『喜劇 駅前飯店』@ラピュタ阿佐ヶ谷(16/5/8(sun)鑑賞)
本日の映画1本目『喜劇 駅前飯店』@ラピュタ阿佐ヶ谷に劇場入りしました。1962年公開。駅前シリーズ第5作目だそうです。#fr16_n pic.twitter.com/LuXEc0FQ9R
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
『喜劇 駅前飯店』観終わりました。横浜中華街を舞台にした「いつものヤツ」w 前回、会津弁だったのが、今回は中国人風インチキ日本語という(爆 基本、旦那衆が中国人で、奥さんが日本人。もっとも、中国人なのに特技が小唄とか日本舞踊という、よく判らないことになってますw #fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
『喜劇 駅前飯店』:前作以上にいろんなことがわちゃわちゃと隙間なく起こってくるので、「本筋」がとても掴みづらいのだけど、「いつも愉快な商店街」の空気感が主役といえば主役なのかな。しかし、隙あらば何か仕掛けてくる全盛期に森繁久彌の、喜劇役者としての凄まじさよ(^_^)#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
『喜劇 駅前飯店』:作品全体を俯瞰すると、在日華僑コミュニティを前作の会津の温泉街のコミュニティと普通に互換可能と捉えて話を進めていて、同じ役者に演出の座組で当たり前のようにストーリーを展開する。これが、この時代なりの多様性(ダイバーシティ)なのか。#fr16_n
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『喜劇 駅前飯店』:同時に、関帝廟も出さないし、在日華僑なりの儀式とか習俗、あるいは異邦人としての苦労とかはあまり踏み込まない。それどころか、小唄歌わせたり、成田山にお参りに行ったりするしね。良くも悪くも「日本人」として扱うことで、受け入れてる感がある。#fr16_n
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『喜劇 駅前飯店』:在日華僑の旦那衆に対して、なぜか奥さん方が皆、日本女性で、彼女らを介して旦那衆は日本社会に包摂されている構造になってる。華僑を華僑として、そのまま受け入れてる訳ではない反面、当時の日本人なりの無邪気なダイバーシティって、こんな感じだったのかな。#fr16_n
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『喜劇 駅前飯店』:それに対して、インチキ占いや、登場人物間で土地を廻して儲けようとしたり、不老不死の秘伝書を奪おうとしたりとせわしなく暗躍する「悪役(小悪党)」が出てくるんだけど、それが中国人を装った日本人。ここでも、戦時中に大陸でいろいろ悪さしてたという設定。#fr16_n
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『喜劇 駅前飯店』:この時代の日本人は、異邦人である在日華僑、あるいは中国人にとても気を遣っているのが伝わってくる。それは中国政府にどうこうというより、戦前戦中の大陸でやらかしてきたことへの素朴な贖罪意識であり、異国で暮らす人々への敬意なのだと思う。#fr16_n
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『喜劇 駅前飯店』:だって、日本人だって、大勢移民して、行った先で苦労していた時代ですもの。横浜中華街での在日華僑コミュニティのドタバタ喜劇を、我がことのように演じて楽しむ余裕と優しさが、この時代の日本人にあったことを、あえて21世紀の日本人として誇りたい。#fr16_n
— 義忠@夏コミ申込中「物語工房」 (@yoshitada_n) 2016年5月8日
『喜劇 駅前飯店』:まぁ、この時代なりの限界もあったわけだけど、たわいもない喜劇映画にこそ、その時代の人々の本質が垣間見えるという象徴のような映画でした。あ、後、在日華僑の話なんで、王貞治@読売巨人軍も出てきます。それも意外とセリフ多いし。そこもお楽しみ(^_^) #fr16_n
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