積読日記

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義忠『棺のクロエ1.5 0〔lav〕』第14回

0-14

 
「……何を言ってるんです? 貴女と結婚して、〈王国〉の力を背景にチャオ殿下や軍と対抗しろとでも? バカバカしい! そんなもの、あいつらにとっては何の意味も──」
「違います!」
 フェリアはカオの両腕を掴んだ。
「どうして判って下さらないんですか? 私の実家がどこかなんか、どうでもいいじゃないですか。目の前にいる私を見てください。私がここにいるのに、どうしてちゃんと見てくれないんですか?」
「貴女は……何を……?」
 当惑の色を隠さず、カオが訊ねる。
 だが、フェリアはそこに微かな突破口を見つけていた。
 見てくれた。やっと自分を見てくれた。これまでのカオは、自分を取り捲く絶望的な状況を、自分で口に出して確認してきただけだ。口に出して、フェリアに語り聞かせ、その表情に浮かぶ衝撃と絶望を確かめて、自身の絶望の強度を揺るぎないものとして確かめているだけだ。
 そして結局、そこに逃げ込んでいるのだ──何故なら、そこはとても居心地のいい空間だから。絶望に浸ってしまえば、もう努力することも、あがくことも不要になるから。あらゆる苦痛から解放され、緩慢な破滅をぼんやりと眺めていればいい。すべてを放棄してしまえば、これ以上、自我が傷つけられることもない。
 カオがこの悪夢のような世界の仕組みを語るとき、フェリアはその絶望に浸る者が放つ特有の腐臭のようなものを嗅ぎ取っていた。己を責めているようでいて、己をこの地獄に追い込んだ者たちと同化し、一緒に世界を嘲笑するかのようだった。
 そうして、何も知らないフェリアが、明かされる真実のひとつひとつを前に驚愕し、ショックを受け、憤る様をどこかで愉しんでいるかのようだった。
 それを責めるつもりはない。
 そうでなくては、カオは自分の置かれたこの状況に耐えられなかったのだろう。話を聞いているフェリアの方でさえ、叫びを上げて逃げ出したくなるのだ。この圧倒的な質量の闇と狂気に真っ向から抗っていたら、カオの精神はとっくに圧壊し、欠片も残さず霧散していたろう。絶望や諦観とともにこの狂気の世界を受け入れていたから、彼は今日まで生き延びてこれたのだ。むしろこの程度の精神の歪みで済んでいること自体、賞讃に値する。
 と同時に、こうやって人の悪意や狂気は伝播してゆくのだ、とも悟った。
 断ち切らねば、とフェリアは決意した。ここですべてを断ち切らねば、この青年は永遠にこの闇の底でたった独りで放浪し続けるだろう。
 そんなのは、嫌だった。カオ自身がそれを認めようと、自分(フェリア)自身が受け入れられなかった。この若者が苦しみを呑み込み、絶望を嚥下するたびに、諦観の吐息を吐き出すたびに、フェリアの胸は引き裂かれるように痛みを発し、握り潰されるかのよう苦しくなった。それを跳ね退けんとする意志を、傲慢(エゴ)と呼びたければ呼べばいい。たとえそれが独りよがりな傲慢(エゴ)であっても、目の前のこの男(ひと)を救いだすまでは一歩も退く気はなかった。
 フェリアはカオに言った。
「私は本当の貴方を知っています。あの研究室で過ごす貴方が、どうやって笑うのか、どうやって話すのか、どれほど優しいのか──貴方の存在がどれほど私を穏やかな気持ちにさせて、どれほど幸せな気持ちにさせてくれるのかを、私はいくらでも話すことができます。
 貴方が自分の本来在(あ)るべき姿を見失ってしまったというなら、私の瞳を見てください。そこには必ず本当の貴方が映っています。世界を覆うこの暗闇がどれほど深くても、私は貴方の姿をずっと見詰め続けています──私が貴方が選ぶべき選択肢を示してみせます」
