚ろに紡がれるカオの言葉に、フェリアは慄然とした。
 つまり、チャオ殿下による自国辺境領への不安定化工作(ディスタビライズ・オペレーション)──その尖兵として、彼は活動していたというのだ。
 しかも、ここまでの話を聞く限り、学校ぐるみで組織的に密偵(スパイ)を養成していたかのように聞こえる──いや、きっとそうなのだ。
 帝都貴族院大学とは、〈帝国〉皇族と貴族の利権の源泉にして中枢──であるなら、彼等の生存(サバイバル)のため、非合法(イリーガル)な活動に従事する次世代の秘密工作員をそこで育成していたとしても、何ら不思議ではない。無邪気に学問を志す学生達を、自分達が利用する工作員に仕立て上げるシステムが、ひそかに稼動しているのだ。
 と、同時に、だからカオには、特別に本校舎から離れたあんな場所に研究室が与えられたのか、と腑に落ちた。
 明かされてみれば、すべてあらかじめフェリアの前に示されていたことばかりだった。勿論、それがこんな吐き気を催す文脈(コンテクスト)で繋がっているなどと、思いも寄らなかった。
 だが、だからと言って、まがりなりにも自国の皇太子を秘密工作員に仕立て上げて、こんな辺境の地に送り込むなど、常軌を逸するにもほどがある。
「フェリア王女、あなたはまだ判ってらっしゃらない」カオは首を小さく横に振った。
「今のこの国の皇族にたいした価値なんてないんです。ましてや私は宮廷の下働きだった官女が産んだ庶子で、母方には少数民族の血も混じっている。だから、僕は皇帝である父親と会うことすら許されてこなかった。世界がひっくり返っても皇帝の座に就くことはない──皇室官房の役人どもからは、何度もそう念を押されて育ってきました。
 私の身体に流れる皇族の血のもたらす価値は、国内ビザもなしに辺境領に出入りできる特権に尽きる──私の指導教官だった教授は、いつもそう言ってましたよ」
 
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