 そう言い切ったフェリアへ、カオは苦しげに表情を歪めた。
「やめろ」喘ぐようにカオは告げた。
「やめてくれ……僕を、許さないでくれ」
「カオ皇子……?」
 自分を覗き込もうとするフェリアの視線を、カオは首を振って避けようとした。
「僕は許されるべきじゃない。殺された人々が、犠牲になった人々が、どんな想いで死んでいったか。遺された人々がどんな想いで今も生きているのか、それを想えば、僕には許されることも、安らぐことも本当は許されなかったんだ。
 それなのに、貴女の前では僕は少し気を許しすぎた……」
 苦くごちるカオに、だがフェリアはあえて容赦なく指摘した。
「……貴方の自分を『許さない』というのは、罪悪感を言い訳にそうやってその場にうずくまることなんですか?」
「………………!?」
「よもや、そうやって自分で自分を責めて、自分の心を傷つけて、その傷の痛みを対価として差し出してるから、自分の罪が少しでも軽くなるだなんて思ってやしませんよね? それを邪魔されたくないから、『自分を許すな』と言い出したんじゃないですよね?」
「な、フェリア王女……貴女は──っ!」
 ほとんど恐怖に近い表情でカオはフェリアを見詰めて、絶句する。
「でもそれは──」フェリアは臆することなく、告げた。
「罪とも許しとも何にも関係ない。ただの貴方の自己欺瞞(ゴマカシ)だわ」
 
「フェリア王女」カオは憎悪すら篭った視線で睨みつけた。
「貴女に何が判るっていうんですか?」
「判りません」フェリアはきっぱりと言い放った。
「貴方がそうやって心を閉ざしている間は、貴方が本当はどうしたいのかなんて、私からは何も判りません。
 だけど、思うんです。
 貴方が自分の犯した罪を許せないと思うのなら、なおのこと『人間』であることをやめるべきではないって。貴方は『人間』として、泣いたり、笑ったり、怒ったり、日々の暮らしの中で自分の中の素朴な感情と向き合いながら、罪と向き合うべきなのじゃないかって。
 自分の奪ったものの価値も判らない人に、判ろうとしない人に、罪を口にする権利があるとは思えません」
「………………」
 呆然とフェリアを見詰めていたカオは、苦しげに表情を歪めた。
「フェリア王女、貴女はご自分がどれほど残酷なことを私に求めているのか、自覚していますか?」
「たぶん、きっと」フェリアは頷いた。
「私に、苦しみのたうち廻りながら、普通の『人間』として生きろ、と」
「ええ」フェリアはもう一度、頷いた。
「私が支えます」
「それは結局、貴女の我儘(エゴ)だ」
「知ってます。それでも、私は貴方を失いたくない。こんな闇の底で、貴方を見失いたくない。
 それ以上に、貴方がこれ以上、苦しむ姿を見たくないんです」
「ならば、目を閉じて、耳を塞ぎ、どこか遠くまで逃げて、そのまま私の存在など忘れ去ってしまえばいい」
 冷たく切り捨てられたカオの言葉が、ナイフで抉り込むように胸に差し込まれる。
「それができるなら、こんな場所まで来たりなんかしません」それでも踏み留まって、フェリアは告げた。
「私の中に、もうとっくに貴方がいるんです。どんなにきつく目を閉じていても、どんなに強く耳を塞いでも、どんなに遠い空の下からだって、貴方がこうして苦しんでいることを想えば、私自身の心も引き裂かれるように苦しいんです。
 その苦しみを忘れられるなら、逃げだすことができるなら、とっくにそうしています。
 でも、できない。
 できなかったから、私はここに来ました──貴方を救って、私自身を救うために」
「……そういう身勝手窮まりない理屈を、よく口にできますね」
「はい。でも、身勝手なのは貴方も一緒です、カオ殿下」
「僕が?」
「ええ」フェリアは頷いた。
「自分がたった独りで生きているようなつもりでいるから、自分独りで罪を背負いこんで苦しめばいいだなんて、身勝手なことを考えられるんです。
 さっきも言いましたよね? 私の中にだって、貴方はいるんです。貴方が苦しむことに居たたまれない想いを抱き、貴方が傷つくことに悲しみを感じる人間が、貴方のそばにいるんです。どうして判って下さらないんですか?」
「僕が頼んだわけじゃない」
 その言い訳めいたカオの言葉に、フェリアはかっとなって叫んだ。
「頼まれて誰かを愛するようになる人間が、この世にいるわけないじゃないですか!」
 フェリアは叩きつけるように言った。
「『生きる』って、そういうことなんじゃないんですか? 望むと望まざるとに関わらず、自分の人生に誰かを捲き込んでしまう。現に、私はこうして貴方の人生に捲き込まれてしまった。だから、私の人生にも貴方を捲き込みます。貴方に幸せになって欲しいと願います。私自身が幸せになるために、貴方に幸せになってもらわねば困ります。
 それを我儘(エゴ)だというのなら、きっとそうなのでしょう。
 でも、私は間違っているとは思いません。私が大切に思っている人に、幸せになって欲しいと願う我儘(エゴ)をぶつけることが、間違ってるだなんて、私は決して思いません」
 カオは呻くように言った。
「滅茶苦茶だ」
「はい」
「どこまで自分勝手なんですか」
「ええ」
「……おまけに、何だか私が責任を取らねばならない、と責められているようにも聞こえますが」
「そのとおりですから」
「………………」
 あっけにとられるようにフェリアを見たカオは、やがて深い溜息とともに口を開いた。
「貴女は本当に自分勝手で我儘で、滅茶苦茶で突拍子もない、とんでもないお転婆姫だ。だけど──」
 カオは小さく苦笑して言った。
「だけど、確かにほんの少しだけ救われた」
「カオ皇子……?」
「たとえそれが錯覚にすぎなかったとしても、救われてもいいのかもって思えた。まだ僕にもできることがあるのかもって。今は、それでいいことにしよう。だから、フェリア王女──」
 不意にカオはフェリアを抱きしめて言った。
「……ありがとう……」
「………………!」
 迂闊にも向こうから抱きしめられるという展開を予期していなかった。一瞬で頭の中が真っ白になる。心臓の音が頭に鳴り響き、世界中に聞こえてしまいそうだ。
「……あっ、カ、カオ皇子……!」
 真っ赤な顔で慌てて声を掛けかけ、自分を抱くカオの肩が小刻みに震えていることに気付いた。
 と同時に、自分が何をすべきかがすぐに判った。
 フェリアは黙ってカオの背中に腕を廻し、自分からも強く抱きしめる。
 カオの身体から震えが消えてゆくのが判る。凍えるように強張っていた全身が、緩やかに解きほぐされてゆくのが判る。それが自分がこうして抱きしめている結果だという強い感覚に、誇らしい気持ちでゆっくりと胸が高鳴ってゆく。
 確かな暖もりがそこにあって、鼓動さえ聞こえるようで。
 この暖もりがそこにあるというだけで、勇気が沸き起こってくる。
 それも自分独りだけでなく、こうして抱きしめているその相手にもその勇気を与えることができるのだと、その事実がたまらなく嬉しい。
 たとえ世界がどれほど凍てついた闇の底にあっても、たぶんこの暖もりを見失わなければ、自分もカオもきっと大丈夫なのだと、今はそう思える。
 その時、カオの肩越しに、そこに広がる夜空の存在に気付いた。
「あ…………!」
 それは満天を覆う、降るような星の海だった。
〈帝都〉や〈王都〉のような都市の灯火で薄汚れた夜空では、決してありえない数の星々が、そこには広がっていた。しかもひとつひとつの星の光が、はっきりとその存在を主張するかのように強く輝いている。大きな星も、小さな星も、自分はここにいるのだと強く叫ぶように。
 手を伸ばせば届くような存在感で、星々が夜空を圧し包んでいる──その光景にただただ圧倒される。
 だがその感覚は、先程まで圧し潰されそうに感じていた、世界を覆う暗闇の重量感とはまったく異なっていた。
「カオ皇子──」フェリアはカオの耳元で囁いた。
「空を見てください。凄い星空ですよ」
「え…………?」
 カオがフェリアを抱いたまま、空を見上げ、息を呑んだ。
「本当だ……そうか、今夜は月がないからそれで──」
「カオ皇子」フェリアは言った。
「たぶん私達は、きっとときどきこうやって空を見上げるべきなんだわ」
「フェリア王女……?」
「世界がどんな凍てついた闇に覆われていても、見上げればこうして手が届きそう場所で星が輝いてるんですもの」
 カオは首を振った。
「手を伸ばしたって届きませんよ。あの星々は本当は何百光年、何千光年の彼方に存在してるんです」
「でも、光は届いたわ!」フェリアは力強く言った。
「何百、何千光年の暗闇を貫いて、あの星々は私達の元に光を届けてくれた。なら、私達の光もきっとそこに届きます」
 自信に満ちた態度で頷くフェリアに、カオは小さく口許を綻ばせた。
「貴女という人は、どこまで──いや、だからこそ、貴女はここにいるのでしたね。
 いいでしょう。今は潔く負けを認めます。貴女に救われた自分が、どうも確かにいるみたいだ」
「良かった」
 ほっと胸を撫で下ろした瞬間、張り詰めた気が急に緩んだせいか、いきなり両の瞳からぽろぽろと大粒の涙がこぼれだす。
「ど、どうしたんです……?」
「何でもありません。大丈夫。ちょっとほっとしたら、気が緩んで──あぁっ!」
 急に泣きだしたかと思ったら、唐突に大声を出したフェリアに、カオが思わずたじろぐ。
「こ、今度は何ですか?」
「私、ちゃんと聞いてません!」
「な、何を……?」
「私たちの婚約をどうするのか、です」フェリアはまっすぐにカオを見て言った。
「私の気持ちはお伝えしました。皇子のお気持ちを聞かせてください」
「いや、ですから僕は──」
 口を開きかけたカオが、涙目で必死な表情でこちらを睨むフェリアの姿に言葉を詰まらせる。
 しばらく何度も口を開きかけては閉じるのを繰り返し──やがて、何かを断念するように深い溜息をついた。
「判りました。貴女にはかないません。ついさっき、それを思い知らされたばかりですしね」
「……そんな、しょうがないからする、みたいな言い方しないでください」
「あ……いや、失礼。決して、そんなつもりでは」ちいさく咳ばらいして、カオは告げた。
「ではフェリア王女、改めて貴女に婚約の申し出を──」
「ダメです」
「え?」
 驚くカオの前に、フェリアは左手を差し出して命じた。
「今度はちゃんとしてください」
 自分でも耳まで真っ赤になっているのが判る。恥ずかしくてカオの方を見れないので、視線はよそを向いている。やはり女の側からこんなことを求めるのは、はしたないと思われるだろうか。でも、物事には、やはり譲れない一線というものがあるのだ。
 くすりと笑われたかのように微かに空気が動くのを感じ、心拍数が跳ね上がる。
 と、その左掌をそっと手に取り、カオが口づけする。
「これでよろしいですか、フェリア王女?」
 フェリアのよく知る穏やかな微笑みでカオは告げた。
「改めて、婚約を申し出をします。受けていただけますか?」
「ええ、慎んでお受けします」
 たぶん自分はまた泣きそうな顔をしているのだろうなと思いながら、フェリアは何度も頷いてみせた。
 
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